「やりたいこと」なんてなくていい。まずは車が欲しい、でいいんだわ。どん底を知る社長が語る、等身大の“働く意味” ——株式会社TENPO UP

「やりたいこと」なんてなくていい。まずは車が欲しい、でいいんだわ。どん底を知る社長が語る、等身大の“働く意味” ——株式会社TENPO UP

出口 哲男氏

出口 哲男氏

株式会社TENPO UP

代表取締役

(でぐち・てつお)/ 三重県出身。極貧の幼少期を経て社長を志す。大工、ホスト、過酷なブラック企業の営業など波乱万丈な20代を過ごし「人に誇れる仕事」を求めてアジアへ。帰国後に入社した不動産会社で全国1位に。事業用不動産仲介の「街をつくる」喜びに魅せられ2010年に独立、2015年に同社設立。愛知県三河地区を中心に「シャッター街再生」を掲げ、未経験から共に成長する体温のある組織づくりで100億円企業を目指す。

 

「このままでいいのかな」と、毎日の仕事のなかでふと立ち止まってしまう夜はないでしょうか。愛知県で事業用物件の専門仲介や「シャッター街再生計画」などの街のプロデュース事業を展開する株式会社TENPO UP(テンポアップ)の出口哲男社長の半生は、決してスマートで綺麗なものではありません。極貧の幼少期から「絶対に社長になる」と決意し、多額の借金や過酷なブラック企業での挫折を経て、「人に胸を張って誇れる仕事がしたい」という強烈な原体験から今の事業へと辿り着きました。働きがいや仕事の手触り感を見失いそうになっている今だからこそ読んでほしい、泥臭くも確かな体温を感じるリアルな言葉をお届けします。

 

 

貧困、借金1400万円、そしてメンタル崩壊。どん底から見つけた「誇れる仕事」への渇望

 

——まずは、出口社長がこれまでにどのようなキャリアを歩んでこられたのか、非常に波乱万丈な過去をお持ちだと伺っておりますので、創業までの経緯から詳しく教えていただけますでしょうか。

 

出口社長(以下、出口):もともと実家がすごく貧乏で、三重県のすごい山奥の出身なんですけども、親が離婚していてよく借金取りが家に来るような環境でした。だから、社長にならないと悲しい思いをするんだなっていうのを小学校5年生ぐらいの時から思っていて、絶対に社長になってやるって決めていたんですよね。学生時代に付き合っていた彼女が家に来る時も、ボロボロの家でトイレも汲み取り式だったから、トイレを使うためにわざわざ近くのショッピングモールまで一緒に行ったこともあります。雨が降った日には、雨漏りどころか滝のように雨が漏れてきてそのまま屋根の一部が崩れ落ちたりと、本当に壮絶な環境でした。そんな子供時代から何が一番社長になりやすいのかなと考え、図工とかのモノづくりが好きだったから、大工さんになって独立してすぐ社長になるのが早いかなと思って、高校の時から土日に大工のバイトをしていました。そして、卒業後の18歳の時に社員として働き始めたっていうのが一番最初のキャリアになります。

 

——幼い頃から社長になるという明確な目標を持たれていたのですね。そこから大工として働き始めた後、全く違う業界へ飛び込むことになったのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

 

出口:実際に大工として働いてみると、朝は早いし夜は遅いし給料は月16万円と安いしで…。同僚・先輩も給料が安いのにめちゃめちゃ働いているのを見て、こんなんで社長になれるのかなって思っていました。そんな時に、友達からネットワークビジネスに誘われ、これで人生かけて社長になってやるって思って大工を辞めたんです。最初は本当にうまくいって月100万ぐらい稼げた時期もあったんですけども、そんなの続くわけもなくて、翌年には全然売れなくなってしまいました。そのまま会社自体も計画倒産してしまって、22歳の時には自分の車のローンと会社の借金とか全部合わせて1400万円ぐらいの借金だけが残ってしまったんですよね。

 

——22歳で1400万円の借金というのは想像を絶する過酷な状況ですが、そこからどのようにして借金を返済し、現在の不動産業界へと繋がっていくのでしょうか。

 

出口:ブラックリストに載ってカードも作れないし、人生詰んだと思ってどうしようかと悩んでいた時に、テレビでホストの人たちを見てこれしかないと思いました。必死に努力して2年半ぐらいで借金を全額返済したんです。そのあと当時の彼女と一緒に昼間の仕事をしようってなって、24歳半ばで某上場企業の営業に就職しました。ところがそこは、稀に見る暴力ありのブラック企業で、朝7時に出社して夜11時まで働いて、売上が上がらないとみんなの前で殴られるような凄まじい環境だったんですよね。

