目次
杉田 順一氏
総合石材販売 センス
代表
愛知県春日井市を拠点に、完全オーダーメイドの石材製品の設計・輸入卸業を営む。高校卒業後、アパレル営業や土木作業員(推進工事)を経て、30歳で石材業界へ。35歳で勤め先が突然倒産し、1年間で4回の転職を経験するも、顧客からの要望に推されて業界へ復帰。42歳で「センス」を立ち上げ独立。現在は本業の傍ら、趣味から発展した完全手作りの釣具(ルアー)製作も手掛け、全国から注文が殺到している。
愛知県春日井市を拠点に、完全オーダーメイドの石材製品の設計や輸入卸業を営む「センス」代表の杉田順一さん。高校卒業後にアパレル営業や過酷な推進工事の現場を経験し、30歳で未経験の石材業界へと飛び込みました。35歳で勤め先の突然の倒産に見舞われ、1年間で4回もの転職を繰り返す時期もありましたが、かつての顧客からの後押しで業界へ復帰し、42歳で独立を果たします。現在は本業の傍ら、趣味から発展した完全手作りの釣具(ルアー)製作でも全国から注文が殺到中。波乱万丈なキャリアを歩みながらも「ものづくりが大好き」と語る杉田さんに、これまでの葛藤と働くことのリアルな手触りについて伺いました。
アパレル営業、命がけの推進工事を経て、30歳で石材業界へ
——20代の頃は、現在とは全く異なる業種で働かれていたそうですね。
杉田代表(以下、杉田): 「18歳から23歳まではアパレルメーカーで営業をしていました。ちょうどバブルの頃で会社の業績も良く、作対比240%アップというものすごい売上の時代だったんです。もともとアメカジが大好きで飛び込んだんですが、感性をすごく大事にする仕事なので、売れるもののためにずっとアンテナを張っていなきゃいけない環境で。買い物に行っても自分の好きなものを買うというより、仕事目線で服を見てしまうのがだんだん疲れちゃって、趣味を仕事にするのは少し違うなと思って辞めました。その後は23歳から30歳まで、全く畑違いの土木業界に入って、下水管などを掘る推進工事の作業員をしていました」
——そこから30歳で石材業界へ移られたのは、どのような経緯があったのでしょうか。
杉田:「推進工事は何度も骨折するような命がけの現場でしたが、メンバーに恵まれて7年間続けました。ただ、インフラ整備が進むにつれてどんどん田舎の方へ長期間出張するようになり、子どもも小さかったので、30歳になる時にいつまでもこんな危ないことはやっていられないと区切りをつけたんです。次に選んだのが石材の商社だったんですが、アパレルで培った営業のアプローチ方法と、土木で培った現場を施工する知識の両方が活かせるのが、この石材という業界だったんですよ」
——現在の「センス」では、石材店に対してデザインを3Dで提案するスタイルをとられていますね。
杉田:「僕は毎回新規のお客さんにアタックするよりも、お客さんの中に入り込んで『全部こっちにちょうだい』と任せてもらう深耕営業がしたかったんです。石材業界のお墓というのは敷地も形も違う100パーセントオーダーメイドの世界で、『1個言ったら10個分かってよ』という感覚の商売なんですよ。担当者が変わるとニュアンスが伝わらなくて取引がなくなることもある、美容師と近いところがあります。だからこそ、感覚を大切にするという意味で直訳して、独立後の会社名も『センス』にしたくらいですから」
CAD導入に奔走するも、35歳で突然の倒産。1年間で4回の転職
——30歳で入社した当時の石材商社は、まだアナログな環境だったとお聞きしました。
杉田:「営業が手書きで図面を書いて発注書まで作るという、全部ワンオペの業界だったんですが、他社が図面を作ってあげるサービスを始めていたので、会社に『今はこういう時代だからCADを導入しましょう』と3年間ずっと言い続けました。やっと導入してもらえて、手書きとは全く違う解像度の図面を作るために、毎日夜に営業から帰ってきてから必死で操作を覚えましたね。ひとつの部品を作るのに最初は2、3時間かかっていたのが、慣れると1、2分で作れるようになる。自分が思い描いたものが形になっていくのが本当に楽しくて、後輩たちにもどんどん教えていきました」
——皆がCADを使えるようになり会社が回り始めた矢先、思わぬ事態が起きたんですね。
杉田:「年末にボーナスも出て『良いお年を』と挨拶して、初詣で『今年もいい仕事ができますように』とお参りしたのに、3日の日に電話がかかってきて『会社が持たない』と言われたんです。まさに晴天の霹靂でしたね。そこから35歳の1年間で、プラスチックの射出成形の会社やATMの部品会社、オフィスチェアの会社など、4回も転職を繰り返しました」
——短期間で何度も転職されたのには、どのような理由があったのでしょうか。
杉田:「クレームが多かったり、社内が昭和すぎたりしたのもあるんですが、何より完成形が見えないのが嫌だったんです。コンマ何ミリの世界の金属部品を作っても、それが最終的に何に使われるのかさっぱりわからない。僕は子どもの頃からブロックや粘土でものづくりをするのが好きだったので、何の部品で何に使われるのか全部知りたいと思ってしまう人間なんですよ。だから、自分が何を作っているのか実感できない単純作業をずっと続けるのは、僕には全く向いていなかったんですね」
顧客の声に押されて業界復帰。そして42歳での独立と最大のピンチ
——迷走していた時期に、杉田さんを再び石材業界へ引き戻したのは、なぜでしょうか。
