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髙岸 元氏
株式会社アイシー
代表取締役
代表取締役 髙岸 元氏(たかぎし はじめ)/地場の不動産会社で泥臭い営業と仕入れの現場経験を経て、2012年に株式会社アイシーを設立。事業の波を越えながら不動産業を展開する傍ら、社会奉仕活動にも深く傾倒。居住支援・児童養護ボランティアに取り組んでいる。
学歴も人脈もお金も何もないゼロの場所から、「とにかく自分で独立して稼いでやる」という野心ひとつで泥臭く駆け抜けてきた経営者がいます。
今回お話を伺ったのは、名古屋市で不動産業を展開する株式会社アイシーの代表取締役。不動産の現場で揉まれながら会社を立ち上げ、ビジネスの波を乗り越えてきた根っからの現場主義者です。「企業理念の唱和ばかりする会社にはしたくない」と本音を語り、10年以上にもわたって恵まれない若者や児童養護のボランティアに情熱を注ぎ、住まいに困窮する10代に無償で居場所を提供し続けています。
理系で挫折、大学中退。「とにかく独立して稼ぐ」と決めた青写真なき原点
——まずは、社長がどのような経緯で独立を目指し、不動産業界に飛び込まれたのか、その幼少期や青春時代のお話から伺えますでしょうか。
髙岸代表(以下、髙岸):うちの家系は父親も個人タクシーの運転手で、おじいさんも戦前に商売をやっていたような環境でしたから、幼い頃からなんとなく「自分で商売をやる」「独立する」という意識が根底にあったのかもしれません。高校生の時は理系にいて建築士になりたかったんですが、微積分が1年間で通算0点という凄まじい成績を取ってしまって、理系の道は完全に諦めざるを得なくなりました。国語だけはなぜか全国模試でもトップクラスの偏差値が出たりしたんですけど、英語はオール3でマークシートを運任せで塗りつぶすような極端な生徒でしたからね。全国の大学を自分で片っ端から調べて、なんとか国語と世界史の2教科だけで受験できる愛知の大学になだれ込むように合格したんです。
——なかなか波乱万丈な高校時代ですね。大学に入られてからはどうだったのでしょうか。
髙岸:大学に入ったものの、やっぱり「大学でも苦手な英語からは逃げられない」と気づいて卒業できるイメージが持てず、結局1年ちょっとで中退してしまいました。そこから「本気で独立しよう」とスイッチが入って、独学で資格を取って独立しようと司法書士の勉強を2年ほど猛烈にやったんです。高校生の時に予備校のパンフレットで「司法書士は年収1,000万円以上狙える」みたいな文句を見て、純粋に「稼げそうだし独立できるじゃん」と思ったのがきっかけでしたね。でも試験には惜しくも届かなくて、それなら領域が近くて合格しやすい宅建を取って、そのまま不動産業界に飛び込もうと決めたのが20代前半のスタートでした。
逞しい先輩たちに揉まれた営業時代と、予期せぬ「練習創業」の裏側
——独立という目的のために、まずは不動産業界で現場のノウハウを叩き込もうとされたのですね。
髙岸:最初入社した不動産会社は、名古屋で独立系としてはかなり大きい会社だったんですが、入社してみるとゴリゴリの営業マンばかりで、22〜23歳の僕からしたらものすごいカルチャーショックでした。でも、その泥臭くたくましく生きている大人たちがすごく魅力的で、可愛がってもらいながら飲みに行っては営業のノウハウや人間関係の築き方を全部吸収していきました。そこで7〜8年ほど住宅の売買仲介の現場をみっちり経験させてもらって、本当に人間として鍛えられたと思っています。
——そこからどのような経緯で、設立に至ったのでしょうか。
髙岸:仲介だけでなく地主さんや金融機関向けの対応もしっかり覚えたいと思って次の会社に移って4年目くらいの時、会社の中でちょっとした組織を改編することになりました。そこで営業職から総務職への打診を受けたのですが、当時の僕は若気の至りもあって「嫌だな」と思ってしまって、断るからには会社を辞めないといけないと考え、退職届を出したんですよ。そうしたら当時の社長から「お前はまだ35歳で、金も人脈も何もない状態ですぐ失敗するから、まずはうちの子会社としてリスクを抑えて多くを学びなさい」と止められましてね。社長から融資と出資を受けて、資本金のうち8割を資金援助してもらう形で設立したのが株式会社アイシーなんです。
——社名の「アイシー」にはどんな思いや由来が込められているのですか。
髙岸:実は僕自身は当時流行っていたドラマの『仁-JIN-』にあやかって「仁(ジン)」とか、もっと柔らかい穏やかな社名をいくつか考えて持っていったんですよ。でも当時の親会社の役員の方に全部却下されまして、「IC=インフィニティ・クリエイト(Infinity Create)」、つまり「永遠に創造して働き続けよう」という意味を込めてその名前を指定されたんです(笑)。当時は「はい、わかりました!」と引き受けるしかなかったですが、あの時背中を押して出資してくれた社長や役員の方々には今でも深い感謝をしていて、今でも絶対に頭が上がらないですね。
「綺麗な理念の唱和はいらない」泥臭い人間関係の中で揉まれて見えた組織のリアル
——実際に会社を立ち上げてから14〜15年経営されてきて、ご苦労された点や組織作りで大切にされていることはありますか。
