目次
大城 聡 氏
株式会社シーガルロジ
代表取締役
24歳で運送会社に入社。「プロのリフトマンになる」を志し技術を極めるが、6年前に大事故に遭い、ケガをする。労働力で貢献できなくなった絶望の先で、役割を「他者のケアと自立支援」へシフト。小型配送部門を分社化し現職へ。「会社は自分の人生のために利用するもの」という信念のもと、社員一人ひとりが「自分で稼ぎ、自分の人生を設計する」ことに誰よりも泥臭く、温かく伴走し続けている。
今回お話を伺ったのは、愛知県で小型貨物配送を担う株式会社シーガルロジ、代表取締役の大城氏。6年前に遭った大事故によって、人生の大きな転換期を経験されました。一時はドライバーとしての「売り」を失い、業界を去ることも考えた大城さんが、なぜ再び立ち上がり、今では「会社を自分の人生のために使い倒せ」と社員に語りかけるようになったのか、働くことへの本音をじっくりと語っていただきました。
「会社を利用して、自分の人生設計をしてほしい」――大城社長が語る、新たな組織と働く個人のあり方
--シーガルロジ様では、社員の皆さんが「自分で稼ぎ、自分の人生を設計する」という方針をとても大切にされていると伺いました。まずは、現在の会社でどのような事業をされているのか、そしてどのような想いでドライバーの皆さんと向き合っているのかをお聞かせいただけますか。
大城 うちはもともと、私が22年間お世話になっていた株式会社KOUSHINという運送会社の小型配送部門を独立させる形で、コロナ禍の後に分社化した会社で、今年でようやく4期目を迎えます。主に2tトラック以下の小型車両を使って、ご家庭向けのB to C配送や、店舗向けのルート配送といった小口の運送をメインにやっているんですけれど、私が代表になってから一番強く思っているのは、ドライバーのみんなには「うちの会社を利用して、自分の未来を作ってほしい」ということなんです。
--会社に雇われる、あるいは会社に尽くすという一般的な関係性ではなく、「会社を利用する」と言い切るのには、どのような意図があるのでしょうか。
大城 どうしても運送業界って、決められたルートを決められた通りに走って、決められた給料をもらって帰るというルーティンになりがちですし、会社の愚痴を言いながら何年もズルズル働き続けるような人を、僕自身も昔からたくさん見てきました。でも、そういう働き方ってやっぱり面白くないですし、自分自身が「今、やりたいことをやっているんだ」と胸を張って生きてほしいなと思っているんですよね。だから、うちはドライバーさん一人ひとりと、基本的には個別に深く面談をする時間を設けていて、そこで「将来どうなりたいか」「どれくらい稼ぎたいか」を聞きながら、そのための人生設計を一緒に作るようにしています。
--面談は、どれくらいの頻度や熱量で行われているのですか。
大城 ちょっと課題を抱えているようなメンバーとは月に1回、自走できているメンバーとも半年に1回は必ずマンツーマンでじっくり話をしています。そこで「今の給料に満足しているか」とか「こういう業務を組み合わせれば残業代がこれくらい増えるよ」という選択肢を提示するんですけれど、それを最終的に選ぶのはドライバーさん自身なんです。さらに言うと、もし「もっと大きくて稼げる10tトラックに乗りたい」とか「別の運送業務に挑戦したい」と思ったら、私たちのグループ内にある別の会社へ移籍しても構わないと本気で伝えています。挑戦してみて万が一合わなかったら、またいつでもうちに戻ってくればいいと言っているんですよ。
1tから10tまでノークレームで走った「完璧なエース」から、働き方を変える
--自分の会社から他のグループ会社への移籍を勧めるというのは、経営者としてなかなか言えることではないと思います。そこまでドライバーファーストで、懐の深い関わり方ができる背景には、やはり大城社長ご自身のこれまでのキャリアやご経験が大きく影響しているのでしょうか。
大城 は24歳でKOUSHINに入社した際、履歴書の志望動機に「プロのリフトマンになる」と書いて、とにかく誰よりもリフト操作の技術を極めようと必死に働いていました。当時はリフトのプロ集団の中で「あいつが一番うまい」と言われたくて、バケット付きなど特殊なリフトも含めて全種類を乗りこなせるようになりましたし、その後ドライバーに移籍してからも、1tから10tトラックまで全部乗れて、事故もなくクレームも一切出さないというのが、自分の唯一にして最大の売りだったんです。
--まさに現場のエースとして、ご自身の働きで会社を引っ張っていらっしゃったのですね。
