沖 拓人氏
株式会社シフク
代表取締役
(おき たくと)/ 愛知淑徳大学 福祉貢献学部卒。学生時代、友人に誘われた夜勤の介護アルバイトを機に福祉の世界へ。現場で障害者スポーツ「ボッチャ」のサポートを経験し、共に戦いメダルを目指す深いやりがいを知る。その後、「事業所の都合ではなく、利用者さんが本当にやりたいことを叶えられる会社を作りたい」との思いから26歳で独立。「介護のネガティブなイメージを変えたい」と、利用者さんと友人のように笑い合える温かい組織づくりに奔走中。
毎日同じ業務の繰り返し。「効率」や「会社のルール」ばかりが優先され、気がつけば「誰のために働いているんだっけ?」と立ち止まってしまう夜はないでしょうか。今回お話を伺ったのは、株式会社シフクの代表・沖拓人さんと、井澤さんのお二人です。彼らは、介護の常識や事業所のルールにとらわれることなく、利用者さんと一緒にスポーツに熱中し、まるで昔からの友達のように笑い合っています。仕事って、もっと自由で、もっと人間臭くていい。お二人の飾らない言葉からは、働くことの本来の体温が伝わってきました。
時給目当てのバイトが「天職」に変わった日
——最初は福祉にそこまで興味があったわけではなかったとお聞きしました。
沖社長(以下、沖):大学で福祉学部に入りましたが福祉に興味はなく、近所だったからその大学に通いたいという理由で入学したんです。いざ入ってみても最初は全然興味がなくて。ただ、そこの学部の友達が介護のアルバイトをしていて、給料明細を見たら20万円くらい稼いでいたんですよ。「何の仕事してんの?」って聞いたら「介護だよ」って。夜勤で通って多少の仮眠もとれるから、学校に行きながらでもそれくらい稼げるよって聞いて紹介してもらったのがスタートです。自分は飲食のアルバイトもやっていたんですけど、飲食だと結構苦痛に感じていた部分が、介護だと全然苦にならなくて、こんなのでお給料もらっていいのかなってくらい自分に合っていたんですよね。
——最初は稼ぐ目的で始めたアルバイトだったのですね。そこからどうやって、今の事業の基盤になるほど介護にのめり込んでいったのでしょうか。
沖:自分の中で大きかったのが、障害者スポーツの『ボッチャ』との出会いです。ボッチャには障がいによってクラスが4つあって、一番重いクラスがBC3と言うのですが、自分の手で投げられないため、滑り台みたいな道具を使って競技をするんですね。その時に操作する影武者みたいなアシスタント役を健常者が一緒にやるんですけど、その人も選手として扱ってもらえて、パラリンピックとか行くとユニフォームも着て、表彰台に上がってメダルももらえるんです。僕が学生の時に関わっていた方が優勝した時、僕もただ指示通り動いていただけなのに、周りの方から「すごいですね」って褒めていただいて、表彰もされて。
——サポート役もただの裏方ではなく、完全に一緒に戦う選手なんですね。
沖:そうなんです。ゴルフで言うところのキャディーさんみたいな、ボクシングで言うところのセコンドみたいな感じで、本当に一緒に戦っている感覚なんです。自分から「こうしたらいいんじゃない?」ってアドバイスとかボール調整をしていく中で勝っていくと、やっぱり嬉しさがあって。ただ支えているっていうよりかは、本当に一緒になって楽しんでいるという感覚がすごく魅力的で、そこから福祉の世界にどんどん惹かれていきましたね。
「ルールだから」で諦めたくない。26歳での独立
——そこからご自身で会社を立ち上げようと思ったのは、どのような経緯だったのでしょうか。
沖:やっぱり利用者さんからしたら、ボッチャの支援をしてほしいっていう要望があるんですけれど、事業所としては「それはヘルパーの仕事じゃないから」ってお断りされたり、あまり協力的じゃないなっていうのがあったんです。利用者さんがやりたいことができないんだったら、自分で立ち上げて、親身に対応できる事業所にしたいという思いがありました。かっこつけて言ってるように聞こえるかもしれないですけれど、それが本当に根底にあります。どうせやるんだったら、利用者さんがやりたいことを聞いて、それに向けて一緒にやっていきたいなという。ボッチャは自分の得意分野ではありますけど、例えば電動車椅子サッカーとかブラインドサッカーをやりたいのであれば、他の事業所でだめって言われても「うちはいいですよ」って言えるような場所にしたいと思ったんです。
