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平松 利之 氏
株式会社グランドワークス
代表取締役
(ひらまつ としゆき)/大手ハウスメーカーで営業を経験したのち、ホームテックの屋号で個人創業。2005年有限会社ホームテックとし、2006年株式会社グランドワークスに商号変更。代表取締役に就任。「オールグリーン」ブランドの元、個人向けエクステリア全般を中心に外構・図面・ディスプレイ・物販業務を展開する。
愛知県内で外構・エクステリア専門店「オールグリーン」を展開する株式会社グランドワークス。現在は県内に7店舗を構え、創業から24年を迎えています。
順調に成長してきた会社に見えますが、代表の平松利之さんに話を聞いてみると、「最初から外構をやろうと思っていたわけじゃない」「むしろ飲食店で失敗している」という意外な話から始まりました。
今では外構一筋で事業を続けている平松さんですが、その道のりは計画通りというより、目の前で起きた出来事に向き合い続けた結果だったようです。
大手ハウスメーカーを辞めたあと、飲食しか残らなかったんです
——平松さんは大学卒業後、住宅メーカーの積水ハウスに入社します。営業として成果を出し、新人賞も受賞したそうですが、20代前半で独立を決意しました。
平松 当時は若かったので、何でもできると思っていたんですよ。積水ハウスでも結果が出ていたし、自分でやっても何とかなるだろうと思っていました。ただ、いざ独立しようと思っても、現実には資金もコネもありません。やりたいことを紙にいっぱい書き出したんですよ。遊園地を作りたいとか、住宅メーカーをやりたいとか。でも全部無理なんです。お金もないし、人脈もないし、結局現実的に残ったのが飲食店だったんですよね。
——バーで修業を積み、自分の店を開業しました。ところが、オープンしてわずか数日で「向いていない」と感じたと言います。
平松 本当に二日目くらいで辞めたいと思いました。飲食が悪いんじゃなくて、自分に向いてなかったんです。積水ハウスではお客さんから相談される立場だったのに、水を注いで『ありがとうございます』と言う仕事に、自分の気持ちがどうしても乗らなかったんですよ。
——それでも借金をして始めた店を簡単には閉められず、二年間続けました。
平松 努力はしましたよ。でも二年経ってもダメだったので、もう辞めようと決めました。
気づいたら外構の仕事が始まっていました
——飲食店を閉じたあと、再就職するか、資格を取るか、それとももう一度挑戦するか。その選択に迷っていた頃、飲食店の内装を担当した知人から声がかかります。
平松 建築関係の仲間と仕事をしているから、一緒にやらないかと言われたんです。積水ハウス時代の経験もあったので、営業役として入ることになりました。
——そこで解体工事や外構工事の仕事を受注し始めたものの、工事が始まる前に組織が崩壊してしまいます。
平松 契約書も何もないような集まりだったので、突然なくなっちゃったんですよ。でも僕はお客さんから仕事をもらっているので、工事を止めるわけにはいかない。業者さんを必死で探して、何とか完成まで持っていったんです。
——結果的に、それが今のグランドワークスの原点になりました。
平松 だから正直、『これをやろう』と決めて始めたわけじゃないんです。始めることになっちゃったという方が正しいですね。
——しかし仕事は想像以上に増えていきました。実家の一室でスタートした事業は、やがて事務所を借りるまでになり、売上も伸びていきます。
解体より外構だったのは、ありがとうと言われる仕事だったから
——創業当初は解体工事やリフォームなど、住宅に関する仕事を幅広く手掛けていました。その中で徐々に外構へと軸足を移していきます。
平松 解体って、極端に言えば仕事を取って解体業者さんにお願いするだけなんですよ。もちろん必要な仕事なんですけど、自分たちの色が出しにくいんです。
——一方で外構には設計やデザインがあります。
平松 お客さんごとに要望も違うし、使い勝手も考えるし、安全性も考える。そこには自分たちの考えが入るんですよね。
——平松さんは少し考えながら続けました。
平松 僕は昔から、人の仕事を右から左へ流して利益を取るだけみたいなことが、あまり好きじゃなかったんです。それよりも、お客さんに『あなたで良かった』と言ってもらえる仕事の方がやりたかったんだと思います。
——だからこそ、外構に特化する決断をしました。2006年には社名を株式会社グランドワークスへ変更し、事業も外構・エクステリアに絞り込んでいきます。
売上3億円までは勘でやっていました
——創業からしばらくは、とにかく仕事をこなす毎日でした。紹介をもらいながら売上は伸び、人も増えていきます。
平松 売上高3億円くらいまでは本当に勢いでした。忙しくなったら人を採用して、また忙しくなったら増やして。今思うと全然計画なんてなかったですね。
——そんな中で訪れたのがリーマン・ショックでした。世の中が一気に暗くなる中でも、グランドワークスは利益を伸ばします。さらに住宅展示場に空き区画が生まれたことをきっかけに、八事への出店も実現しました。ここで誕生したのが、現在のブランドである「オールグリーン」です。ただ、売上が伸びても課題は残りました。
平松 3億、5億円くらいのところで限界を感じたんですよ。売上は上がっているのに利益が残らないし、自分の勘だけでは先が見えなくなったんです。
——そこで平松さんは経営を学び始めます。大手コンサル会社のコンサルティングを受け、さらにランチェスター戦略や経営塾で学びながら、事業の考え方を整理していきました。
平松 飲食を辞めた時は勉強なんてしたくないと思っていたんですけどね。でも会社を続けるには、自分が学ぶしかなかったんです。
いろんな事業をやりました。でも結局戻ってくるんです
——平松さんは外構事業以外にも、ラーメン店、釣具メーカー、不動産、セルフエステ、トランクルームなど、さまざまな事業に挑戦してきました。
平松 ラーメン屋はリベンジだったんですよ。若い頃に失敗したから、今ならできると思って」
——結果は再び失敗でした。
平松 十一年続けたんですけど、結局うまくいかなかったですね。
——他の事業も同様でした。
平松 結局、僕自身の気持ちが入らないんです。人に任せるしかない事業は、その人次第になってしまうし、僕が本気になれない。
——だから今は考え方が変わりました。
平松 人に依存しない事業しかやらないようにしています。セルフエステもトランクルームもそうです。人が介在しなくても回る仕組みがあるから続けられるんです。
——そして話は再び外構へ戻ります。
平松 結局ね、気持ちが入らない仕事はお客さんに見透かされるんですよ。だから僕は外構なんでしょうね。これだけはずっと軸です。

創業から24年。飲食店の失敗から始まり、偶然のようにスタートした外構の仕事は、今では愛知県内に複数店舗を展開する事業になりました。
ただ、平松さん自身は成功談として語るわけでもなく、「たまたまですよ」と笑います。
その言葉の裏には、流れに身を任せてきたというより、その時々で起きた出来事から逃げずに向き合い続けてきた24年間があるように感じました。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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