原田 啓司氏
株式会社K&H
代表取締役
(はらだ けいじ)/高校卒業後、整備士の夢を諦め、医療機器営業や運送業など20代前半は職を転々と過ごす。20代半ばで中古車買取販売会社に入社するも、大きなミスがきっかけで退職。恩師である当時の社長の言葉を胸に再起し、猛烈に働き実績を残す。2017年に独立して個人事業として創業し、2018年に株式会社K&Hを設立。「中古車業界をグレーからホワイトに」を掲げ、創業数年で年商10億円を達成し、現在は30億円を目指し躍進中。
愛知県みよし市に本社を構え、創業からわずか数年で年商10億円を突破し、現在はさらなる高みである30億円を目指して躍進を続ける株式会社K&H。
「中古車業界をグレーからホワイトに」というミッションを掲げ、価格の透明化を徹底し、顧客からの圧倒的な支持を集めている同社ですが、代表取締役である原田社長の20代は、現在の経営者としての姿からは想像もつかないほど遠回りと挫折の連続だったと言います。
「このままでいいのかな」と自分のキャリアや生き方に漠然とした悩みを抱える若手社会人へ向けて、原田社長が自身の泥臭い経験から得た「働く意味」や、会社という組織が持つ確かな体温について、飾らない言葉でたっぷりと語っていただきました。
何者でもなかった20代と、人生を変えた「失敗」
──現在の輝かしいご経歴からは全く想像がつきませんが、20代の頃は職を転々とされていたとお聞きしました。最初から車業界を志していたわけではなかったのでしょうか。
原田社長(以下、原田):実は高校を卒業する間際まで明確な進路が決まっておらず、最初は車好きだし整備士になれたらいなと漠然と思っていて、専門学校の体験入学にも行っていたんです。
卒業したらそこに入って、ゆくゆくは大手自動車メーカーのディーラーに就職できればいいなと軽い気持ちで考えていました。ところが、 母親から「やめておきなさい」と強烈な言葉で猛反対されてしまいまして。今思えば母親なりの理想の社会人像があったのではないかと思っていますが…。
父親はいいじゃないかと言ってくれたのですが、僕自身そこで完全に心が折れてしまって、結局何も決まらないまま高校を卒業し、最初は母親の知り合いの医療機器の会社に営業として入社することになりました。
──19歳からいきなり営業職として社会人生活をスタートされたのですね。
原田:でも、医療機器になんて全く興味が持てませんでしたし、仕事自体も本当につまらなく感じてしまって、20歳になるかならないかくらいのタイミングで1年ちょっとで辞めてしまったんです。
そこからは職を転々としていまして、ガソリンスタンドでバイトしながら昼間は配送の仕事でダブルワークをしたり、人材派遣のコーディネーターをやったり、今の会社からは想像もつかないようなフラフラとした日々を送っていました。
その後に入った車屋さんの仕事が2〜3年と一番長続きしたのですが、当時の僕は世の中をちょっと舐めていたというか、「何かあってもなんとかなるだろう」と深く考えずに生きていたどうしようもない時期でしたね。
──そこから何か、ご自身の仕事に対する価値観や生き方を変えるような大きな転機があったのでしょうか。
原田:当時結婚を考えていた方がいて、それを機に安定した公務員を目指そうとした時期がありました。しかし、どうしても自分の適正や興味とは違うなという感覚がぬぐえなくて。結果的にその方とはお別れすることになり、かなり落ち込みましたが、その経験があったからこそ、「自分はやっぱり車が好きなんだ」という気持ちに気づけたと思っています。
──それはかなり辛いご経験でしたね。その後はどのようにして立ち直っていかれたのでしょうか。
原田:そこから一旦営業の仕事から離れようと思って、トラックの運転手として愛知県内の市場で野菜や乾物を飲食店に運ぶ仕事を始めたのですが、給料も安くて借金も抱えてしまい、本当にどうしようもない日々が続いていました。
やっぱり人と話す営業がやりたいと思い直して、転職して今の仕事につながる中古車買取販売の会社に入社したのですが、そこからが僕の人生で一番のどん底でしたね。入社後10ヶ月の間に遅刻を繰り返した挙句、2回連続で大きなミスを起こしてしまったんです。
当時の社長からは遅刻をするたびに「ここで直さないと、お前はもっと大きいことをやらかすぞ」と何度も怒られていたのに、当時の僕は「そんなことないでしょう」と社長の言葉を全く重く受け止めておらず、そのツケが最悪の形で回ってきて初めて、自分の生き方の情けなさに気づかされました。
──短期間で2回の大きなミスですか…。
