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小川 雅史氏
SPLASH株式会社
代表取締役社長
(おがわ まさし)/ 岐阜県出身。進学校の岐阜高校から法政大学へ進学。在学中に美容業界を志し、美容師免許を取得。東京・大阪の有名サロンでの修行を経て、実家の美容室事業を承継。多額の借金発覚や重度の心身の不調、離婚など度重なる困難を「自分の悩みはちっぽけだ」という圧倒的な視座の転換の哲学で乗り越える。現在は「相手を想う心」を重視したサロン経営に加え、医療用ウィッグなどアピアランスケアの普及を通じた社会課題の解決と、美容師の待遇改善に尽力している。
今回は、岐阜県出身でSPLASH株式会社の代表取締役社長を務める小川雅史さんにお話を伺いました。
県内有数の進学校から大学へ進み、そこから美容師という全く異なる道を自らの意思で選び取った小川さん。実家の美容室を継いだ後に発覚した多額の借金や、ご自身の重度な心身の不調など、幾多の修羅場を乗り越えてきたからこその「働くことの本質」と「生々しい体温」をお届けします。
偏差値で自分の人生を決めるのは、なんだかつまらないと思った
ーー小川さんは県内でも有数の進学校のご出身ですが、当時はどのような目標を持たれて学生生活を送っていたのでしょうか。
小川社長(以下、小川):僕らの時はまだ独特の制度があって、高校受験もいくつかの学校群に分かれて受けるような時代だったんですが、とにかく甲子園に出て東京の有名私立大学で野球をやりたいという明確な目標があって、そのために一生懸命勉強して進学校に入ったんです。でも、1年の冬に腰を痛めてしまって、病院をいくつも回ったんですが「もう手術するしかない」と言われてしまい、野球の道を断念せざるを得なくなりました。当時は野球ができないなら勉強する意味も全くないと思い込んでしまって、そこからは少し道を外れてフラフラと遊ぶようになってしまったんですよね。卒業の時には就職しようと思っていたんですが、周囲の勧めもあってとりあえず大学へ進学することにしました。その時は「ウィンドサーフィンでオリンピックに出たい」という新しい目標ができて、競技人口も少なくてお金もそこまでかからないということで熱中していたんですが、1年ほどやっているうちに「これは将来食っていけないな」と現実を悟ったんです。
ーーそこから、どのようにして美容師という全く異なる道へ進むことになったのでしょうか。
小川:将来を模索するために色々なアルバイトを経験し始めたんですが、免許を取って不動産屋のアルバイトをしてみたら、お給料も良くて効率は良かったものの仕事自体が全く楽しくなかったんです。その後、美容院でアシスタントのような形で少し手伝わせてもらったら、これがめちゃくちゃ楽しくて時間を全く気にしなくなったんですよ。「朝の9時に入れ」と言われても別に8時に入ってもいいし、「夕方6時まで」と言われても8時ぐらいまで残っていても全く苦にならない。自分の大切な時間を、つまらないことに費やしたくないなと強く思ったんです。同級生にはお医者さんになった友人もたくさんいて、同窓会で「私たちは偏差値や成績で人生を決めてきたけれど、小川くんは自分で職業を選択して自分の人生を決めたなんて驚いた」と言われたことがありました。彼は有名な国立大学の大学院まで行き、成績順で行ける進路を選んできたと言うんです。私からすれば、偏差値で自分の人生を決めてしまうのはなんだかつまらない人生になってしまうんじゃないかと感じていたんですよね。
求められたのは技術ではなく「相手を想う心」だった
ーー大学に通いながら夜間の美容学校にも通い、美容師免許を取得された後、どのような環境で修行時代を過ごされたのですか。
小川:最初は名古屋の高級な美容室に勤めたんですが、レベルの高い技術はあっても、お店の名前があるからか、積極的に新しいチャレンジができない環境だったんです。将来的にいわゆる使い捨てのような美容師にはなりたくなかったし、地に足をつけたちゃんとした美容院で技術を磨きたいと思っていました。そこで、美容業界で勝負をかけるなら海外でも認められているようなレベルの厳しい環境に身を置こうと決意して、思い切って大阪の有名なサロンに移りました。シャンプーの練習からやり直して、年下の女性の先輩たちから鼻で使われたり厳しく指導されたりして、精神的にはかなり苦しい時期もありました。
ーー東京や大阪のトップサロンで揉まれる中で、美容師としてどのようなことに気づかれたのでしょうか。
小川:一番驚いたのは、技術的なことで怒られることはほとんどなくて、ほぼすべてサービス精神や接客に関することで怒られていたことです。美容師の仕事って、技術はそこまで関係なくて、相手の気持ちにどれだけ寄り添えるかが8割なんですよね。お客様の嫌なところに気づいて、それを心地よくしてあげる営業のような仕事なんです。技術を上げようと思ってもなかなか上がりませんが、お客様のことを思って「この人のためにどうしてあげようか」と24時間考え続けていれば、自然と技術は後からついてくるんです。コンテストで勝つような人も、モデルさんのことを24時間考えていて、一番良くしてあげようと思っているからこそ、自分の持っていない技術すらイメージできるようになる。自分の失敗に気づくためにも、まずは人としてお客様と仲良くなってリピートしていただくことが重要です。上から目線で接客するなんて絶対にダメで、相手を想う気持ちが一番大切だということを、大阪の厳しい環境で徹底的に叩き込まれました。