 

——借金を自力で完済された行動力は凄まじいですが、次に就職された会社もまた非常に過酷な環境だったのですね。そこからどのようにして抜け出されたのでしょうか。

 

出口:僕はお客さんに「出口君だからお願いするわ」って言ってもらえるのがすごく嬉しかったんですけども、自分の班の売上を達成するためにお年寄りに過剰販売をしなければならない環境でした。そうするとローンが払えなくなったお客さんのところに回収に行かされて、「出口君ごめんね」って手を合わせて謝られるのが辛くて辛くて…。社長になりたくて働き始めたはずなのに、友達に迷惑をかけて、女性に迷惑をかけて、お年寄りにまで迷惑をかけている自分は人間のクズだなって思えてきてメンタルが飛んでしまったんです。

 1ヶ月半ぐらい家に引きこもったあとに、テレビで「インドに行ったら人生変わる」っていうのを見て、ビザもパスポートもないのに旅行会社に駆け込んで、結果的にマレーシアとタイをバックパッカーとして数ヶ月旅して、そこで夢を語る大学生たちと出会って「人に胸張って誇れる仕事に就こう」って答えが出て日本に帰ってきたんですよね。

 

 

居住用から事業用物件へ。街が賑わい、人に感謝される「手触り感」との出会い

 

——日本に帰国されてから「誇れる仕事」を探すなかで、なぜ数ある業界から不動産業界を選ばれたのでしょうか。

 

出口:日本に帰ってきて、もう一回一からやり直そうと思って何の仕事に就こうかと考えた時に、当時は「衣食住」が注目されるって言われていたから、その関連で仕事をしたいなと思っていたんです。服は儲かるイメージが湧かないし、食は何を食べても美味しいからよくわからないし、じゃあ不動産しかないなっていうので、25歳でとりあえず不動産会社に就職したっていうのが始まりなんです。最初は本当に右も左も分からずで、不動産にも色々な種類があることすら知らなくて、たまたま求人があったからという理由で居住用の不動産で働き始めました。それでもありがたいことに、四日市で店長になって全国1位になったり、岡崎や豊田や春日井で店長やエリアマネージャーを経験させてもらって、結果的に8年半ぐらい勤めさせてもらいました。

 

——居住用の不動産で素晴らしい成績を残されていたにもかかわらず、そこから現在メインとされている事業用物件の仲介へとシフトされたのには、どのような背景があったのでしょうか。

 

出口:アパートを借りてもらってありがとうございましたっていう取引も、結婚して子供ができて新居を探すっていう取引も、お客さんの人生に関われるからすごくやりがいはあったんですけども、豊田にいた頃に初めて事業用の物件を仲介するきっかけがあって、そこで仕事に対する意識が大きく変わったんです。ある家主さんが持っている店舗が3年ぐらいずっと決まらなくて、家主さんに提案して家賃を安くして募集を出したらお弁当屋さんが入りたいって言ってくれて無事契約となりました。するとそのお弁当屋さんがめちゃくちゃ流行って周りの人から「あそこのお弁当美味しいよね」って言われるようになり、家主さんにもお客さんにもすごく感謝されて、街が賑わっていく様子を目の当たりにしたんですよね。

 

——そのご経験が、現在のTENPO UP様の企業理念や事業展開の原点になっているということでしょうか。

 

出口:その時に、都市計画じゃないけど街を作っていくような感覚がめちゃくちゃ嬉しくて、どうせやるなら街を作っていって世の中が変わっていくような仕事に就きたいなと思い、2010年、32歳の時に事業用の不動産で独立することに決めたんです。お客さんの人生のターニングポイントの背中を押して、家主さんの資産を守って、我々が仲介することで街に雇用が生まれ、納税が生まれて社会に貢献できる—。今の理念も、すべてその時の経験が原点になっていて、本当にやりたいことというか「人に胸を張れる仕事」が見つかった瞬間だったんだと思います。

 

 

調子に乗って大赤字。ワンマン経営の失敗から学んだ「みんなで創る」組織の形

 

——2010年に独立されてから、順調に現在の株式会社TENPO UPへと成長していかれたのでしょうか。

出口:それがね、最初は経営のことがわからないからって15歳ぐらい上の不動産屋さんと共同経営で独立したんですけども、僕が営業して利益を出しても向こうの物件に回されたりして全然儲からなかったんです。将来のために貯めてきた貯金も全部なくなってしまって、4年目ぐらいで騙されていることに気づいて決別することにしました。37歳で子供も2人いて手持ちのお金も少なかったんですけども、当時一緒に働いていた社員たちが「それでも一緒に頑張りたい」と言ってくれて。僕は「必ず成功するから力を貸してほしい」と約束をして、全社員を引き取って新しく株式会社TENPO UPを作って2015年に再スタートを切りました。

