目次
石田 敬一郎氏
株式会社ダートフリーク
代表取締役社長
(いしだ けいいちろう)/大阪の大学を卒業後、地元・静岡に本社を置くバイク用品メーカー「株式会社デイトナ」へ入社。20代は大阪での営業、30代は開発・企画を経験し、現場の「不満と要望」を商品開発に活かす手腕を磨く。2016年からは子会社の役員を経て、2020年にオフロードバイク用品のトップメーカーである株式会社ダートフリーク(デイトナグループ)の代表に就任。 株式会社デイトナの取締役も兼任する石田氏は、自身も50歳からオフロードバイクを始め、現在も週末にはコースを走り、ユーザー目線でのモノづくりと、社員の「自主自立」を促す組織改革を牽引している。
50歳から泥臭く駆け抜ける社長の情熱と覚悟
愛知・瀬戸の地で、オフロードバイク用品のトップメーカーとして業界を牽引する株式会社ダートフリーク。2020年、そのトップに就任した石田敬一郎さんは、どこか飄々とした語り口のなかに、圧倒的な現場主義と熱い覚悟を秘めた人だ。
20代の苦い泥臭い営業経験から、30代の開発での工夫、そして50歳にして自ら飛び込んだオフロードレースの世界まで――。
「このままでいいのかな」と迷う20〜30代の背中を、優しく、けれど力強く押してくれる石田さんの言葉をお届けします。
現場で叩き込まれた「有言実行」と、人情の街・大阪で教わった人間力
――石田社長はもともと、親会社であるデイトナに入社されたのがキャリアのスタートだったんですよね。最初から開発志望だったとお伺いしたのですが。
石田 社長(以下、石田):大学を卒業して、そのままデイトナに入社しました。学生時代に大阪でスクーターに乗っていて、バイクが好きだったから「オートバイの仕事がやれたらいいな」くらいの感覚でね。工業系の大学を出ていたので、自分としては開発や商品企画の仕事を希望していたんです。でも入社してみたら、なぜか営業に配属されましてね(笑)。
――希望とは違う部署からのスタートだったんですね。
石田: 当時の社長から「まずは現場の勉強をして、現場を覚えるのが大事だ」と言われまして。前任者が退職するタイミングだったのもあって、いきなり大阪エリアの担当になったんです。そこから静岡の本社と大阪を行き来する生活が4〜5年続きました。月曜から金曜まで大阪で4泊5日の出張をして、翌週は静岡で報告書を書いて電話対応をする、という繰り返しの毎日でしたね。
―― 静岡と大阪の往復を数年間も……。当時はかなり大変だったのではないですか?
石田: 若かったから乗り切れましたけど、やっぱり大阪の取引先のみなさんには本当に鍛えられましたね。大阪の方って人情味がある一方で、いい加減な対応に対してはめちゃくちゃ厳しいんですよ。「これやっておきますね」って調子いいこと言っておいて、持ち帰って放っておくと、「この前言ったやつ出来上がったんか?」って電話がかかってきて。「やってません」なんて言ったら、「できないなら最初から言うな!やれるのかやれないのか、はっきりせい!信用なくすぞ!」って本気で怒られるわけです。
―― 生返事や後回しは絶対に通用しない環境だったんですね。
石田: そうなんです。あの時に「できるかできないかは別として、言ったからには有言実行でやる。そうじゃないと人から信用されないんだ」という商売の根本を教わりました。あの泥臭い営業経験と、大阪で教えてもらった人間力が、僕のキャリアのすべての骨組みになっていますね。
不満と要望は現場にしかない。10年間の開発時代に活きた「営業の耳」
―― その後、30代になられてから念願の開発部門へ異動されたんですよね。
石田: 当時の創業オーナーが一大決心をして、「これからは営業部をなくす。みんなでいいものを作ろう」と、営業マンのほとんどを開発部門に転換したんです。そこで僕はスクーターや大型バイクのパーツ開発、商品企画に10年ほど携わりました。
―― 営業から開発へガラリと変わって、戸惑いなどはなかったですか?
石田: むしろ、営業時代の経験がものすごく生きましたね。社内でじっと図面を描いたりテストしたりしているだけじゃ、絶対に本当の意味でいい商品なんて作れないんですよ。僕はお客さんや販売店さんの「不満と要望」をどれだけ聞き出せるかが一番大事だと思っていて。
―― 「不満と要望」ですか。
石田: そう。「うちの商品はここが良くない」「他社のここは使いづらい」っていうリアルな本音って、信頼関係がないと教えてもらえないんです。営業時代に培ったコミュニケーションで取引先から本音を吸い上げて、それを開発にフィードバックして製品改良に繋げていく。不満を解消して要望を形にする作業がとにかく面白くて、夢中で市場調査と開発に明け暮れていましたね。
「やってみないと分からない」50歳から自ら飛び込んだオフロードレース
――2020年にダートフリークの代表に就任されましたが、もともとオンロードが中心だった石田社長にとって、オフロードの世界は未知数だったのではないでしょうか。
石田: 完全にゼロベースでしたね(笑)。ダートフリークに来て会社を大きくするのが僕の使命だったんですけど、肝心のオフロードバイクにほとんど乗ったことがなかった。「これじゃあお客さんの気持ちも、商品の不満や要望も分からないじゃないか」と思って、50歳にして社員から中古の競技用バイクを安く譲り受けて、オフロードレースを始めたんです。
――50歳からレースを始めるというのは、相当な勇気と体力が必要だったのでは……!
