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兼松 巧氏
株式会社三立
代表取締役社長
(かねまつ たくみ)/1991年、24歳で当時の上司と共にプールや温浴施設・フィットネス備品を扱う同社を創業。ノリと勢いの売上至上主義で事業を拡大するも、倒産の危機とリストラを経験。「何のために働くか」を見つめ直し、「元気な人と場の創造」という理念のもと社内風土を大改革。49歳で2代目社長に就任。「社員全員がヒーローになれる会社」を目指し、社員の自己実現に伴走し続けている。
株式会社三立の代表取締役社長、兼松巧さんは、どこか人懐っこい笑顔と一切飾らないオープンな語り口が印象的な経営者です。24歳で当時の上司とともにプールやフィットネス備品などを扱う同社を創業し、現在に至るまで数々の波乱万丈なドラマを経験してきました。
会社の数字や効率ばかりが求められる現代において、「社員全員がヒーローになれる会社」を目指し、退職したメンバーすらもフラッと遊びに帰ってくるという同社。そこには、売上至上主義のどん底で「何のために働くのか」を見つめ直し、自分自身の弱さや葛藤と真正面から向き合ってきた兼松社長のリアルな歩みがありました。
ノリと勢いで起業した24歳。弱肉強食の世界で直面した「何のための会社か」という問い
——兼松社長は24歳という若さで創業されていますが、当時はどのような志や目標を持って会社を立ち上げられたのでしょうか。
兼松社長(以下、兼松):創業した時はね、本当に何も考えていなかったんですよ。雇われるのが嫌だよねって、当時の上司だった初代社長と一緒に平成3年に創業したんですけど、その時はノリと勢いだけで、何を志しているかなんて全くなかったんです。口八丁手八丁で仕事はトントン拍子に伸びて、人の数もどんどん増えていきました。でも、何の志もなくその場しのぎでやっているから、お金ができたらそのまま使っちゃうような状況で。案の定、不渡りをつかまされたりして、大きくつまずき始めました。
——売上や規模は大きくなっていっても、会社としての根幹の部分がグラグラしていた時期だったんですね。社内の雰囲気はどのような感じだったのでしょうか。
兼松:人が集まればどうしても戦いが生まれて、強者と弱者ができてしまうんですよね。営業を上げるやつはチヤホヤされるけど、そうじゃないやつは蹴落とされていく。そういう弱肉強食の社風になっていっちゃったんです。僕は勝つ方にいたけれど、全然嬉しくなかった。負けていくやつが「泣きながら辞めていく姿」を見るのが、本当に耐えられなくて。これって本来の会社の姿じゃないよなって思いながらも、借金があるから売上を作らざるを得なかったんです。
——葛藤を抱えながらも、数字を追わなければいけない苦しさがあったのですね。そこからどのようにして、現在の「人を大切にする会社」へと変わっていったのでしょうか。
兼松:いよいよどうにもならなくなって、2000年頃に東京営業所を撤退し、社員を大幅にリストラするというどん底を経験しました。そこから経営塾に入って、「何のために会社を作ったんだろう」と初めて学び直していったんです。ただ単にお金を儲けるためだけではなく、社会のために貢献し、社員が元気になるような場を創造していく。そういう理念ができてから、ようやく会社らしくなってきたかなと思います。
会社の根っこは「人」。社長が一番偉いわけじゃない“メダカの学校”を目指して
——現在の三立さんは、社員の皆さんがとても生き生きと働かれていて、退職した方もよく遊びに来ると伺いました。組織づくりにおいて、大切にされている考え方はありますか。
兼松:うちの考え方は「木の根っこ」を一番大切にすることなんです。良い木って、どうしても生い茂っている葉っぱや幹に目がいくじゃないですか。でも、良い幹や良い芽が育つためには、絶対に良い根っこがないとダメなんですよ。うちでいう木の根っこって、やっぱり社員さんなんです。社員さんが生き生きと何でも言える風土があって、自己実現に向かっていけるなら、どんどん人が育って会社も変わっていくはずなんです。ただ営業スキルがあるだけじゃ限界があるけれど、その人が充実して幸せに暮らせていたら、もっと伸びるだろうなって。
——社員の方の「自己実現」を応援する中で、実際に串焼き屋さんやサウナで起業するために辞めていく方もいらっしゃるとか。会社としては痛手ではないですか。
兼松:うちにとってすっごい痛手なんですけどね(笑)。でも、せっかく知り合ったのであれば、ただ単に成果を上げるっていうだけではなく、学んだことを自分の人生に生かしてもらえるなら最高じゃないですか。うちの会社って、辞めた人間でもすごく仲がいいんですよ。また戻ってきたいですって言ってくれる人間が何人もいたり、辞めた人間から「ちょっと相談があるんです」って連絡がきたりする。それが僕にとって一番の褒め言葉なんです。誰々という個人ではなく、「三立という会社が好きだ」と言ってもらえるのが最高の喜びですね。
——そこまでの関係性が築けるのは、兼松社長が社員の方とフラットに接しているからこそだと思います。ご自身の経営者としてのスタンスについて、どうお考えですか。