 

ーそこからまた一からリスタートされたのですね。ご自身の全財産が尽きかけているなかでも社員の皆さんがついてきてくれたのは、やはり社長ご自身のお人柄や熱量があったからではないでしょうか。

 

出口:本当にありがたいことですよね。ところが、みんなの力があって1年目で6000万円ぐらいの利益が出たのに「俺は天才だな」って調子に乗ってしまいまして…。翌年にみんなが「まだ早い」「絶対にやめておいたほうがいい」って大反対するのを押し切って豊田店をオープンさせたら、素人ばかりでお金もかかって2000万円の大赤字を出してしまったんです。みんなに「本当俺が悪かった」って謝って、社長がアホだと会社が傾くっていうのを身をもって勉強して、そこからは自分のワンマン経営を辞めて、ちゃんと社員と向き合って話し合いをして、みんなで作っていくっていう風通しのいい会社を大事にするようになったんですよね。

 

ーご自身の失敗を隠さずに社員の皆さんに謝罪し、そこから組織のあり方を変えていかれたのですね。現在の「みんなで会社を創っていく」というスタンスは、その時の反省が活きているのでしょうか。

 

出口:そうですね、その時の失敗があったからこそ、今は幹部ともすごく仲が良いし、何かを決める時もみんなで目線を合わせて話し合って決めるっていうのを本当に大切にしています。今はグループ会社も6社に増えて、うちで長く頑張ってくれた社員たちがグループ会社の社長になったり、フランチャイズで独立したりしていて、今後もみんながそれぞれのなりたい自分になっていけるような場所を作っていきたいと思っているんです。

 

 

「やりたいこと」なんてなくていい。まずは“車が欲しい”という身近な欲求から始めよう

 

ーこれから2035年に100億円企業を目指して「シャッター街再生計画」などを進めていくとのことですが、若手の方々に期待していることはどんなことでしょうか。

 

出口:若い人たちの中には「自分が何をしたらいいかわからない」って悩んでいる子も多いと思うんですけども、僕は社員に「まずは相手に喜んでもらうことを見つけようよ」って話をしています。やりたいことが見つからないなら、まずは車が欲しいとか引越したいとか、直近で欲しいものやしたいことを決めればいいって伝えているんです。価値ある目標を段階を追って実現していこうって話をしていて、例えば車を買うならそれで彼女を喜ばせようとか、そのために目の前のお客さんに喜んでもらえるような仕事をしていくっていう、その等身大の積み重ねが結果的に自分のやりたいことや、僕らが目指している街づくりにも繋がっていくと思っているんですよね。

 

ーなるほど。それでは最後に、経験がないことへの不安や、今の仕事に対して漠然とした悩みを抱えている読者へ、最後に何かメッセージをお願いできますでしょうか。

 

出口:うちに入社してくる子たちも、警備会社や保証会社、自動車メーカーの営業マンとか、全くの未経験から入ってきて結果を出している子がたくさんいるし、僕自身も最初は用途地域っていう不動産の基本用語すら知らなかったから、みんなスタートは一緒で失敗も全部経験してきているから大丈夫ですよ。もし今の仕事に迷っていたり転職を考えているなら、まずは1年間だけ僕に時間を預けてみるとかどうですかね。1年目は気軽に勉強してもらって、2年目は一緒に頑張って、3年目には会社を救うようなエースになってほしいって本気で期待しているから、少しでも僕らの夢に賛同してもらえるなら、ぜひ一緒に思い描いた未来を作っていきたいですね。

取材を通して見えてきたのは、過去の失敗や挫折を一切隠すことなく、むしろ笑い飛ばしながら教訓として語る出口社長の圧倒的な人間臭さでした。「誇れる仕事がしたい」という強い思いから事業用不動産の世界に飛び込み、幾度ものピンチを乗り越えてきたからこそ、「車が欲しいといった小さな目標でいいから、目の前の人を喜ばせよう」という言葉には、飾らないリアルな体温が宿っています。もし今、「働く意味ってなんだっけ」と立ち止まっているのなら、TENPO UPのように余白があり、自分自身の力で手触り感をもって会社や街を創っていける環境に目を向けてみるのも、ひとつの答えになるのかもしれません。

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

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