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山内 滋子氏
ゼット工業株式会社
代表取締役社長
1965年生まれ。1966年創業の家業であるゼット工業に20代で入社。工場長らのクーデターによる一斉退職という危機を、残った社員と共に夜通し機械を回して乗り越える。2007年に社長就任。現在は次期社長のご子息(常務)や若手社員の意見を柔軟に取り入れつつ、売上10億円達成時には全社員でハワイ旅行へ行くなど、義理人情と「体温」を大切にする経営で会社を牽引している。
ゼット工業株式会社は、1966年に創業された水処理用フィルターの製造および輸入販売を手がける、愛知県のモノづくりを力強く支え続けているメーカーです。代表取締役社長を務める山内氏は、20代という若さで家業である同社に入社し、社内クーデターとも言える社員の一斉退職などの数々の困難を、現場での泥臭い努力で乗り越えてきたバイタリティあふれる経営者です。女性社長が極めて珍しい製造業という世界において、どのような覚悟を持って会社を牽引してきたのか、そして売上10億円達成時に社員全員で行ったという痛快なハワイ旅行の裏側など、ゼット工業という会社に流れる温かい「体温」に迫ります。
完璧じゃなくてもいい。「エイヤー!」で飛び込み、泥臭く乗り越えた20代
--山内社長がゼット工業にご入社されたのは、2007年の社長就任よりもずっと前、ご自身がまだ20代だった頃だと伺っています。元々「いつかは家業を継ぐぞ」という強いお気持ちや意欲があったのでしょうか。
山内社長(以下、山内):「いや、親も娘2人なので色々考えていたとは思うんですが、子供の頃に周囲から色々聞かれても、私たち姉妹は2人とも『やる気はない』ってずっと言っていたんですよ。私も別のところに嫁いだりして、他の会社に勤めたりしていましたしね。ただ、若い時に本当にいろいろな事情があって離婚することになり、子供を2人抱えて『さあどうしようかな』ってなった時に、変な言い方ですけど『いっそのこと私がやってやろうか』みたいな、変な決断をしちゃったんですよね。もう本当に、最初のきっかけは『エイヤー!』ですよ。親にもいろいろと迷惑をかけたので、私がやらないとこの会社が第三者に渡っていくのかなということを考えて、私がやれば少しは親孝行できるかなと思ったんでしょうね」
--20代そこそこで、しかもお子さんを2人抱えながらそのご決断をされるというのは、なかなか簡単にできることではないと率直に思います。
山内:「本当に先の細かいことは考えていなくて、なんとかなると思っちゃったんですよ(笑)。当時は私、いわゆるヤンチャな子供だったというか、遊んでいる子供だったので、社員の人たちもそういう過去を知っているわけです。社長の娘だから当然みんなちやほやはしてくれるんですけど、やっぱりやりづらさはありましたね。だから余計に『絶対やってやる』みたいな感じで、いいスイッチが入ったんだとは思うんですけど。でも、入社して10年くらい経った頃に、これまでで一番大変な時期がやってきまして…。当時この工場を束ねていた工場長が、製造の社員を7、8人引き連れて一斉に抜けちゃったんですよ。理由もはっきりわからず、いわゆるクーデターみたいなものでしたね」
--それは本当に絶望的な状況ですね……。総勢30人ほどの会社で、製造の要となる方々がごっそりいなくなってしまったわけですか。
山内:「そうなんです。それで、私と、今も65歳を過ぎて定年後も残ってやってくれているベテランの方、その2人だけが工場に残るわけですよ。本社にいる営業の子たちもカバーしていろいろ手伝うよと言ってくれましたが、現場のノウハウがわからないですから、実質的に製造はその2人で回すしかありません。私はずっと工場に張り付いて、2人でもう本当に夜中の2時とか3時まで毎日、製造しまくっていましたね。若かったから気合いでなんとか完成できましたけど。抜けた人たちは『こんな風にやってられるか』って飛んじゃった中で、この方だけがなぜ残ってくれたのかは本人に聞いてみないとわからないですが、本当に毎年『ありがとね』って、もう感謝しかないんですよ」
「イケイケドンドン」から、若手をリスペクトして任せる度量への変化
--そこから泥臭く現場を支え続け、2007年にいよいよお父様から社長を引き継がれるわけですが、当時はどのような経営方針だったのでしょうか。女性の代表が珍しい業界での気負いなどはありましたか。
山内:「女性だからという気負いは全然なくて、逆にそういう男ばかりの中で目立っていいじゃん、みたいな思考だったんですよ。後先も知らずに自信満々だったんでしょうね。社長になってからは、とにかく会社を大きくしたい、規模を倍にするんだ、100人にするんだって偉そうに考えていました。営業にも毎年『これじゃダメだ!』って、絶対にできないような厳しいノルマの数字を上げさせてみたり。2代目ってなめられがちだから『なめられてたまるか』っていう気持ちが強かったんだと思います。でも、今は全然違うんです。規模をただ追うという考え方からは逆になりましたね」