大城 はい、完全に自分の体と技術だけで勝負していました。ところが、今から6年前、仕事中にトラックを運転していたところへ乗用車が突っ込んでくるという、本当に大きな交通事故に遭ってしまったんです。その日はたまたま有給を取ったメンバーの代わりに出るのが私しかいなくて、い つもは絶対に通らない遠回りのルートを走っていた最中だったので、今振り返るとすべてのタイミングが重なって起きた、運命のような事故だったのかもしれません。結果的に、一時は身体が思うように動かなくなってしまい、特に足に若干の後遺症が残ってしまったため、それまでのように素早く荷物を運んだり、どんなトラックでも完璧に乗り回したりすることができなくなってしまいました。
--自分の「売り」だった技術が失われてしまった瞬間、どのようなお気持ちだったのでしょうか。
大城 当時は「もうこの仕事を辞めよう」と本気で考えていましたし、自分が現場の役に立てない存在になってしまったという事実が、とにかく悔しくて、自己否定ばかり繰り返す毎日でした。でも、そんな私をもう一度生かしてくれたのが、労働力として貢献するのではなく、残された人生で「誰かのために何ができるか」を考え、他者のケアや自立を支援する役割へと、自分自身のマインドをシフトチェンジすることだったんです。ちょうどその頃に「武士道」の教えや様々な研修に出会ったことも大きくて、悩んでいる格好悪い自分自身のことも「このままでいいんだよ」と全肯定してもらえたような気がして、ようやくそこから前に進むことができました。
「いきなり仕事がゼロになった」――創業すぐの大失敗と、寝ずに週100万円を売上続けた執念の半年間
--ご自身の挫折があったからこそ、現在の「心理的安全性」を重視する面談や、あえて社長という肩書きを消して「僕も君たちと同じ働く仲間だよ」と寄り添う対話のスタイルが生まれたのですね。
大城 そうなんです、面談の時は本当に社長としてのオーラを完全に消して、みんなが何でも本音で言える環境を作ることを一番に意識しています。ただ、そんな風にきれいな理念を掲げて分社化したものの、実は創業してすぐに、会社が潰れかけるほどの大失敗を経験しているんですよ。当時は4月から名古屋市の公共の大きな仕事を元請けとして受託し、それを軸にして会社を伸ばしていこうと、KOUSHINからドライバー5人を借りて、トラック5台をレンタルして準備万端でスタートを切る予定でした。
--入念な計画を立てて、満を持してのスタートだったのですね。
大城 ところが、絶対に落とすはずがないと言われていたその入札に、見事に失敗してしまって、4月の創業初日にいきなり「仕事ゼロ・完全な無職」という状態に陥ってしまったんです。手元には走る仕事が全くないのに、目の前には借りてきた5台のトラックと、生活を背負っている5人のドライバーがポツンと残されていて、これは本気でやばいと血の気が引きました。他のメンバーに給料を支払い、固定費を何としてでも維持するために、私は急遽、自分の2tトラックだけでなく平ボディの4tトラックなどにも自ら乗り込んで、ひたすら単発の仕事をかき集めて走り回ることになりました。
--身体の自由が完全ではない中で、社長自らが現場に出て、必死に働くことになったわけですね。
大城 当時は本当に、必死になって寝ずにトラックを走らせて、毎週なんとか100万円分の売上を一人で叩き出すという生活を半年近く続けました。普通に考えたら、自分の給料が変わらないのにそんな過酷な働き方をするなんて狂っていると思いますし、当時は家で待っている妻からも「給料は少ないくせに、いつまで寝ずに働いているんだ」と散々怒られ、文句を言われ続けましたね。でも、「自分がやると決めてみんなを集めて作った会社なんだから、ここで諦めるわけにはいかない」という執念だけで、なんとかその暗黒の半年間を耐え抜いたんです。
--その泥臭い執念があったからこそ、今こうして他のドライバーの皆さんが安心して働ける基盤が整ったのですね。
大城 はい、その後は11月頃からリネン系の仕事や部品配送の定期案件が少しずつ回るようになり、紹介や移籍で新しいメンバーも入ってきて、ようやく私が無理に乗らなくても会社が回る状態になりました。あの時の壮絶な経験があったからこそ、ドライバーのみんなが空いた時間をうまく使って、少しの工夫で月に5万〜6万円でも給料を多く持って帰れるような仕組みを、絶対に妥協せずに作ってあげたいと思えるようになったんです。
「パパ、社長じゃないじゃん」――息子の一言から始まった挑戦と、次代へ繋ぐお金の教え
