大企業のレールを捨て、睡眠3時間で工場を建て直した3代目の覚悟

大企業のレールを捨て、睡眠3時間で工場を建て直した3代目の覚悟

眞野 祥典氏

眞野 祥典氏

眞和興業株式会社

代表取締役

(まの よしのり)/高校時代は考古学を志すも、東京都立大学へ進学。卒業後は豊田自動織機に入社し充実した日々を送る。28歳の時、海外赴任が決まりかけた矢先に先代(父)に呼び戻され家業へ。倒壊の危機にあった工場の移転・新設を睡眠3時間で成し遂げ、2019年に3代目社長に就任。先代からの「誠実・節約」の精神を受け継ぎ、環境配慮や社員が老後まで安心して働ける優しい職場づくりに邁進している。

愛知県一宮市。かつて「ガチャマン」と呼ばれ、繊維産業で全国にその名を知られたこの街で、60年以上にわたって金属の表面処理(めっき)技術を磨き続けてきた眞和興業株式会社。その3代目社長を務めるのが、眞野祥典さんです。
取材でお邪魔した社屋には、社員の疲労回復や健康維持のために設置された高気圧酸素ルームがあり、福利厚生の面でも手厚い配慮が窺えます。大企業での安定したキャリアを歩んでいた20代後半、突如として訪れた家業への呼び戻し。倒壊の危機にあった工場と、周囲からの「巨額投資なんてやめろ」という猛反対。数々の難局を泥臭く乗り越えてきた眞野さんの言葉には、圧倒的な「社員と家族への体温」が宿っていました。
日々忙しなく働きながら「このままでいいのだろうか」「自分の仕事は誰に届いているのだろう」と漠然とした悩みを抱える20代・30代へ。現場の最前線で働く大人の熱量をお届けします。

 

考古学を諦め、大企業へ。ノリに乗っていた28歳に訪れた、突然の選択

 

――眞野社長は最初から家業を継ぐつもりで、経営や技術の勉強をされていたのでしょうか?

 

眞野社長(以下、眞野): いえいえ、全然そんなことないですよ。高校時代は歴史が好きで、本気で考古学者になりたかったんです。でも、当時すごく優秀な親友がいて、歴史のテストで毎回そいつに負け続けていたんですよね。「あ、この狭い世界で自分が挑んでも勝てないな」と痛感しまして。もともと数学や 物理といった理系科目も嫌いじゃなかったので、高校3年の時に「負け続けるなら理系に行くわ」と腹を 括って理系に転換したんです。ただ、第一志望の大学には落ちてしまって、後期日程でなんとか進学したと いう、ちょっとしたしくじりエピソードですね。 

 

――大学を卒業されてからも、すぐに家業に戻られたわけではなかったのですね。

 

眞野: はい。大学を卒業したあとは大手の豊田自動織機に入社しまして、自動車部品や産業機械の最前線で5年弱ほど働いていました。自動車関連メーカーや鉄鋼メーカーといった大手企業のお客様とやり取りさせていただき、仕事が本当に楽しくて仕方なかったですね。自分の仕事に手触り感もありましたし、大企業の恵まれた環境の中でいくらでもチャレンジできる感覚がありました。

 

――そこから、どういう経緯で眞和興業に戻る決断をされたのですか?

 

眞野: 28歳の時でした。当時、会社から「海外赴任(インドネシア)に行ってみないか」という大きなチャンスをいただいたんです。自分にとってもすごく成長できる話でしたし、実は当時まだ結婚をどうするか 決めている最中だったのですが、このインドネシア赴任の話があったことをきっかけに結婚を決めました。「ぜひ行きたいです」と前向きに話を進めて、インドネシア行きが決まりかけていました。ところが、そのことを実家の父親(2代目社長)に何気なく話したら、突然「ふざけるな!」と激怒されましてね。

 

――激怒された、と。

 

眞野: 「何年行くつもりだ」「そもそも家業に戻る気があるなら、なんでそんなに長く大企業にいるんだ」「戻ってくる気がないなら今すぐハッキリしろ」と詰め寄られたんです。正直、当時は自分のキャリアも順調でノリに乗っていた時期でしたからかなり戸惑いましたよ。上司も僕の背中を押してくれていましたからね。でも、じっくり考えると実家の従業員の顔が次々と頭に浮かんできたんです。幼い頃から会社に遊びに行けば、僕のことを「ぼっちゃん」と可愛がってくれた社員さんたちがいて、もう家族同然の存在でした。「誰かが腹を括ってこの会社を守らなきゃいけない。従業員やその家族の生活を守るのが自分の役割なんだ」と腹が決まった瞬間でしたね。4月に上司へ理由を話して頭を下げたところ、「しっかりと後任に引き継げ」と言われまして。そこから12 月までの約8ヶ月間、後任への引き継ぎをしっかり行い、円満退社という形で2013年の年末に退職して家業に戻ってきました。

 

 

「倒壊寸前の工場と、人命の優先」――周囲の猛反対を押し切った新工場建設

 

――実際に戻られてから、社内の状態や現場の雰囲気はいかがでしたか?

