「今の会社の代わりはいくらでもいる」上司の言葉で家業へ。挫折と無力感を越え、人が育つ組織を作るまで ーー名和建装株式会社

「今の会社の代わりはいくらでもいる」上司の言葉で家業へ。挫折と無力感を越え、人が育つ組織を作るまで ーー名和建装株式会社

市川 裕貴氏

市川 裕貴氏

名和建装株式会社

代表取締役

(いちかわ ゆうき)/愛知県名古屋市出身。名城大学建築学科を卒業後、賃貸住宅を手掛ける大手建設会社で新築アパート・マンションの現場監督として勤務。入社4年目の時、父が創業した「名和建装」の危機に直面し、前職の上司に背中を押され家業へ戻ることを決意。未経験の業務に奔走しながらも、2024年に代表取締役に就任。社員の退職という挫折を機に、評価制度や休日改定など「人が育つ会社づくり」に注力している。

 

愛知県名古屋市に拠点を構える名和建装株式会社は、塗装やクリーニングの会社として創業した後、お客様の「あれもやってほしい」に断らず応えているうちに、リフォームや新築、外構から解体まで、幅広い建築事業を手掛ける企業へと成長を遂げてきました。現在、同社の代表取締役を務める市川さんは、創業者の長男として生まれながらも、当初は家業を継ぐ意思は全くなく、大手建設会社で現場監督としてのキャリアを歩み始めていたと言います。
入社4年目を迎え、自分の目標に向かって邁進していた彼のもとに、突然実家の父から「会社に戻ってきてほしい」というSOSの電話が入ったのは、思いもよらない休日の朝のことでした。未経験の業務が山積する泥臭い現場仕事、自ら引っ張ってきた大切な後輩の退職という大きな挫折、そして「自分には評価権限がない」というどうしようもない無力感。幾多の壁にぶつかりながらも、自らが代表となって「人が育つ会社づくり」に奔走してきたリアルな歩みと、そこで見つけた経営者としての覚悟について、市川さんご本人にじっくりとお話を伺いました。

 

 

「この会社の代わりはいくらでもおる。だけど、お前の会社の代わりはお前しかおらん」

 

——元々、お父様が創業された会社を継ごうというお気持ちや、ご自身の中で将来のキャリアについてどのようなビジョンを持たれていたのでしょうか。

 

市川社長(以下、市川):いえ、5人兄弟の長男として生まれましたけど、最初から父の会社を継ごうという気は全くありませんでした。単純に僕は絵を描いたりプラモデルを作ったりするのが昔からずっと好きだったこともあり、設計寄りの仕事をしたいと思って大学も建築学科に進みました。大学卒業後に入社した大手の住宅建設会社では、新築アパートやマンションの現場監督をやっていました。僕は結構先のことを考えて動くタイプで、もう少しそこで経験を積んだら海外で1年ぐらいフラフラして、不動産の仕事もやって、ゆくゆくは不動産と建築を掛け合わせた自分の会社を作りたいなと考えていました。実は大学の時に宅建も取っていたんです。
もともと不動産をやりたくて、正直、儲かりそうだなと思って取ったんですけどね。一級建築士が宅建業もやっていたら付加価値がついておもしろそうじゃん、と思っていたんです。

 

——順調にキャリアを積まれていた中から、実家の家業に戻ることを決めた決定的なきっかけは何だったのでしょうか。

 

市川:入社して4年目ぐらいの時に、実家の会社から人がバーッと辞めてしまって現場が全く回らなくなってしまった時期があったんです。土曜日の朝6時半ぐらいに、まだ寝ている時に、電話が鳴って。1回目は誰だと思って切ったんですけど、またかかってきて「うわ、親父やん」と。「話せるか」と言われて会いに行ったら、「戻ってきてくれんか」と。自分の将来の計画も初めて話したんですけど、「それは分かった。頼むから来てくれ」と。今まで親からそんなふうに仕事のことで頼まれたこともなかったし、一緒に働く前の父は、人にお願い事をするようなタイプじゃなくて、口数も少ない、昔ながらの厳しい人だったんですが、その時は表情からもすごく困っている感じが見えて。それでも最初は「いや、今いきなり言われても無理だ」と言いました。自分には自分のやりたいことがあるからと、きっぱり断りました。

 

——断ったにもかかわらず、最終的に家業へ戻る決意をされたのは、どなたかからの影響があったのでしょうか。

 

市川:その翌週にまた父から電話がかかってきました。「本当に無理だよ」と言いつつも、これは1回ちゃんと会社の上司に話してみようと思って、会社の懇親会の時に直属のマネージャーに「ちょっと2人で話せますか」とお願いして、居酒屋で事情を話したんです。「僕は今の会社でやりたいこともあるし、会社のためというより、自分のキャリアのためにまだここにいたいんです」と正直に伝えました。そうしたら、そのマネージャーが「この会社の代わりはいくらでもおるし、規模もでかいからなんとでもなる。だけど、お前の会社の代わりはお前しかおらん」と言ってくれたんです。その言葉を聞いた瞬間に「ああ、帰ろう」と腹を括ることができて、実家の会社で働くことを決意しました。