--大城社長のお話からは、目の前の大切な人の人生を何としてでも守り抜くという、圧倒的な責任感を感じます。ご自身のポリシーを貫き通すその強さは、ご家族との関わりの中でも共通しているのでしょうか。
大城 実は、私がKOUSHINの執行役員という立場から、わざわざリスクを背負ってシーガルロジの社長になったきっかけの半分は、当時小学生だった息子とのやり取りにあるんです。もともと息子には、型にはまらず「将来は絶対に社長になれ」と言い聞かせていたんですけれど、ある日息子から「でもパパ、社長じゃないじゃん」と鋭い一言を突きつけられてしまいまして(笑)。その瞬間に「確かに、自分が社長をやってもいないのに、息子に社長になれと言うのは筋が通らないな、だったら俺がまず社長になる姿を見せるべきだ」と思って、すぐに社長に相談して、自分で会社をやる場を作ってもらったのが本当の始まりなんです。
--息子さんへの教育が、大城社長ご自身の大きな挑戦の引き金になっていたのですね。
大城 そうなんですよ。だから息子には、今でもお金の使い方や人生の設計については、かなり真剣に話をしています。世間ではよく「貯金をしろ」と言われますけれど、私は「置いといても意味がない、お金は使うために貯めるものだし、人のためや自分の人生を豊かにする意味のあることに使いなさい」と教えているんです。例えば、おねだりをされた時も「100円分働け」と家のお手伝いをさせてからお金を渡すようにしていますし、おかげで今、小5の息子はすでに「将来、美容師や揚げバナナ屋の経営者になる」という前提でお金や職業のことを考えているので、少しは私の背中を見て育ってくれているのかなと楽しみにしています。
--素晴らしい教育ですね。最後に、大城社長が今後このシーガルロジをどのような会社にしていきたいか、その未来の展望を教えていただけますか。
大城 私は、何百人もの社員を抱えて全国区の有名な「大社長」になりたいわけでは全くなくて、自分の目がしっかりと届く、せいぜい50人規模までの会社にしたいと思っています。それ以上の規模になってしまうと、私一人の力では全員の人生や本音をきちんとケアして見届けることができなくなってしまいますから。私はただ、自分の目の届く範囲にいる社員たちが、毎日「俺、今やりたいことやってるぜ」と胸を張って、自分の人生を豊かに生きるためのステージとして、このシーガルロジをトコトン使い倒してくれたら、それで十分だと思っています。

「完璧な仕事ができる自分」を手放さざるを得なかった絶望を経験し、そこから這い上がったからこそ語れる、大城社長の言葉には飾らない「体温」と重みがありました。会社は人生の主役ではなく、自分の人生を主役にするための「ツール」に過ぎない。もしあなたが今、日々の仕事の中で「自分はただの歯車なのではないか」とモヤモヤしているなら、大城社長のように一度立ち止まり、「自分の人生のためにどうすべきか」と、これまでの考え方を改めてみてはいかがでしょうか。
この記事を書いた人
若林太司
ツムログ編集長。2005年に新卒でアクセスに入社以来、人材業界一筋21年目で800社以上の採用を支援。特に中小企業の中途採用領域を得意としています。社長との対話から、目の前の課題だけでなく「隠れた真のニーズ」を発掘することに情熱を注いでおり、インタビューを通してリアルをお届けします!
営業/ツムログ編集長
このライターの記事をもっと見る →他の記事を読む
「ガチガチの目標なんてなくていい」。パン愛ゼロから始まった、池下ベーカリーrico・安堂さんに学ぶ“ゆらゆら”働くヒント
ベーカリー「rico」のオーナーシェフである安堂航也さんのキャリアは、「人に合わせるのが苦手」という極めて個人的で、飾らない理由からスタートしています。 「この仕事で社会にどう貢献するか」「どんな自己実現を果たすか」。そ […]
取扱商品を絞り、無駄な仕事を削ぎ落す。「やめる経営」の裏にある、三代目社長の社員愛。
「最初は親父のいい車への憧れだった」「ズブズブの泥臭い営業が楽しかった」 そうあっけらかんと笑う山本社長。家業を継いでからは、カフスや扇子などの取扱商品を大胆にやめるなど一見ドライに見える「やめる経営」を断行してきました […]
「嫌がる仕事の中に、仕事はある。」“まず行ってみる”を積み重ねてきた、持たざる者の仕事術
「うちの仕事って、同業が嫌がる仕事が多いんですよ。」 そう笑いながら話すのは、株式会社ケイズエコロジーテクニカルの代表・太田啓介社長です。設備清掃、産業廃棄物処理、リサイクル、リユースなど、事業内容だけを見 […]