 

眞野: いやぁ、最初は本当に大変でしたよ。当時の工場は築40〜50年が経過していて、建物自体がボロボロだったんです。極端な話、大きな地震や台風が来たら柱が倒れてきて誰かがケガをするんじゃないか、下手をしたら命に関わるんじゃないかというレベルの老朽化が進んでいました。

 

――命に関わるレベルだったのですね。

 

眞野:僕が入社した当時から、薄利ではありましたが元々会社は黒字だったんです。そこから徐々に、省エネや省人化を進めながら、設備的なハード面の改善と人材の配置・使い方を工夫することで、黒字の幅 を少しずつ広げていきました。そうやって工場の建て替え資金を積み増し、経営体制を整えていったのですが、 どうしても避けて通れない最大の課題が「工場の建て替え」でした。ただ、当時の会社の規模からすると、新工場を建てるための投資額はあまりにも巨額だったんです。中小企業の診断士や専門家、周囲の経営者の先生方からは「今そんな巨額の投資をするなんて正気の沙汰じゃない」「せっかく利益体質になったのに倒産するぞ」 「絶対にやめなさい」と口を揃えて猛反対されました。

 

――それでも新工場の建設に踏み切ったのは、なぜだったのでしょうか?

 

眞野: 理由はシンプルです。「お金」よりも「人の命」が先だからですよ。もし万が一、老朽化した工場が倒壊して社員が亡くなったらどうしますか。ご遺族から「うちの旦那を返してください」「大切な子供を返してください」と言われた時に、僕ら経営者は絶対に返すことができないじゃないですか。お金なら、最悪失敗しても僕がまた死ぬ気で働いて稼ぎ直せば済む話です。でも失われた命は二度と戻らない。人命と経営のお金、どっちが優先なんですかって話ですよ。だから僕は「どれだけ反対されても絶対に作ります」と押し切りました。

 

――その決断からの行動力が凄まじいですね。

 

眞野: そこからは本当に生きた心地がしない日々でしたね。経済産業省や県の補助金調整、新工場の設計から稼働準備など、事前準備の1年半〜2年間がものすごく大変でした。そして、いざ着工してから建設が完了するまで の10ヶ月間はさらに厳しく、 休みなんて年始の2日くらいしかありませんでした。毎晩深夜1時に帰宅して翌朝6時には現場に立つような日々で、睡眠時間は連日3時間程度。プレッシャーと極度の疲労で全身に原因不明のじんましんが出て、自分自身が本当に死ぬんじゃないかと思いました(笑)。でも、「やるからには絶対に負けたくない」という意地と、社員の安全な居場所を作るんだという一心で乗り切りました。そうして令和元年(2019年)、無事にこの新工場を稼働させることができたんです。

 

 

「誠実と節約」――祖父の代から続く理念に、時代が後から追いついてきた

 

――新工場を稼働させ、3代目社長に就任されてから、眞野社長が大切にされている会社の軸は何ですか?

 

眞野: 創業者の祖父や2代目の父がずっと口にしていた言葉に「誠実と節約」という理念があります。誠実というのは、お客様に対して嘘をつかず、コツコツと約束の納期と品質を守り続けること。節約というのは、単にケチケチするのではなく、無駄なエネルギーや資材を徹底して削ぎ落とすことです。これって、今の時代で言う「SDGs」や「持続可能性(サステナビリティ)」そのものなんですよね。

 

――昔からの家訓のような言葉が、今の時代の最先端と繋がっているのですね。

 

眞野: そうなんです。うちの会社は1970年代後半に繊維機械の部品から金属のめっき事業へ舵を切ったのですが、めっき事業は薬品や大量の水、電気やガスを使います。かつての一宮市では川が毎日違う色に染まるような時代もありましたが、祖父の代から排水の循環システムや節水・省エネに取り組んできました。だからこそ、新工場でも産業廃棄物をただ捨てるのではなく、コストと手間をかけて資源化する取り組みを徹底的に進めました。