原田:はい、2回連続での大きなミスということで、社長からも直接「もう辞めてもらうしかない」と言われ、本当に自分の情けなさに打ちひしがれていました。
でも、辞める時にその社長が「1年後、2年後にしっかり自分を立て直して、またうちで働きたいと思ったら、俺宛に履歴書を送ってきてくれ」と最後に言葉をかけてくれたんです。
こんなろくでもない働きをしていた自分に対して、そんな助け舟を出してくれたことが本当に嬉しくて、工場に派遣社員として勤務して食いつなぎながら「次に戻ったら絶対に会社に貢献しよう」と心の底から誓い、無事に復帰してからは今までにないくらい無我夢中でがむしゃらに働き始めました。
「一人親方」からの脱却と、10億円企業への道
──恩師の会社に復帰されてからは、まさに別人のように猛烈に働き、最終的には支店長候補にまで上り詰めたとお聞きしました。そこからなぜ独立という道を選ばれたのでしょうか。
原田:会社に戻ってからは、自分に何が足りないのかを常に考え、他の支店でトップの成績を出している人たちを見て「同じ人間なんだから自分にできないわけがない」と言い聞かせてひたすら数字を追いかけました。
結果として次の支店長をやってほしいというお話までいただけるようになったのですが、ちょうどその頃に一緒に仕事をしていた新しい支店長と仕事への考え方が合わず、進め方やスタンスで悩むようになりました。
それをきっかけに自分がどんな仕事をしたいのか本気で考えるようになって、いつかはやりたいと心の中で思っていた独立を決断しました。
──独立当初は人を雇わず、完全に一人で事業を回されていたそうですが、当時はどのような働き方をされていたのですか。
原田:結婚して家を建てていたので、最初は自宅の書斎を事務所代わりにして、最初の4年間は本当にたった一人で駆け抜けました。
自分で車を買い付けに行って、引き上げて、書類も全部自分で作成して陸運局に持っていき、家の前で車を洗車して仕上げてからオークションに出品するという、目が回るような忙しさでしたね。
当時は今みたいに車を運ぶ積載車も持っていなかったので、自走で車を運んで帰りは電車で帰ってくるという生活を繰り返していて、売り上げは右肩上がりでしたが一人でやる限界を強く感じていた時期でもありました。
──そこから現在のように従業員を増やし、組織として会社を大きく成長させていくきっかけは何だったのでしょうか。
原田:2021年頃に、現在のビジネスパートナーと出会ったことが非常に大きなターニングポイントになりました。彼からいきなり「この10年で10億円規模の会社にしましょう」と言われて、最初は「この人はいったい何を言っているんだ」と呆気にとられてしまったんです(笑)。
当時は会社を大きくしたいなんて全く思っておらず、とりあえず家族が不自由なく暮らしていければいいと考えていたのですが、彼の話を聞いているうちに「どうせ仕事をするなら、自分がどこまでやれるか挑戦してみるのも面白そうだな」と心に火がつきまして。
現状維持で家族だけが暮らせればいいというのはある意味で守りの考え方ですから、だったらやったことのない景色を見るために人を入れようと決意し、家の近くにアパートを借りてそこを事務所にして初めての採用活動をスタートさせました。
──実際に人を雇い入れて、会社を組織化していくプロセスで苦労されたことはありましたか。
原田:最初は自分がやっていた業務を教えながら自分の数字も作らなければならず、さらにその子の給料は絶対に払わなければいけないというプレッシャーもあったので、一人の時よりもめちゃくちゃ忙しくて大変でした。
でも、ワンマン経営には絶対にしたくなかったので、お金の管理や書類作成など自分が不得意なことは思い切ってスタッフに任せ、自分は「営業を育てること」だけに注力するという役割分担を徹底したんです。
自分が無理して抱え込んでいた業務を手放したことで組織としての風通しが良くなり、結果として目標だった年商10億円を前倒しで6期目で達成することができました。
業界の常識を覆す「嘘のない商売」と会社の体温
──現在はさらに高い目標である「9期目の2026年で年商30億円達成」を目指して走っていらっしゃいますが、営業メンバーの方々がこれほどモチベーション高く成長し続けている理由は何だとお考えですか。
原田:数字を追う楽しさも当然あると思いますが、根底にあるのは2年ほど前に定めた経営理念である「ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)」がようやく社内に浸透してきたからだと感じています。