髙岸:不動産業自体は時代の波もありますが楽しくやってこれたものの、やっぱり一番難しいのは「人」の部分ですね。率直に言うと、僕は朝礼で企業理念を全員で唱和するような上べだけの会社には絶対になりたくないと思って経営してきたんです。だけど、組織が十数人規模になってくると、自分の想いや影響力が届く範囲には限界があって、結局は理念や仕組みを共有しないと組織としてまとまらないという壁にもぶつかりました。地元の経営者ネットワークに入って、個性的な経営者の先輩たちに熱く指導をしていただきながら、人間関係の泥臭さや経営者としての器を学んできた10年でもありましたね。
——社外の経営者仲間や地域活動での揉まれ方が、社長ご自身の価値観にも大きな影響を与えているのですね。
髙岸:経営の勉強をしていくうちに先輩たちからは「人は150人以上になると直接的な影響を与えられなくなる」とか「優先順位をどこに置くか」というリアルな現実を叩き込まれました。経営者サークルに深く関わるようになってから、学生時代の友人とは付き合う優先順位が変わっていったりもしましたが、それは良い悪いではなくて自分がどこに命と時間を使うかという選択だったと思っています。飾った綺麗事ではなく、人間味のある繋がりの中でしか人は育たないし、会社も残っていかないんだなと日々実感していますよ。
19歳の居場所を作る不動産屋。「自分のため」を越えた先にある10年間の奉仕活動
——不動産事業の傍らで10年以上も児童養護や若者の居住支援活動を続けられていると伺いました。
髙岸:そうなんです、ライフワークとして児童養護施設を出た子や行き場を失った若者の支援活動に本格的に取り組んでいこうと考えています。きっかけは本当に個人的な感情のスイッチが入ったことなんですが、10年くらい前から個人的な寄付や支援を始めて、ここ最近は会社の資産や不動産を使って具体的に動くようになりました。この間も家庭の事情で家を追い出されてしまった19歳の子を児童福祉施設の方から紹介されて、その子の居場所を作るために会社の所有物件を無料で4ヶ月間貸しました。
——19歳で住む場所を失った若者に、無償で住居を提供するというのはなかなかできることではありませんね。
髙岸:変に数千円でもお金をもらうと賃貸借契約になってしまって法律上の縛りが出るので、最初は完全無料で貸して生活を立て直すきっかけづくりを目指しました。今月からはその子も「自分で家賃を払います」と言って月3万円ほどの家賃をちゃんと払って生活してくれていますが、こういう「社会の中にポツンと取り残された若者の居場所」を確保してあげる活動をこれからもどんどん広げていきたいんです。社員たちがこの活動をどれくらい理解してくれているかは分かりませんし、利益だけを考えたら無駄に見えるかもしれませんが、自分が不動産屋として持っているリソースを直接困っている人のために使いたいという気持ちが一番強いですね。
「何のために働くか」に悩む若手へ。綺麗事じゃない温かみのある仕事の価値
——若い頃の「稼ぎたい・独立したい」という欲求から始まって、キャリアを重ねる中で「誰かの居場所を作るために働く」という温かい目的に変化されていったのが非常に印象的です。
髙岸:最初は本当に不純というか、「独立して威張りたい」「お金を稼ぎたい」という衝動だけでスタートしたキャリアですよ。大学も中退していますし、人脈も資本もないゼロの状態から、不動産を契約する商談現場で怒鳴られることもままありましたが、こうしてここまでやってきました。でも、現場でのそんなシビアな経験を重ねながら会社を10年以上続けてきたからこそ、今は「自分のため・会社のため」だけに走る時期を越えて、誰かの人生を少しだけでも助けるためのツールとして仕事や会社が存在しているんだと思えるようになったんです。
——最後に、愛知県で「このままでいいのかな」と将来や働く意味に悩んでいる20代・30代の若手ビジネスパーソンへメッセージをお願いできますか。
髙岸:最初から立派な志や完璧なキャリアプランなんて持っていなくて全然いいと思うんですよ。僕だって挫折と勘違いの連続でここまで来ましたからね。ただ、目の前の仕事や人間関係から逃げずに、本気でぶつかって体温のある繋がりを作っていく中でしか、「自分が何のために働くのか」という本当の答えは見つからないんじゃないでしょうか。綺麗にまとまったスマートな道じゃなくても、泥臭く現場で誰かの役に立とうともがいた経験は、必ず将来自分だけの強い財産になりますから、焦らず目の前の現場と向き合ってほしいですね。

「企業理念の唱和をするような会社にはしたくない」と笑う代表の言葉には、表面上の綺麗事に逃げず、現場のリアル向き合い続けてきた経営者としての体温が宿っていました。学歴も資格も計画もなかった若者が、「稼ぎたい」という衝動だけで飛び込んだ不動産の世界。そこでもまれ、失敗し、人に助けられながら会社を立ち上げました。やがていつしかその手に入れた不動産という武器を使って、行き場を失った19歳の若者に居場所を差し出す経営者へと成長していました。「働く意味」とは、最初から用意されているものではなく、目の前の課題や人間関係に汗をかきながらもがいた先で、少しずつ育まれていくものなのかもしれません。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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