兼松:僕は2代目の社長なんですが、初代のように俺が俺がと引っ張るカリスマタイプじゃないし、平和主義者だから蹴落とすのも嫌いなんです。だから、「誰が社長かわからないようなメダカの学校みたいな会社」を目指そうと。メダカの学校って、誰が生徒で誰が先生かわからないけど、みんな同じ方向に向かって泳いでいるじゃないですか。そういう柔軟な距離感でいいと思っているんです。だから社内でも「社長」と呼ばれることはほとんどなくて、「兼松さん」って呼ばれていますよ。
自分の枠に人をはめない。社員の成長を止めていたのは自分だと気づいた日
——今でこそあたたかい組織を作り上げられていますが、ここに至るまでには社長ご自身にも壁や葛藤があったのではないでしょうか。
兼松:今までで一番の壁は、自分の枠をどうやって広げるかっていうところでした。人をリスペクトしようと思っても、自分の殻があればあるほど「そんなんダメだろ」って否定する気持ちが出てきちゃうんですよ。自分の枠の中にはめるのが一番楽だから、枠にはめようとしてしまって「いいね」が簡単に押せない。自分もこうやってきたんだから、という思い込みがあるからストライクゾーンが狭くなってしまうんですよね。それを広げていく活動は本当に辛かったですね。
——長年会社を引っ張ってきたからこその「正解」があり、そこに当てはめようとしてしまう。その枠を自覚し、壊していくきっかけは何だったのでしょうか。
兼松:ある時、外部の人に「今の三立の成長を止めているのは、あんたやで」って言われたことがあって。それはもうキツかったですね。自分が先頭を走ってここまで引っ張り上げてきたと思っているのに、ズキューンって刺されるわけですから。でも、確かにそうかもって思ったんです。それからは少しずつ「いいね」が押せるようになってきました。完全に寛容になったわけじゃないけど、「あ、そういう考え方もあるよな」って思えるようになると、すごく楽になるんですよ。
——頭ごなしに否定せず、まずは「いいね」と受け入れる。それは簡単なようで、経営者としてはすごく勇気のいることですよね。
兼松:会社には絶対に譲れない理念はあるけれど、そうじゃなかったらほぼほぼ「いいね」を押していればいい。失敗させたくないから口を出したくなるけど、失敗すればいいんですよ。もったいないって言うけど、俺たちだって散々もったいないことしてきて今があるんだからって。心の中で「また俺の悪いところが出たな」って自分で気付けるようになれば、それで良しとしています。
完璧な会社なんてない。ビビッときた直感を信じて、そこで好きになればいい
——今の20代、30代の若手社会人の中には、「もっと自分に合う完璧な会社があるんじゃないか」「働く意味って何だろう」と立ち止まって悩んでいる人も多いです。兼松社長から、そういった方々へメッセージをお願いできますか。
兼松:就職や転職で「どういう基準で決めたらいいんでしょう」って聞かれることがあるんですけど、そんなの最初は分かるわけないじゃんって思うんです。まだ社会経験もそんなにないうちに、完璧な会社なんて見つけられるはずがない。だから、自分の直感を信じろって言いたいですね。「あ、この人いいな」とか「この会社の雰囲気好きだな」ってビビッときた自分の感性を信じて、チャレンジしてみればいいんじゃないかなって。
——条件や正解を探し求めるよりも、まずは自分の感性を信じて飛び込んでみるということですね。
兼松:人が人を正しく評価するなんて無理なんですよ。ただ、うちの風土に合っているか合っていないかだけの話で。だからハートに矢が刺さったなら、そこで頑張って好きになればいいと思うんです。完璧な会社なんてないし、色々と悪いところも見えてくるかもしれないけれど、それも含めて好きになっていくものじゃないですか。頭で色々考えたところで結局は分からないんだから、自分の感性を信じて、そこで自分の人生を豊かにしていく道を選べばいい。僕はそうやって生きてきて、結果的にすごく良い人生に導いてもらったなと思っていますから。

「完璧な会社なんてないから、自分の直感を信じて、そこで好きになればいい」。兼松社長から飛び出したこの言葉は、常にキャリアの「正解」や「もっと自分に合う場所」を探して迷子になりがちな私たちにとって、肩の荷がふっと下りるような一言でした。世の中には「いかに効率よく成長するか」「いかに自分を高く売るか」という情報があふれていますが、インタビューで語られたのは、ご自身の痛みを伴う生々しい失敗や、自分の殻を破れずに社員の成長を止めてしまっていたという、泥臭くも人間味にあふれる経営者としての歩みそのものでした。
退職した元社員がふらっと遊びに来たり、辞めた後の人生相談にまで乗ってしまったりする数々のエピソードからは、会社が単なる労働力の提供場所ではない、血の通った「体温のある組織」であることがはっきりと伝わってきます。明日からの仕事に対して「今のままでいいのかな」と漠然とした不安を抱えながら夜を過ごしている人にとって、自分の選んだ道を少しずつ正解にしていく強さと、不完全な自分を認めて「いいね」と言い合える関係性は、働くことの本来の豊かさを思い出させてくれるはずです。
この記事を書いた人
松下遥風
社会人3年目、2026年4月入社の新人です。「企業にとって最適なご提案・ご支援がしたい!」と思い、求人広告の業界に転職しました。就活時からの「人の人生にかかわる、人の力になる仕事がしたい」を軸に、企業だけでなく求職者のためにもなる採用支援ができるよう日々精進しています!
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