うちはミッションとして「中古車業界をグレーからホワイトに」という使命を掲げていて、バリューに「記憶と思い出に残るおもてなし」、ビジョンに「中古車売買を通してみんなが幸せ」という言葉を置いています。
実はこれを作った当初、ある日の会議で「MVV言える?」と聞いたら誰も答えられず、日々言葉に出して伝えていなかった僕の責任だと猛省しまして、そこからは会議の度に全社員で経営理念の確認作業をしています。
──理念を毎日言葉にして共有することで、社員の方々の意識にどのような変化が生まれたのでしょうか。
原田:僕自身も会社員時代は経営理念や会社のミッションなんて「何の意味があるんだろう」と嫌々やっていましたが、今ならその重要性が痛いほどよくわかります。
理念を日々意識することで、社員たちの考え方が「自分だけの売り上げのため」から、「お客様とみんなが幸せになるために、自分はどう行動するべきか」という本質的な思考に明確に変わってきました。ただ数字だけに追われてお客さんが不幸せになってしまったら、うちの掲げる「みんなが幸せ」というビジョンから完全にずれてしまいますから、基本的な接客やおもてなしができた上での数字なんだと常に言い聞かせています。
──ミッションにある「中古車業界をグレーからホワイトに」というのは、現場レベルではどのようなアクションとして体現されているのですか。
原田:一般の方にはなかなか中古車の値段の妥当性がわからない。そこの「グレー」をなくしていきたいんです。当社では、会社が車を購入する時にオークション会場から開示してもらう評価点や展開図をお客様とも共有し、頂く手数料と一緒に全部見せるようにしています。なぜこの値段なのかをはっきりさせることでお客様から信頼してもらうということを徹底していて、この方針は実際にとても好評です。
──そこまで手の内を明かしてしまうのは勇気がいることだと思いますが、結果としてそれが高い顧客満足度に繋がっているのですね。
原田:お客様が思い入れのある愛車を手放したり、新しい車を買ったりする場面というのは人生の中でそう何度も経験することではない特別な瞬間ですよね。
だからこそ、その思いに真摯に寄り添って「人で勝負しよう」とメンバーには強く伝えていて、それが口コミや紹介という形で確実に成果として表れてきています。
──最後に、過去の原田社長のように「このままでいいのかな」とモヤモヤしながら働いている20代・30代の読者に向けて、何かメッセージをお願いできますか。
原田:アドバイスというより、「失敗を恐れずにとりあえずやってみよう」と伝えたいですね。僕自身、見捨てることなく助け舟を出してくれた恩師との出会いがなければ今の自分はありませんし、失敗を経験してこなかった人がいきなり躓くと、落差が大きすぎて立ち直れなくなってしまうと思うんです。
「このやり方が間違っていたから失敗したんだな」と見直して次に活かすことができるのは失敗した人間の特権ですから、物事を難しく考えすぎず、シンプルにとりあえず行動してみるのが一番です。
もしそれで一人で悩んで立ち止まっているなら、「一緒にやろうか。一緒に頑張ろう」と、隣に立って声をかけてあげたいですね。僕にとって一番嬉しいのは、今こうして一緒に働いている仲間が楽しそうに成長していく姿を見ることですから。

取材を終えて一番心に残ったのは、「失敗を恐れるな」という言葉が、いわゆる成功者の綺麗事ではなく、泥臭い実体験から滲み出た本音だったことです。20代の自分を「何も考えていなかった」と笑い飛ばしつつ、遅刻や事故で信頼を失い、借金まで抱えた過去を包み隠さず語る原田社長の姿に、不思議なほどの安心感を覚えました。
「このままでいいのかな」と立ち止まりそうになる夜、私たちはつい完璧なキャリアや正解を探して身動きが取れなくなってしまいます。しかし、原田社長のように「とりあえずやってみる」「間違えたら見直す」というシンプルな行動の積み重ねが、やがて「みんなが幸せになるため」という確かな体温を持った仕事へと繋がっていくのだと気づかされました。
最初から立派な志がなくても、失敗を重ねながら少しずつ前に進めばいい。株式会社K&Hという真っ直ぐで温かい組織の根底には、そんな人間臭くて魅力的な社長の歩みが息づいています。明日からの仕事に向き合うのが少しだけ軽くなるような、確かな熱量を受け取った時間でした。
この記事を書いた人
飯沼京子
2015年入社。丁寧なヒアリングとフォローをモットーに採用課題の解決に取り組んでいます。企業と求職者の架け橋になれるよう、魅力の発掘を目指し、日々お客様に寄り添い求人広告を作っています。
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