 

 

誰にも聞けない孤独な環境。未経験の仕事に泥臭く食らいついた現場監督時代

——家業であるお父様の会社に入社されてからは、大手企業時代とは打って変わって、どのような環境で働かれていたのでしょうか。

 

市川:僕が入社した当時の会社は、父と当時の部長、あと事務員さんや職人さんを含めても僕を入れて7人ぐらいの規模の小さな組織でした。前職では規格商品の新築アパートやマンションを作っていたので、図面もバチッと決まっていて、色の提案も、自分から提案するというより、2、3個の選択肢から「どれにしますか?」と決めてもらう程度。細かい施工も標準仕様書がそろっていて、それを確認すればいい。分からないことがあれば先輩や上司に聞けば、すぐに解決できる環境だったんです。でも、うちの会社に戻った瞬間から、新築の現場だけでなくやったこともないリフォームや飲食店の店舗改装などの現場がドカーンとやってきて。焼肉屋の改装なんてやったことないし、リフォームのカタログすら1回も見たことがない。何も分からないような状態からのスタートでした。

 

——これまでと全く勝手が違う未経験の領域において、社内で誰かに仕事を教えてもらうような環境はあったのでしょうか。

 

市川:それが、リフォームの見積もりすらやったことがないのにお客様との打ち合わせから全て任される状態で、しかも周りに聞く人も誰もいなかったんですよ。父もどっちかというと細かいことは言わずに「任せる」という感じの人でしたし、元々それをやっていた人がいなくなってしまったから僕が呼ばれたわけなので、大企業のように先輩に聞くこともできません。お客様に出す図面を描くのも、営業も、見積もりや積算も、新築戸建てやリフォーム、修繕工事の現場監督も、やったことがないことばかり。これ全部初めてだぞと思いながらやっていました。建築の工事って最悪誰かに外注すればなんとかなるんです。でも、それだとコストがかかる。だから、とにかく聞きまくって、コソコソと自分で調べながら泥臭く仕事をしていました。本当に、寝れんかったですね。

 

——かなりハードで孤独な日々だったと想像しますが、当時の市川さんを突き動かしていたモチベーションは何だったのですか。

 

市川:僕は昔から結構負けず嫌いな性格で、絶対に何とかしてやると思って誰よりも人の倍くらい働いて、本当に最初の1年、2年目はあっという間に過ぎていったという感覚ですね。もちろん体力的にはしんどかったですが、自分が将来経営者としてやらなきゃいけないことの前借りをしているだけだと思っていたので、精神的にとてつもなく辛いということはなく、とにかくひたすら現場を回しました。2年ほど経つとようやく一通りのことが分かってきて、後輩など他の人に仕事を教えることができるようになりました。

 

 

信頼する後輩の退職。「自分に評価権限がない」という無力感がもたらした組織改革への決意

——そこから少しずつ仕事も回るようになっていった中で、ご自身のキャリアにおいて一番の挫折や辛かった時期というのはいつ頃だったのでしょうか。

 

市川:自分もだんだん現場を回せるようになってきた頃に、10代の頃からずっと仲良くしていた後輩や、前職の会社から引っ張ってきた後輩をうちの会社に入社させて、自分が代を代わったら彼らと一緒に会社を作っていくんだろうなとぼんやり構想を描いていたんです。でもある時期に、その可愛がっていた後輩の一人が「辞めたい」と言ってきて。「もうちょっと考えろ」と話をした1時間後ぐらいに、今度はもう一人が「話があるんですけど」と。「うわ、こいつもか」と。あれは本当にショックでしたし、正直、今の仕事をしていて一番しんどかった経験ですね。

 

——ご自身で引っ張ってきた信頼する後輩たちが辞めてしまった一番の理由や、組織としての課題は何だったのでしょうか。

 

市川:一生懸命寄り添って話を聞いたんですけど、最終的に出てきた答えは「自分がどう評価されているのか分からない」でした。当時の僕は一応現場のトップとして仕事を回してはいたものの、いずれ継ぐんだろうと社内では思われていても立場はすごく微妙で、経営権が全くない状態だったので、給料を上げてあげたくてもそんな権限は僕にはありませんでした。彼らからすれば、僕が給料を決めているんじゃないかという雰囲気も感じていたでしょうし、現場の不満を僕に言えばなんとかしてくれると思っていたはずなのに、実質僕は何もしてあげられなかったんですよ。

 

——現場のトップでありながら、組織の根本的な制度を変えられないことへの強烈な歯がゆさがあったのですね。

 