——それが26歳の時ですね。利用者さんから見れば、自分のやりたいことを事業所の都合で断られず、一緒に楽しんでくれる存在は本当に心強いと思います。
沖:やっぱりそういう思いに賛同してくれて、「そこいいね」って思って利用者さんが結構入ってきてくれたりとかっていうのもあるので。もちろん医療的ケアとかルールに反しているようなことは一切やってないんですけど、例えば利用者さんが映画を見に行ったり、カラオケに行ったりするのも、事業所によっては「何かあったら困るから」って禁止しているところが多いんです。法律上や重度訪問介護という事業の中でOKなことでも、事業所の独自ルールでだめだったりするんですよね。うちは法律のルールがOKだったら、利用者さんの満足度を最優先して、なんでも一緒に楽しむようにしています。
アクセルとブレーキ。正反対の二人が作る「居場所」
——井澤さんが合流されてから、会社としての基盤がかなり安定したとお伺いしました。お二人の出会いはどのようなものだったのでしょうか。
沖:僕、ほんと書類とか整理とかも全然できなくて、とりあえず勢いで何でもやっちゃってたんです。3〜4年目に、役所の運営指導があった時も、当時はまだ責任者とかがいなくて僕がやってたんで「これもやってないです、これもやってないです」っていうひどい状況でした。でも井澤が来てくれてサービス責任者をお願いして、動いてもらってからはもう会社も安定してきて、すごいいい方向に向いてきて。
井澤:もともと僕は新卒で営業職に就いたんですが、全然やりたくなくて1年以内に辞めてしまって。高校生からずっとアルバイトをしていた焼肉屋をやりたかったんですよ。でも資金がないから、先輩がやっていた介護の仕事をアルバイトで始めて、事業所を5個くらい掛け持ちして登録していたんです。その最初の出会いが、沖社長が職員でいた事業所での研修でした。「同い年だね」って話をしていて、僕の大学の一番仲いい友達の話をしたら、それが沖社長の高校の同級生だったんです。そこから繋がって、途中で僕が結婚して結婚式も来てくれて、かなり長い付き合いですね。
——すごいご縁ですね。井澤さんから見て、沖社長の事業所に関わろうと思った決め手は何だったのでしょうか。
井澤:さっき言ったアクセルじゃないですけど、僕に持っていないものを持っているんですよね。僕はどっちかというとリミッターがついていて、あんまり踏めないような状態なので、「これどうしたらいいだろう」っていう不安があるんですけれど、その部分を持っている社長なので、一緒にやっていけたらちょうどいいバランスなんだろうなって。あとは従業員に対する給料とかの上でも、自分を削ってでも還元したいっていう思いがあって、それも最初から言ってくれているんで、それならついていこうと。
沖:僕がもうアクセル踏んで、井澤がハンドル握ってブレーキを踏んでくれるっていう関係ですね。本当に助かってます。彼がいなかったら本当に終わってたぐらい(笑)。でもやっぱり、介護って結構底辺の職業っていうランキングに載ったりとか下に見られやすいんで、ネガティブなイメージを変えていきたいと思っています。
——しっかり稼いで還元するという姿勢がある一方で、採用の面では「お金だけで動く人」には違和感があるともおっしゃっていましたね。