杉田:「石屋のお客さんから個人的によく『どうしとる?』と電話をもらっていたんですよ。倒産した会社の社長がひとりで細々と仕事を再開したと聞いて、お客さんに『僕が戻ったらまたやってくれますか?』と聞いてみたら『ぜひやるよ』と言っていただけて。石材店さんたちも、僕がいなくなって感覚の部分が伝わらなくて大変だったみたいなんです。みんなが当てにして電話してくれたことが僕にとっての財産で、戻った瞬間から注文をいただけるというのが当時の何よりの宝物でしたね」
——その後、ついにご自身の会社「センス」を立ち上げて独立されたんですね。
杉田:「38歳ぐらいの時に独立しようと決めて、少しずつ準備を進め、退職金代わりにCADをもらってワンルームのマンションでひとりでやり始めたのが42歳です。お客さんたちも『杉田さんがやるならぜひお願いするよ』と言ってくれて、順風満帆なスタートを切れました。ただ、ずっと好調に推移していたんですが、2022年に一番大きな取引先だった社長が会社を畳んでしまって。年間の売上の半分以上が一気になくなってしまったんです」
——それはかなりの痛手ですね。その時はどう乗り越えられたのでしょうか。
杉田:「今はお墓を作らない、あるいは墓じまいをするという選択肢が増えて、石材業界自体が縮小している過渡期にあります。その時はマジで転職も考えて同業他社からスカウトも受けたんですが、やっぱり石の仕事が好きだし、今さらサラリーマンにはなれないなと思って。とりあえず惰性で行けるところまで行ってみようと、踏みとどまる決意をしました」
釣りの趣味が爆発的ヒット。ニッチな領域で広がる新たなものづくり
——本業が苦境に立たされる中、思わぬところから新たな道が拓けていきますね。それが釣具(ルアー)の製作ですが、どのようなきっかけで始まったのでしょうか。
杉田:「僕は昔から魚釣りが大好きで、使うルアーも鉛を溶かして型に流し込んで、自分で作れるものは全部手作りしていたんですよ。それをブログやInstagramで紹介していたら、有名な女性アングラーが使ってくれて一気にバズってしまって。一切営業していないのにいろんなショップから問い合わせが来て、限定販売したら1時間で完売するような状態になったんです。最初は全部ひとりで月に50本とか作っていたんですが、とても追いつかなくなって、浜松のOEM工場にお願いして量産体制を作りました」
——趣味から始まったものが、今では全国のショップに並ぶまでになっているのですね。
杉田:「ベースができてもそこから着色したり、布を貼ったりする大変な作業があって、今は就労支援施設の方に手伝ってもらったりもしています。他のメーカーがやっていない『好きな色に塗りますよ』という完全オーダーメイドも受けていて、犬の色にしてくれとかベルギーカラーにしてくれとか、そんなわがままもなるべく聞いてあげるようにしています。石の仕事に比べれば利益率は高くないんですが、やることが多いとなんか忙しく感じて充実するんですよ」
——購入された方からの反響も大きいのではないですか。
杉田:「自分で作って自分で使って楽しんでいた趣味の延長ですが、Instagramで全然知らない人から『これ使って釣れました!』とメンションされたり、大会で優勝したと報告をもらったりするのはめちゃくちゃ嬉しいんですよ。大人の夜遊びと言われる年齢層が高めのイカ釣りジャンルなんですが、すごく共感を得てもらえて。納期に追われて苦痛な作業もありますけど、難しいオーダーを言われて『これはちょっと難しいぞ?』と思いながらも、どこかでそれを楽しんでやっている自分がいることに気がつきました」
好きなことを派生させていく。遠回りしても自分に合う働き方を
——転職や業界の浮き沈みを経験し、紆余曲折の末に今のスタイルにたどり着かれました。漠然と働き方に悩む若手層へ、ご自身の経験から伝えたいことはありますか。
杉田:「若い頃ってまっすぐすぎるところがあるから、僕自身もファッションが好きだったのに上手く切り替えられなくて辞めてしまいました。でも、好きなことをそのままやるだけじゃなくて、そこから派生させていくのもすごく楽しいと思うんですよ。ルアー作りが好きだったらそのノウハウは他にも全然活かせるし、細かい作業が好きならいろんなことができる。自分の得意なこと、好きなことから派生させられる道を考えるのは、キャリアにおいていい選択肢の一つだと思います」
——必ずしも王道を行かなくても、自分なりのやり方を見つけることが大切なのですね。
杉田:「僕は王道を行かずに、ニッチなところばかりに目をつけてしまうんですよ。でも、だからこそ需要があるというか。若い頃は自分は何者なのかなんてさっぱりわからなかったし、大企業の歯車が良いこともあったなと今は思いますけど、それなら今の状況は生まれていないですからね。今はプライベートを優先したいという若い子も多いし、僕のように工場勤務のような見えない単純作業が絶対無理だっていう人間もいる。色々と遠回りもしましたけど、自分に一番合うやり方を見つけて、なんとか楽しみながらやっていくのが一番じゃないですかね」

アパレル営業から命がけの推進工事、そして石材業界へ飛び込み、現在はルアー職人としての顔も持つ杉田さん。そのキャリアは決してスマートな一直線ではありません。何度も壁にぶつかり、理不尽な倒産を経験し、それでも「ものづくりが好き」「お客さんの顔が見える商売がしたい」というご自身の確固たる芯に従って歩んできた泥臭いリアルがありました。「自分の好きなことから派生させていく」という言葉には、今の働き方に漠然としたモヤモヤを抱える私たちが、明日から少しだけ視界を広く持てるような力強い温度が宿っていました。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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