市川:歯がゆくて、歯がゆくて。当時は父が社長で、給料もどれだけ忙しかろうが暇だろうがずっと変わらなくて、従業員の方から言い出さないと上がらない仕組みでした。アットホームな会社ではあるけれど、それが故の放任主義というか、僕自身も第一線で現場をやっていて、教育らしい教育ができていなかった。会社の制度として本当に不十分だなと感じていました。このままの状態でまた誰かを引っ張ってきても同じことになるだろうし、自分の目で見てしっかり評価できるぐらいの権限を持った立場にならないとダメだと思って、そこから本気で経営や評価制度について勉強し始めました。

 

「建物のかかりつけ医」として、一人ひとりの社員が正当に評価される体温のある組織を目指して

——そこから、現場の不満や評価の不透明さを解消するために、具体的にどのように会社の仕組みを変えていかれたのでしょうか。

 

市川:まずは年間休日です。当時は90日ぐらいで日曜しか休みがなかったんです。土曜を休みにすると、今までの給料のまま働く日が減るので、実質の賃上げなんですよね。それも重々分かった上で交渉して、まずは第2・第4土曜を休みにして、少しずつ日数を増やして、今は土日休みの完全週休2日になりました。それから、組織図も作りました。ただ、組織図を作っただけで体制がいきなり変わるわけではなくて、実際は横一線で、全部が上司の指示で動いていた。それを最近ようやく縦に割ったところです。賃金制度も作ろうとしたんですが、給料を決めるには評価制度が要る。評価制度を作るには会社の理念が要る。「何にもねえじゃん」と。そこから、一人ひとりの働きや貢献度を正当に評価して給料に紐づけられるように、評価制度や賃金制度、そして会社の理念を言語化するプロジェクトをスタートさせました。

 

——会社の制度をしっかりと整えていく中で、現場で働く社員の方々の様子や職場の雰囲気に何か変化は感じられますか。

 

市川:最近、新しく若い子が入社してきたんですが、従業員の方から「歓迎会を兼ねた懇親会でみんなで泊まりに行きたい」と言ってくれて、みんなに「行こう」と働きかけてくれて、みんなで社員旅行に行ってきたんです。僕が主導で行くとただの社長命令みたいになってしまいますが、従業員の方からそうやって自発的に声をかけてチームとしての動きを作ってくれるようにようやくなったのは、会社として少しずつ良い形になってきている証拠だと思いますし、僕としてもすごく嬉しい変化ですね。

 

——最後に、市川さんが見据える名和建装のこれからのビジョンや、社会に対してどのような価値を提供していきたいか教えてください。

 

市川:大手の企業がやらないようなニッチな工場や店舗の修繕などに深く入り込み、「社外の営繕部」のような存在になりたいと考えています。工場や店舗で建物の維持管理を担当する方は、建築の専門家ではないことがほとんどなんです。そこを建築のプロである僕らが外から担う。定期的に見回ってレポートを出し、見積もりから施工まで、まるごと引き受ける。そんな仕組みを今つくっているところです。そのうえで、どんな些細な困りごとがあってもまずは一番にうちに電話をしてもらえるような「建物のかかりつけ医」という存在になりたいと思っています。医療でいう「かかりつけ医」の、建物版です。うちは何でも断らない会社で、自社でできないことでも誰かにつなげられるので、事前のヒアリングから施工、アフターケアまで伴走できる存在になりたいですね。名古屋やその近郊の人たちにとって一番頼りになる会社、リピート率ナンバーワンを目指して、これからも従業員と一緒に楽しいことにチャレンジし続けていきたいです。

 

「実質僕は何もしてあげられなかったんですよ」
インタビューの最中、市川さんが少し悔しさを滲ませるように語ったこの言葉が、今も深く心に残っています。現場のトップとして誰よりも働き、後輩の相談に真摯に乗っていたにもかかわらず、会社としての評価権限を持たないゆえに彼らを引き留められなかったという強烈な無力感。
20代後半から30代にかけて、現場での裁量や責任は増していくのに、組織のルールや仲間の待遇を根本から変える権限は持っていないという「板挟みの苦しみ」は、日々働く中で多くの人が一度は直面する壁ではないでしょうか。
そこで「会社の仕組みが悪い」「上が分かってくれない」と環境のせいにして見切りをつけるのは簡単です。しかし市川さんは、自らが仕組みを作る側に回り、イチから経営を学んで会社を変えるという泥臭い道を選びました。休日を増やし、評価制度を整え、やがて社員が自発的に社員旅行を企画するような「体温のあるチーム」を少しずつ形にしていく姿には、静かですが確かな覚悟が宿っていました。
「今のままでいいのかな」と、ふと立ち止まりたくなった夜。与えられた環境をただ嘆くのではなく、痛みを伴いながらも自分自身で組織を変えていく市川さんの不器用でまっすぐな歩みが、皆さんの「働く意味」を問い直す小さなヒントになれば幸いです。

この記事を書いた人

宗宮彰良

宗宮彰良

ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。

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