--経営に対する向き合い方が変わった大きなターニングポイントやきっかけが何かあったのでしょうか。
山内:「息子が常務として会社に入ってきてからですね。彼はコロナ直前の入社なんですが、水処理の会社で修行していて、中国や韓国で海外勤務を経験していたんです。私が『イケイケドンドン』な性格なのに対して、彼は『まあまあ、もうちょっと慎重にいきましょう』とブレーキをかけてくれる落ち着いたタイプでして。それに、ここ10年くらいで若い優秀な社員がたくさん入ってきてくれて。たとえば学生時代に英語などの語学を専攻していて4カ国語くらい話せる女性がいるんですが、彼女が海外担当としてバッチリ仕事をしてくれて、本当に今の会社の強みになっています。昔は通訳さんを入れていたんですが、こちらの意図がなかなか伝わらないことも多くて。自分の社員が言葉を介して真っ直ぐに交渉してくれるというのは本当に心強いんですよ。彼女の能力に代わる人はもう社内にはいないですね」
--常務や若い世代の方々が、ゼット工業さんに新しい風を吹き込み、会社をより良く変えていっているんですね。
山内:「そうなんです。若い世代が入ってきたことで、『こういうことも新しくやった方がいいよ』『今の時代に沿った会社にした方がいいよ』と提案してくれるようになりました。コロナ禍で仕事が減って一番暇だった時にYouTubeで動画を作ってみたり、社内の規定や福利厚生を見直したり。そういうのを常務が提案してくれて、若い子たちが主軸になって進めてくれるんです。私が『会社を大きくしたい』と無理に引っ張るより、中身の部分をもう一度ちゃんとしてからのほうがいいんじゃないかって、だんだんと私の考えも変わってきました。自分の弱さというか、イケイケなだけじゃダメなんだなって素直に認めて、若い世代をリスペクトして任せるようになりましたね」
ただの数字じゃない。社員と喜びを分かち合う「体温のある目標」
--今は社員数も50名規模になり、売上も11億円と大きく成長されていると伺っています。会社としての今の目標や、社員の皆さんとのコミュニケーションの取り方について教えてください。
山内:「私が継いだ頃は6億円くらいだったんですが、何年か前に『10億なんて到底遠いことだ』と思っていた時に、パラッと言っちゃったんですよ。『10億達成したらみんなでハワイにでも行きたいね!10億行こう!』って。そうしたら、ちゃんと去年その目標を達成して、本当に全員でハワイに行くことになったんです。結構費用がかかりましたけど、パートさんや嘱託の方も入れて、行ける人はみんなで行きました。自由参加ですが、30人くらいは参加してくれましたね。なかなか思い切った決断でしたが、みんなで集まって食事をして、本当に楽しかったです」
--会社の経費で社員全員で旅行に行けるというのは本当に夢がありますし、働く上でのすごく大きなモチベーションになりますよね。
山内:「うちは普段から、年に2回くらいは会社行事として暑気払いや新年会をやっていて、ビアガーデンにみんなで集まったりしているんです。社員からの『社長!』っていう声を聞きながら、一緒にワイワイと喜びを分かち合えるのが一番嬉しいですね。だから会社の次の目標として、2030年に売上15億円が達成できたらいいねと言っています。あと4年ですね。無理に人数を増やして規模を追うのではなく、今のメンバーでしっかり利益を出しながら、達成した時には全員でその喜びを分かち合う。そんな体温のある会社であり続けたいと思っています。息子への世代交代も遅くとも5年以内にはなんとなく考えていますが、今はまだまだみんなと一緒に走っていたいですね」

ゼット工業株式会社の山内社長は、終始明るく、カラッとした笑い声を交えながらこれまでの激動の歴史を語ってくれました。シングルマザーとして「エイヤー!」で家業に飛び込んだ20代の決断、その後に突如として起きた工場長と職人たちの一斉退職、夜通し機械を回した泥臭い日々、残ってくれたベテラン社員への深い感謝、そして若手の意見を素直に受け入れる柔軟さ。当時の苦労を笑い飛ばし、若い世代をリスペクトして会社を委ねていく器の大きさに、ハッとさせられました。
売上目標という本来無機質になりがちな数字の先には、「達成したらみんなで旅行に行く」という明確で温かいゴールが設定されていました。日々の業務の中で、「このままでいいのかな」と立ち止まってしまう夜もあるかもしれません。 しかし、「10億いったらみんなで海外旅行に行くぞ!」と本気で宣言し、実際に全社員でその喜びを分かち合うゼット工業のあり方は、「こんな大人たちがいる会社っていいな」と、働くことへの純粋なワクワク感を思い出させてくれます。
完璧でなくてもいい、挫折や理不尽があっても覚悟を決めて目の前のことに全力で向き合えば、こんなにも体温の通った会社をつくることができる。山内社長の飾らない言葉の数々は、私たちが日々の業務の中で忘れかけていた「働くことの熱量」を、力強く思い出させてくれるものでした。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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