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小川 将平氏
株式会社北斗
取締役
小川 将平(おがわ しょうへい)/大学在学中に宅地建物取引士を取得し、新卒で大手不動産会社に入社。約3年半の勤務を経て家業である株式会社北斗へ入社。不動産事業の立ち上げに奔走し、現在は新たに展開するカフェ・ウェディング事業の立て直しと拡大を牽引。自身の強みである「人が集まる力」を武器に、数十億円規模へと急成長する組織の中で葛藤しながらも次期社長として奮闘中。
愛知県一宮市。祖業である建設業や庭づくりから始まり、現在は不動産、介護、さらには飲食やウェディングまで多角的に事業を展開する株式会社北斗。従業員数はわずか10年弱で約40名から300名規模へと急拡大し、売上も数十億円規模へと成長を続けています。
そんな同社で現在、次期社長として現場の最前線に立ち、新規事業であるカフェ・ウェディング事業の立て直しに奔走しているのが小川将平さんです。
「次期社長」と聞くと、順風満帆なエリート街道を歩んできたのだろうと想像するかもしれません。しかし、彼の口から語られたのは、自身の未熟さに対する葛藤や、恩人からの逃げ出したくなるほどの厳しい叱責、そして「一緒に働くスタッフに申し訳ない」と本気で悔しがる、等身大の姿でした。「このままでいいのかな」と悩み、働く意味を見失いかけている愛知の20代・30代の背中を、人間味あふれる飾らない言葉で押してくれるインタビューをお届けします。
貧しかった幼少期から、父の背中を追って夢見た原体験
ーー小川さんが家業を継ぐと決めた背景を教えてください。
小川取締役(以下、小川):創業したての頃は本当に貧乏だったんですよ。母親から聞いた話では、収入が減りすぎて「おむつの支給をしましょうか」と市役所から言われたくらいだったそうです。僕が小学校に上がるくらいまでは、お風呂のお湯も勝手になくなっていくような、僕が「ボロ屋」と名付けていた家に住んでいました。トイレも当時の平成なのにボットントイレで、怖くて一人で行けなかった記憶がありますね。そこから父が一生懸命働いて、少しずつ会社を大きくして立派な家を建ててくれたんです。そういう”成り上がっていく姿”を間近で見ていて、純粋にかっこいいなと憧れていました。
ーー中学生の頃にはすでに、お父様を手本にして家業を継ぐという将来像を思い描いていたそうですね。
小川:中学生くらいの時にはもう、どこかの会社に入社して頑張るより、手本になる父親がいるならそこを習って跡を継いだ方が早いかな、なんて浅はかに思っていたんです。でも、当時の父は1年のうち360日くらい働くような人でした。高校を卒業してすぐその生き方をするのはちょっと無理だなと思って、「人生の夏休みとして大学に行かせてください、社会に出たら馬車馬のように働きますから」と頭を下げて大学に行かせてもらいました。ただ、どうせ社会に出たら働かなきゃいけないと決めていたので、大学時代は遊びながらも、父の勧めで宅建の資格取得に向けて毎日朝から晩まで猛勉強していましたね。3年生の時に舐めてかかって一度落ちてしまったので、4年生の時に「さすがに受からなあかん」と週2〜3日は資格の学校に通って必死に勉強しました。
大手不動産会社への就職と、「俺も行くわ」と家業についてきてくれた恩人の存在
ーー大学卒業後は、すぐに実家へ戻るのではなく新卒で大手不動産会社へと就職されています。そこにはどのような狙いがあったのでしょうか。
小川:将来的に北斗へ帰ってくる時、外構や庭づくりのことを身につけて帰ってきても、社内のみんなはすでに知っていることじゃないですか。だったら、家そのもののことや不動産など、住宅関係で他の業種について勉強して新しい知識を会社に持ち帰った方が役に立つかなと思って、新卒で大手不動産会社に入社しました。不動産の仕事自体は、自分が契約した土地が新しい街に変わっていく様子を地図で見られたりして、とてもやりがいがあって面白いなと思っていました。ただ、正直言うと営業としてそんなにパッとしなかったというか、特別に華やかな実績を作っていたわけでは決してないんですよ。能力はあるけどもう一歩花開くきっかけがないよね、みたいなキャラクターで先輩方から可愛がってもらってはいたんですけどね。