 

――環境への取り組みや小ロット対応も、そうした歴史背景から生まれているのですね。

 

眞野: 僕たちは海沿いではなく内陸部に工場があるので、環境基準がものすごく厳しいんですよ。一般的なめっき工場では厳しいような立地ですが、お客様との距離が近くて利便性が高いこの場所に留まり続けるために、厳しい環境基準をクリアする設備投資を行ってきました。また、僕たちの戦略は「小ロット・短納期」に特化することです。世間が大量生産を追い求めている時でも、「1個からでもすぐにお受けします」「困った時の眞和興業さん」と言っていただけるポジションを守り続けてきました。今僕たちが仕事できているのも、過去の先輩たちが「誠実」に品質を守り、「節約」を重ねて信用という財産を残してくれたおかげです。だからこそ、僕たちの世代も次の世代にしっかりバトンを繋ぐために、当たり前のことを愚直にやり続けるしかないと思っています。

 

 

「AIも手厚い退職金も、すべては仲間がずっと安心して働くため」

 

――眞和興業さんの現場では、幅広い年代や様々なバックグラウンドを持つ方が活躍されていると伺いました。

 

眞野: 現在、社員は57名いますが、最高齢の方は77歳で現役で活躍してくれています。女性の比率も業界内では高いですし、技能実習生をはじめとする外国人スタッフも多く在籍しています。昨今、製造業では「地元の若い男性作業員が集まらない」と悩みがちですが、来ないものを嘆いていても始まりません。だったら、高齢者でも、女性でも、日本語がまだ得意ではない外国人のみんなでも、安全にしっかりと能力を発揮できる職場を作ればいいだけのことです。

 

――具体的にはどのような環境づくりをされているのですか?

 

眞野: そのために、いまAIやデジタル技術の導入にかなりのお金を投じています。作業指示書を文字だけの日本語ではなく、色や形、アルファベットや直感的なマークに変換してデジタルで共有できるようにしているんです。言葉や能力の壁を一気に低くすることで、特別なスキルがなくても現場で迷わず安全に動けるようになります。僕たちが目指すデジタル化は、人減らしではなく「誰でも胸を張って活躍できるようにするためのアシストツール」なんですよ。

 

――社員の皆さんの「老後」に関する取り組みも非常に手厚いと聞きました。

 

眞野: 社員から「将来や老後の生活が不安だ」という声が出た時に、会社として何ができるかを本気で考えました。そこで、生命保険や退職金制度を大幅に見直したんです。勤続年数や役職に応じた退職金の積み上げはもちろん、70歳に到達した時の設計として、45歳時点で800万円、課長クラスで1600万円、部長クラスで2400万円規模になる退職金・保険の設計を行い、さらに今年からは企業型確定拠出年金(企業型DC)の導入も進めています。

 

――そこまで社員の老後に寄り添う経営者は、なかなかいらっしゃらないと思います。

 

眞野: 中小企業ですから社員全員の要望を100%叶えることは難しいかもしれません。でも、「会社に伝えたら、1つでも2つでも環境が変わった」「この会社は自分たちの人生や老後まで本気で考えてくれている」と感じてもらいたいじゃないですか。また、健康経営の一環として、従業員の集まりの中に保険の方にも参加していただき、第三者的な視点から意見をもらいながら取り組みを進めたりしています。他にも、社員旅行でUSJや京都に行ったり、最初に話した高気圧酸素ルームを作ったのも全部そうです。社員が安心して年を重ねられる基盤を作るのが、経営者である僕の責務ですから。

 

眞和興業株式会社 眞野 祥典

「誰かの人生を背負って働く。泥臭いけれど、それが僕らの仕事の体温」

 

大企業の安定したレーンから飛び出し、狂気とも思えるスケジュールで社員の命を守る工場を建て、多様な仲間たちの将来までを泥臭く背負い続ける眞野社長。

その姿勢には、流行りのキラキラとした経営理論やスマートな成功法則とは対極にある、「生きている人間と向き合う覚悟」がありました。

「働くって、なんだろう」「自分の仕事は、一体誰の役に立っているのだろう」

毎日のルーティンの中で自分の仕事の手触り感を見失いそうになった時、愛知の小さな街で、社員とその家族の人生を真っ直ぐに背負って汗を流す大人の姿があることを、思い出してみてください。あなたが今日こなしたその仕事の先にも、きっと誰かの人生と体温が繋がっているはずです。

この記事を書いた人

宗宮彰良

宗宮彰良

ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。

営業

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