借金、介護、そして心の病。死を意識した修羅場からの生還
ーーその後、数々の賞を受賞されてからご実家の美容室事業を継がれたと伺っていますが、順風満帆だったのでしょうか。
小川:それが全く違っていて、こっちに戻ってきて決算書を初めてちゃんと見たら、ものすごい額の借金があることが発覚したんです。おまけに、母親が40代の若さで若年性アルツハイマーになってしまって、父親も腰を痛めて動けなくなり、家族の介護問題も一気にのしかかってきました。当時は手を広げていた事業を必死で縮小して、経費を抑えて経営を立て直そうと無我夢中で奔走しました。
ーー過酷な状況の中で、小川さんご自身の心と体にも限界が来てしまったのですね。
小川:そうですね、精神的にかなり追い詰められてしまって、薬を飲みすぎて本当に死ぬかと思うほどの状態に陥りました。一歩も外に出られなくなってしまって、1年半は仕事も全くできずに休んでいたんです。病院に行っても治らず、どうせ死ぬならと自力で断薬に踏み切ったんですが、歩こうとしても足が前に出ないくらい麻痺してしまって。そんな絶望の中で私を支えてくれたのは、子どもたちの存在と、哲学や経営者の方々との出会いでした。世の中には、何十億円もの借金を抱えたり、ご家族が何度も救急搬送されたりしながらも、それを乗り越えて大きな会社を育て上げている経営者がたくさんいるんです。そういう壮絶な修羅場をくぐり抜けてきた社長さんたちの話を聞いていると、「自分の悩みなんてまだまだひよっこでちっこいな」「甘すぎるな」と目が覚めました。みんな本当に大変な思いをして生きているんだと視座が変わったことが、私の中での一番大きな転機になりましたね。
アピアランスケアで、働く人たちの誇りと未来を守りたい
ーー数々の困難を乗り越えた現在、小川さんが最も力を注いでいる取り組みについて教えてください。
小川:うちのスタッフの身内が乳がんになったことがきっかけで、がん患者さんのための医療用ウィッグの提供や外見のケア、いわゆるアピアランスケアを始めました。がんになると、大体10日から2週間くらいで治療が始まり、その間にウィッグから何から全部決めないといけないんです。お子さんの送り迎えなど日常の小さなことまで全て生活が変わってしまい、患者さんは死の恐怖とともに深い悩みを抱えています。抗がん剤の副作用で髪だけでなく眉毛やまつ毛が抜けたり、シミができたりもします。にもかかわらず、美容院でウィッグの調整や治療後の髪の相談ができる場所が圧倒的に足りていないんです。クレームが怖くて避けてしまう美容室も多いんですが、困っている人が確実にいて、私たちが持っている美容師としての技術で解決できるのだから、絶対にやるべきだと思いました。
ーーその背景には、美容師という職業に対する小川さんの強い思いがあるのですね。
小川:美容師という職業は、労働時間に対する給与がまだまだ低く、業務委託などで使い捨てのようになってしまう厳しい現実があります。一生懸命やって独立してもなかなか続かないし、業務委託でサロンを転々として50代になったら居場所がなくなってしまう。他業種の待遇がどんどん良くなる中で、優秀な若い子たちが美容師になりたがらないんですよね。だからこそ、こうしたアピアランスケアのような本当に困っている人を助ける付加価値の高い仕事を作り出して、美容師がちゃんと誇りを持って稼げる環境を作りたいんです。業界全体を変えるのは難しいかもしれませんが、少なくともうちの会社に入って一緒に頑張ってくれる人たちには、他業種に負けないくらい「ここで働いていて良かった」と思ってもらえる場所にしていきたいと強く思っています。様々な困難もありましたが、結局は出会った人たちに救われてここまで来られたので、これからは私たちが社会の困りごとに応えていく番だと感じています。

取材を進める中で、小川社長から発せられる生々しい修羅場のエピソードに、思わず自分のちっぽけな悩みを恥じてしまうような圧倒的な熱量を感じました。敷かれたレールの上を歩くことを良しとせず、「自分の心が動くかどうか」を基準に人生を選択し続けてきた姿勢は、日々の業務に追われて「働く意味」を見失いそうになる私たちに強く響きます。借金や介護、ご自身の心の病といった壮絶な経験を経てたどり着いたのは、「相手を想う心」という極めてシンプルで、それでいて最も難しい仕事の本質でした。利益やスキルの前に、まず目の前の相手をどれだけ想えるか。アピアランスケアという社会課題に向き合いながら、同時にスタッフの未来を守ろうとする小川さんの生き様は、働く大人が持つべき真の姿を教えてくれたような気がします。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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