ーー大手企業で約3年半勤めた後、いよいよ家業へ戻る決意を固めた際、小川さんのその後のキャリアを大きく左右する出来事があったと伺いました。
小川:僕の着任時の指導役だった10歳上の先輩に「色々なきっかけがあって僕辞めようと思うんです」と伝えたら、「俺も行くわ」と言ってくれたんです。その人は会社でも次期キャリア組として出世していくような優秀な人だったのに、僕についてきてくれて、今でも北斗の不動産事業部長としてやってくれています。後から聞いた話ですが、新卒で素人だった僕が先輩方のゴルフコンペにひょこひょこついて回っていたような行動力や可愛げを感じてくれていたようです。一宮の七夕祭りでうちの会社がブースを出していた時に、遊びに来た先輩へ父がフランクに「うちの会社においでよ」と気さくに声をかけたこともありました。そうしたご縁が重なり、一緒にやっていったら面白いと思ってくれたみたいです。本当に素敵な出会いでしたし、実家に戻っても大丈夫だと思えた大きなエピソードですね。
天狗になりかけた自分を打ち砕いた、すべてを投げ出して逃げ出したくなるほどの叱責
ーー優秀な先輩と共に実家の不動産事業をスタートさせた後、すぐに軌道に乗せることができたのでしょうか。
小川:「実家に戻ってきて不動産事業をスタートさせた1年目は、前職からのつながりなどもあって、なんとなく僕個人の力で数字ができてしまったんです。それで少し調子に乗ってしまったというか、大手時代にあった制限がなくなって自由になっちゃった部分があって。そうしたら、天狗になりかける前にその先輩からスコーン!とだいぶきつくやられました。仕事への姿勢はもちろんですが、立ち振る舞いや言葉遣い、お金の使い方まで、「周りからそういう目で見られているんだぞ」と言われるくらい厳しく言ってもらえて。今はありがたいですが、当時この人を見返したいなとか、全て投げ捨てて逃げたいなってくらい追い込まれましたね。
ーー厳しい指導に心が折れそうになりながらも、そこからどのようにして持ち直したのでしょうか。
小川:妻にも話したんですけど、「全然辞めてどっか逃げていいよ、ついていくから」って言ってくれて。でも、そう言われたら「まあ、もうちょっと頑張るわ」ってなるじゃないですか。そこからは、大手時代にはできていた「報連相の徹底」や「自分のスケジュール管理」など、細かいところから自分を叩き直しました。結果的に、一般のお客さま相手から不動産屋さんたちを相手にするBtoBのビジネスモデルに切り替えたことで、自分の得意だったフットワークの軽さや人付き合いが活きるようになって、業績をV字回復させることができたんです。あの時、僕を見捨てずに厳しく言ってくれた先輩の存在がなければ、今の僕はありません。
「器が追いつかない」急成長する組織への恐怖と、赤字事業を抱えるもどかしさ
ーー不動産事業を軌道に乗せた後、北斗は介護事業への参入などをきっかけに爆発的な成長を遂げています。次期社長としてどのような課題や葛藤を感じていらっしゃいますか。
小川:僕が帰ってきた当時はせいぜい5、6億円くらいの会社だったのが、介護事業への参入やコロナ禍での事業拡大などが重なり、今では35億円を超えて40億円を目指すような規模になっています。だから、心は追いつけないんですよ。自分なりには歩んできたつもりですが、会社のスピードの方が早すぎて。このまま会社が成長していって、自分が代替わりする頃に100億円くらいの会社になっていたとして、その器に自分がなれるのかという恐怖心は常にあります。今は父から「全体のことより、まずは任せた飲食とウェディングで3年間実績を作ることに特化しなさい」と言われて責任者をやっているのですが、正直、まだ赤字が続いていて本当に辛い時期ですね。
