「誰かが倒れても回る組織にする」危機的状況から巻き返し、現場で築いた本当の仕事の価値ーー株式会社アイラス

「誰かが倒れても回る組織にする」危機的状況から巻き返し、現場で築いた本当の仕事の価値ーー株式会社アイラス

鈴木 孝明氏

鈴木 孝明氏

株式会社アイラス

代表取締役社長

(すずき たかあき)/ 18歳で家業である有限会社幡豆配管センター(現・株式会社アイラス)に入社。職人気質で厳しい父のもと、10年間の下積みを経験する。2006年、父が倒れたことで28歳にして突然社長に就任。右も左もわからない状況の中、周囲に頭を下げて仕事を覚え会社を存続させた。現在は「社員とその家族の幸せ」を第一に掲げ、海外展開など多角的な事業拡大に挑戦し続けている。

 

愛知県西尾市に本社を構える株式会社アイラスの代表取締役社長、鈴木孝明さんは、28歳のときに突然会社のトップに立たされ、「知識ゼロ」の絶望的な状況から這い上がってきた過去を持っています。もともとは町の水道屋さんとしてスタートした企業ですが、今ではお客様の「家の困りごと」を包括的に解決する企業へと成長し、海外事業にも目を向けています。そこには、「自分が味わったような地獄の苦しみを、社員やその家族には絶対にさせたくない」という、極めて現実的で体温の通った強い決意がありました。圧倒的な下積み時代から現在に至るまでの、リアルな仕事の軌跡を伺いました。

 

「親父の会社だから仕方ない」配管を触らせてもらえなかった10年間の下積み

 

——鈴木社長は18歳で、家業である「幡豆配管センター(現・株式会社アイラス)」に入社されたとお聞きしました。当時はどのような経緯で家業に入られたのでしょうか。

 

鈴木社長(以下、鈴木):もともとは高校を卒業したら、すぐに親の会社に入るのではなく、一旦は外の会社で修行みたいな形で働いていく予定だったんです。ただ、その修行先の会社に入ってすぐに子供が生まれたこともあり、結局そこでの修行は中途半端に終わってしまい、そのまま家業に入ることになりました。

当時の会社は社員もおらず、両親と私だけの本当に小さな組織でした。子供の頃から両親を見ていて「年末年始も仕事ばかりで大変そうだな」という印象は持っていたんですが、いずれは継ぐんだろうなという事実はなんとなく受け入れていて、「どうしても嫌だ」というわけでも「絶対にやってやる」という強い気持ちがあったわけでもなく、ただ「親父がやるって言うから仕方ないか」という感覚でしたね。

 

——入社されてからは、すぐに現場の最前線で水道工事の技術を叩き込まれていったのですか。

鈴木:いえ、それが全く違うんです。入社してから社長に就任するまでの約10年間、メインの業務である「配管」の仕事は一切させてもらえませんでした。私の父は昔ながらの職人気質というか、「背中で学べ」「見て覚えろ」というタイプの人で、とにかく自分しか信用していないようなところがあったんです。

だから、私が任されるのは常に配管の施工業務周辺の雑用や、手前の準備の仕事ばかりでした。お客様からお金をもらっている以上、失敗は許されないという父なりの責任感だったのだと思いますが、「早くやらせてほしい」という悔しさもあり、「親父が自分でやるって決めているなら仕方ないな」という思いもありながら、ずっと下積みを続けていたのが20代前半のリアルな現実です。

 

28歳での予期せぬ社長就任。どうしたらいいかわからない絶望の中で頭を下げ続けた日々

 

——そこから2006年、突然社長に就任されたのはどのような背景があったのでしょうか。

 

鈴木:父が突然倒れてしまい、現場に出て仕事ができなくなってしまったんです。父の職人技と人間関係で回っていた会社だったので、父が動けなくなった瞬間になにをどうしていいのやら、何もわからなくなってしまいました。仕事の依頼の電話はかかってくるんですが、私はそれまでずっと手元の雑用しかやっていなかったので、見積もりの作り方もわからないし、行政に提出する書類の書き方も全く知らない状態でした。

本当にいきなりすべてを背負うことになって、まさにパニック状態でしたね。当時はもう、悔しいとか悲しいとか言っている余裕すらなくて、とにかく目の前の仕事をどうにかしてこなしていくしかなかったんです。

 

——全く知識がない中で、その絶望的な状況をどのように乗り越えていかれたのですか。

 

鈴木:とにかくプライドを捨てて、知っている人に頭を下げて教えてもらうしかありませんでした。水道の仕事をするには行政への書類提出が必要なのですが、そのやり方がわからないので、別の組織に通い詰めました。そこにいる先輩方はみんな60代くらいの年上の方ばかりで、正直「行きたくないな、嫌だな」と思うこともありましたが、わからない以上は素直に教えてもらうしかない。