沖:そうですね。動いてくれたらその分還元して一気に昇給してあげたいんですけど、幹部になるような人が「この時間で給料つくの?」みたいにお金ありきになっちゃうと、やっぱり指示しづらくなりますよね。利用者さんがやりたいことを嫌な顔一つせず「やりますよ」って言ってくれる人が理想なんです。外出支援で「ここ連れてって」って言われた時に、「今日雨だから家にいようよ」って嫌な顔をする人より、雨の日でも一緒に楽しんで、部屋に戻る時に言われなくても車椅子のタイヤを拭いてくれるような。せめて、人のために動ける人じゃないと、うちの会社にいても孤立していくのかなとは思います。
「働く」とは、人と交わり、共に楽しむこと
——利用者さんとの関係性が、本当に「友達」のように近い距離感だなと感じます。
沖:たぶんSNSとかで僕らが利用者さんと接しているところを見ると、本当に友達みたいに見えると思います。役所からは「利用者さんなんだから、おい、とか呼ぶのはどうなの?」って注意されるくらい仲が良すぎて。でも、SNSのコメントを見ると「楽しそう」とか「そこで働きたい」「こういうのを求めてた」って温かいコメントしかこないんです。逆に言うと、国や役所の感覚が現場のリアルに追いついてないんですよね。本来そうあるべきだと思うし、利用者さんもそれを求めている気がします。
——なるほど。リスクを管理することも大事かもしれませんが、それ以上に目の前の人の感情に寄り添うことを大切にされているのですね。
沖:長時間一緒に過ごすわけですから、ロボットみたいに動いてくれるより、世間話をしたり愚痴を聞いたりした方が絶対に楽しいと思うんです。他の事業所だと、リスクを避けるために連絡先を交換させないとか、仲良くなりすぎないように常に担当をローテーションさせるとかもあるみたいなんですけど、うちはもう仲良くなって、楽しくやってほしいんです。もちろん利用者さんが真面目な対応を求めているならしっかりやりますけど、出会った利用者さんや障がいを持った方は、やっぱりみんな楽しい時間を求めていると思うんです。
——今後の展望についても教えていただけますか。飲食事業も少し考えられていたと伺いましたが。
沖:実は井澤と一緒にラーメン屋もやっていたんですが、最近の水害でキッチンが埋まるくらい浸水してしまって、今は営業していなくて畳む予定です。でも、お互いに子供がまだ小さくて家族サービスもあるので、ゆくゆくは落ち着いてから将来的に二人で焼肉屋をやりたいなとは僕の中で考えています。今はとにかく福祉の方で安定させて、基盤がちゃんと出来てから次に進もうと思っています。
——お二人の関係性を見ていると、他のスタッフの方にも同じように愛情を持って接しているのが伝わってきますし、こういう大人たちがいるからこそ、業界がもっと明るくなっていくのだと感じました。
沖:こんなんでお金をもらっていいのかなって今でも思うことがあるくらい、自分たちが仕事を楽しんでいますからね。これからも、利用者さんが希望するのであれば柔軟にスタイルを変えながら、みんなが楽しいことを求めて一緒に生きていける事業所にしていきたいです。

今回のインタビューを通して、沖社長と井澤さんの「ルールよりも目の前の人」という体温のある姿勢に強く惹かれました。「ヘルパーの仕事じゃない」と断られた経験を原点に、利用者さんと本気で遊び、笑い合う。その根底には、綺麗事でもお金のためだけでもない、純粋に「人と関わる楽しさ」がありました。効率やルールばかりが優先されがちな今の時代。だからこそ、「このままでいいのかな」と立ち止まった時に、彼らのような泥臭くも温かい大人の働き方が、一つのヒントになるのではないでしょうか。「働く」とは、人と交わり、共に楽しむこと。お二人の飾らない言葉から、そんなシンプルな本質を教えてもらった気がします。
この記事を書いた人
中村 将幸
新卒で自動車ディーラーでの営業職に従事した後、2016年に中途でアクセスに入社。自身が転職時に不安に感じていた点も踏まえ、求職者に寄り添った採用支援を心がけています。営業職の他、清掃業、警備業等の業界を得意としております。「その企業にしかない魅力」が必ずありますのでそれを発掘します。
営業
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