ーー事業がうまくいかない苦悩というのは、具体的にどのような部分に一番もどかしさを感じるのでしょうか。
小川:何が一番辛いかというと、自分が周りからどう見られているかというのもありますが、今一緒に働いてくれているスタッフさんに申し訳ないという思いが強いんです。アルバイトの子たちも日々どうやったら良くなるか一生懸命話してくれているし、新卒で入ってくれた子たちもいる。彼らがせっかく頑張ってくれているのに、会社としてしっかり利益を残して、社会的に彼らが胸を張れるような状態にしてあげられていない。利益を残してこそ働いてくれる人たちが報われると思っているので、早くこの事業部を軌道に乗せて、みんなに「北斗のこの事業部で働いているんだ」と誇りを持たせてあげたい。今は数字を見るのが一番苦しいですが、そこをなんとか乗り越えたいと必死にもがいています。
「ゆりかごから墓場まで」体温のある事業展開と、遠回りしても「自分のファン」になれる生き方を
ーー建設から始まり、不動産、介護、葬儀、そしてウェディングと、多角的に事業を展開する中で、今後の北斗をどのような会社にしていきたいと考えていますか。
小川:ある時、父とお酒を飲んだ帰りに「うちの会社がやっていることは、仕事というより暮らしのサポートで、ゆりかごから墓場までだな」という話になったんです。父が立ち上げたナーシングホームや施設での家族葬といった人生の終わりの部分を充実させていって、僕がウェディングという華やかなスタートの部分を担当している。結婚された方がお子さんを連れてカフェに遊びに来てくれたりして、人生の節目に携わる会社として見事につながっているなと感じますね。
ーー最後に、「今のままでいいのかな」とキャリアに悩み、働く意味を見失いかけている読者へ向けてメッセージをお願いします。
小川:やりたいことが見つからなくてモヤモヤしている同世代の人たちに言いたいのは、「あなたは自分のファンですか?」ということです。あなたが自分を認めてあげない限りは、誰もあなたを求めてくれないと思うんです。今自分がやっていることに対して「これでいいんだ」と思えるくらいまで真剣に物事に向き合って、自分が自分を認められる生き方ができればいいんじゃないかなって。僕自身、昔は自分の能力にコンプレックスがあって、人が集まってきてくれても「俺の実力じゃないし」と僻みみたいなものがあったんです。でも最近になってようやく、優秀な人が来てくれて、その人たちが働きやすい環境を作れるなら、それこそが自分の実力であり役割じゃないかと受け入れられるようになりました。だからこそ、まずは目の前のことに真剣に取り組んで、自分のことを一番に応援できる自分であってほしいですね。

「あなたは自分のファンですか?」
インタビューの終盤、小川さんが投げかけたこの言葉は、「自分には特別なスキルや武器がないのではないか」と漠然と焦りを感じている私たちの心に、深く刺さるものでした。20代後半から30代。周りが独自のキャリアを築いていく中で、「このままでいいのかな」と立ち止まりそうになる夜は誰にでもあります。次期社長という立場にある小川さんご自身も、かつては優秀な仲間が集まってきても「自分の実力ではない」と素直に受け入れられず、思い悩んだ時期があったそうです。
しかし、赤字事業を抱えながら「スタッフに胸を張らせてあげられない」と本気で悔しがる彼の姿には、周囲を巻き込む確かな熱と体温がありました。「人が働きやすい環境を作れることこそが自分の役割」。そう気づき、遠回りしながらも等身大の自分を肯定できるようになった小川さんの言葉。
不器用でも目の前の仕事や仲間と泥臭く向き合い、もがきながら奮闘する自分自身の「一番のファン」になってあげること。それが、明日へ踏み出すための大切な第一歩になるはずです。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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