石田: 最初はもう、転倒しまくりですよ。木にぶつかるわ、肋骨にヒビが入るわで大変でした(笑)。でも、「50歳から始めるオフロード」という企画でYouTubeに出たり、週末ごとに各地のコースへ走りに行ったりしているうちに、どんどんハマっていって。実際に自分が泥にまみれて汗をかいて怪我をして、初めて「こういう防具が必要なんだ」「ここはもっとこう改良すべきだ」というのが体感として理解できるようになったんです。
―― 自らプレイヤーになることで、ユーザー目線を獲得されたんですね。
石田: そうですね。それに、現場に行くと同世代のライダーさんから「YouTube見てますよ!石田社長の影響で50代から夫婦で始めました」なんて声をかけてもらえるようになって。オフロードって全身運動だから息も切れるし筋肉痛にもなるんですけど、一生楽しめる「生涯スポーツ」なんですよ。自分が体験してその魅力を知っているからこそ、商品への説得力も出ますし、心からこの業界を盛り上げたいと思えるようになりました。
トップダウンからの脱却。社員一人ひとりが「自分で稼ぐ」組織へ
――社長に就任されてから、組織の雰囲気や体制も大きく変えられたと伺いました。
石田: 僕が来た当時は、トップダウン経営だったんです。でも、僕は親会社から来たサラリーマン社長ですし、創業者ほどのカリスマ性はありませんから、社長指示だけで動く組織だと社員個人の人間力が育たず、会社も成長しないんですよ。
―― そこからどのように組織改革を進められたのですか?
石田: 3年くらいかけて、徹底的に権限委譲を進めました。13名いるリーダーたちにグループの予算や計画、課題を自分たちで考えてもらって、自分の決済範囲内で責任を持って運営してもらうスタイルに変えたんです。最初はみんな判断に迷って戸惑っていましたけど、根気強く相談に乗りながら自立を促していきました。
―― 全社員との一対一の面談も毎年続けられているそうですね。
石田: 毎年1月に、全社員60名と1人あたり30分から1時間かけて面談をやっています。あらかじめ「この会社で何がしたいか」「どういう改善をしたいか」を紙に書いて出してもらって、全員の声を直接拾い上げるんです。若い社員からもすごく意欲的なアイデアが出てくるので、実際に事業に採用したケースもたくさんありますよ。
―― 社員のみなさんの当事者意識がどんどん高まっているんですね。
石田: うちは業績と給与・賞与を明確に連動させているんです。「会社が給料を与える」んじゃなくて、「自分たちが良いものを作って売り上げを伸ばし、利益を出して自分たちの給与を上げるんだ」というロジックをひたすら伝え続けています。自分たちの頑張りが成果として還元される実感が持てれば、働くモチベーションも変わってきますからね。
人生の3分の1を過ごす場所だから。「10年後の自分」から逆算して今を生きる
―― 今、「このままでいいのかな」と自分のキャリアや働く意味に悩んでいる20〜30代の若手ビジネスパーソンに向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
石田: 僕がよく社員にも話すのは、「1日の勤務時間は8時間で、人生の活動時間の約3分の1は会社で過ごしているんだよ」ということです。20歳から60歳過ぎまで働くとして、そのうちの15年分くらいは会社にいる計算になる。それなら、その時間をただ苦痛に耐えるだけのものにするのは、人生においてすごく勿体ないじゃないですか。
―― 確かに、人生の大きな割合を占めていますね。
石田 :もちろん目先の給与も大事ですけど、やっぱり自分が納得できる「やりがい」や「成果に対する手応え」がないと楽しくないですよね。自分の努力や行動次第で環境を変えていける感覚を持ってほしいなと思います。
僕自身、20代後半の時に「この会社で将来社長になる」って周りに宣言したんですよ。同僚からは冷やかされましたけど、言ったからには退路を断つ意味でも有言実行にしなきゃいけない。じゃあ「40歳までにこのポジションにいて、45歳までにこれだけの成果を出さないと社長なんて無理だな」って、逆算して考えるようになったんです。
――未来のビジョンから逆算して、今の行動を変えていく。
石田: そうです。10年後でも3年後でもいい、「自分がどうなりたいか」「ここで何を成し遂げたいか」という目標をひとつ持つだけで、今日やるべき仕事の捉え方がガラリと変わります。綺麗ごとばかりじゃお腹は膨らまないけれど、自分なりの志を持って目の前の泥臭い現場に飛び込んでいけば、絶対に道は開けていくと思いますよ。

今回、強く印象に残ったのは、「仕事の楽しさは、与えられるものではなく自分自身の行動の先で作り出していくものだ」という圧倒的な説得力でした。
20代での希望とは異なる部署への配属、静岡と大阪を往復する泥臭い出張生活、そして50歳を超えてから未知のオフロードバイクの世界へ飛び込み、怪我をしながらも自らコースを駆け抜ける姿。一見すると試練や苦労に思えるような場面の数々を、石田さんは「やってみたら面白かったんですよね」と軽やかに、そしてどこか楽しそうに語ります。
「人生の活動時間の3分の1は会社にいる。その時間を苦痛に耐えるだけで過ごすのは勿論勿体ない」という石田さんの言葉は、「このままでいいのかな」と日常に漠然としたモヤモヤを抱える私たちの胸に、深く静かに刺さります。
目先の条件や環境に惑わされる前に、まずは目の前の現場で自分なりの「やりがい」や「目標」を見出してみること。10年後の未来から逆算して、今日の自分の行動を一つ変えてみること。
瀬戸の地で泥にまみれながら体温を持って組織と業界を引っ張る石田さんの背中は、働く意味を見失いそうになったとき、私たちが自らの足で一歩を踏み出すための勇気を与えてくれている気がします。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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