妻や家族にも総出で手伝ってもらって、朝から晩まで無我夢中で働きました。あの頃は本当に忙しすぎて、体力的にも精神的にもギリギリで、「自分は何のために仕事をしているんだろう」と考えることすらできないくらい、死に物狂いで毎日を乗り切ることに必死でした。今の年齢になったら、あの無茶な働き方は絶対にできないと思います。

 

営業活動ではなく、現場の「お茶の時間」から新しい仕事の価値が生まれた

 

——苦しい時期を乗り越え、その後は順調に事業を拡大されていきます。何か戦略的な営業活動や、ターニングポイントになるような出来事があったのでしょうか。

 

鈴木:実は、一生懸命に営業をかけて売上を伸ばしたという感覚はあまりないんです。昔は1日がかりの現場になると、10時と15時にお客様から休憩のお茶やお菓子を出していただく習慣があって、そこでお客様と一緒に世間話をする時間がよくありました。その雑談の中で、「ちょっとここがギシギシするんだけど」とか「大工さんを知らない?」といった、水道以外の困りごとを相談されることが増えていったんです。

水道屋だからといって「それはうちの仕事じゃないので」と突っぱねるのではなく、「知り合いの大工さんを紹介しますよ」とか、自分たちで間に入って解決するようになりました。

 

——なるほど。お客様からすれば鈴木社長は、家の困りごとを何でも解決してくれる窓口のような存在になっていったのですね。

 

鈴木:そうですね。お客様にとって一番嬉しいのは、色々な業者を自分で探す手間が省けて、信頼できる人間が全部手配してくれることです。「鈴木さんに頼めば安心だ」と喜んでいただけて、その現場での仕事ぶりや対応が口コミで広がっていき、結果的に次の仕事に繋がっていくという流れができていきました。

一生懸命に配管工事だけを黙々とやって帰るだけではなく、人間関係を作って相手の役に立とうと動いたことが、事業の枠を広げてくれたのだと思います。

 

「誰かが倒れても回る組織に」社員の幸せのために会社を大きくする

 

——社長ご自身の苦い経験を経て、現在は「あなたと共に幸せの分かち合い」という経営理念を掲げられています。この言葉にはどのような思いが込められているのでしょうか。

 

鈴木:私自身、父が倒れた時に仕事のやり方もわからず、本当に地獄のような苦労をしました。だからこそ、今うちで働いてくれている社員たちや、その家族には、絶対に同じような思いをさせたくないんです。

昔の私のように、誰か一人が倒れたらそのまま立ち行かなくなるような属人的な会社ではなく、誰かが倒れても他の誰かがしっかりとバックアップして経営を継続できる「組織」を作らなければならない。会社を大きくして利益を出していく理由は、まさにそこにあります。社員のみんなが安心して働き、望む幸せを実現できる土台を作るためには、企業としての規模や体力がどうしても必要なんです。

 

——社名を「幡豆配管センター」から「アイラス」へ変更されたのも、そうした組織の成長を見据えてのことだったのでしょうか。

 

鈴木:はい。「配管センター」という名前のままだと、どうしても水道工事だけの会社という固定されたイメージがついてしまいます。多角化していく中で、お客様にとっても働く社員にとっても、もっと前進していく柔軟なイメージを持たせたかったんです。社内で公募をして、「愛」や「明日」、そしてフランス語で翼を意味する言葉などを組み合わせた造語として「アイラス」に決めました。

今はフィリピンでの事業展開など、新しい市場への挑戦も進めています。これもすべて、パイを広げて会社を強くし、社員に還元できるものを増やしていくための延長線上にあるものです。これからも現場の信頼を積み重ねながら、働く人たちが安心して人生を預けられるような会社を作っていきたいと思っています。

 

「今のままでいいのかな」と、キャリアに悩むビジネスパーソンにとって、 鈴木社長の「親父がやるから仕方ない」という受け身のスタートは、どこか親近感を覚えるのではないでしょうか。最初から立派なビジョンがあったわけではなく、予期せぬピンチの中で頭を下げ、目の前の人の役に立とうともがいた結果が、今の「誰かが倒れても回る組織」という強い決意につながっています。

綺麗事だけではない、地を這うような経験から生まれた「社員を幸せにする」という言葉の重み。圧倒的な熱量と体温を持った大人が西尾市で確かに働いているという事実が、読者の皆さんが「働く意味」をもう一度捉え直す小さなきっかけになれば嬉しいです。

この記事を書いた人

岡田大貴

岡田大貴

2011年中途入社。求人広告業界歴18年以上。一貫して愛知県の中小企業様の採用をご支援。アルバイト・パート・派遣から正社員まで幅広い雇用形態に対応可能。常にお客様に寄り添う「伴走型」のパートナーとして、採用課題の解決に向けて一緒に取り組んでいる。

営業

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