「技術があれば無双できる」は甘かった。19歳での挫折が教えてくれた「声に出す」泥臭い働き方 ――株式会社ISSEN GLOBAL

「技術があれば無双できる」は甘かった。19歳での挫折が教えてくれた「声に出す」泥臭い働き方 ――株式会社ISSEN GLOBAL

片山 陽向  氏

片山 陽向 氏

株式会社ISSEN GLOBAL

代表取締役

(かたやま ひなた)/愛知県春日井市出身。起業家の両親のもとで育ち、幼少期から家業を手伝う。中学生で美術を志し、高校在学中からプロのカメラマンとして活動。高校卒業後に映像スタジオへ就職し、19歳でドローンの新規事業を立ち上げるも壁にぶつかり退職。1年間の「迷走期間」を経てAIの可能性に衝撃を受け、起業。現在は愛知を拠点にAI開発やコンサルティングを展開し、学生を含む少数精鋭チームを牽引している。

株式会社ISSEN GLOBALの代表取締役を務める片山さんは、20代前半という若さでありながら、すでに波乱万丈なビジネスキャリアを歩んできました。起業家であるご両親のもとで育ち、幼少期から家業を手伝うことが当たり前だったという環境から、中学生でモノづくりの世界へ足を踏み入れ、19歳で新規事業を立ち上げるほどの行動力を発揮しています。しかし、その道のりは決して順風満帆だったわけではなく、自分の技術が全く通用せずに仕事が1件も来ないという手痛い挫折や、約1年間にわたる「迷走期間」も経験されてきました。今回のインタビューでは、そんな片山さんがいかにして現在のAI事業へと辿り着き、学生たちを巻き込んだ血の通うチームを作り上げていったのか、その飾らない等身大のストーリーをじっくりとお伺いしました。

 

 

中学生で工場に直電。モノづくりの原点は「ゼロイチ」への強烈な好奇心 

 

――事前にプロフィールを拝見させていただき、小学生の頃からご自身の興味のあることをどんどん追求されている姿勢がすごいなと思っていました。何かの影響などがあられたのでしょうか。

 

片山代表(以下、片山):父も絵を描くのがずっと好きで、自分でいろいろな会社をやっていたりする人だったので、そういうゼロから何かを作り出す「0→1(ゼロイチ)」の環境が身近にあったのは大きいと思います。母が託児所を経営していて、父がラーメン屋のフランチャイズや、個人で豆腐を売るリアカーを自分で作って販売したりと、かなりアグレッシブに事業を展開していました。だから幼稚園くらいの時からずっと託児所やお店の手伝いをしていて、逆にそうやって手伝わないと親が忙しくてあまり会えなかったんです。一緒に仕事を手伝うことが子育てみたいな感じだったのかもしれませんね。

 

――中学生の頃にはすでに美術系の道に進みたいと考えられていたとお聞きしましたが、何か具体的なきっかけがあったのですか。

 

片山:シンプルに美大に行きたくて、何かを作りたかったというのがあります。今のプログラミングでも絵でも同じなんですが、ゼロから自分で作るっていうのがやりたくて。でもやっぱり当時は中学生なんで、何が自分に向いているゼロイチなのか分かっていなかったから、とりあえず美大に行きたいくらいの気持ちでしたね。当時は服のブランドを作りたいと思ったら、色々な工場に自分で電話をかけて、パターンの作り方を帽子工場のおじちゃんに教えてもらったり、手描きの絵を見せて「これだったら何着で原価がいくらになりますか」と試算したりということをずっとやっていました。周りの同級生が部活をやっている中で、明らかに自分は違う方向を向いているなというのは分かっていましたね。

 

――中学生で自ら工場に直電して原価計算までしているのは本当に驚きです。高校時代にはお父様からの依頼で、カメラのお仕事もされていたそうですね。

 

片山:父が10万円くらいのカメラを買ってきて「お前ならできるだろう」と言われたのが始まりでしたね。僕自身も物怖じしないタイプなので「やっと自分の番が来たか」くらいの感覚で、そこからお店の宣伝写真を撮ったり、週末にはウェディングのカメラマンとして定期的に撮影の仕事に入ったりしていました。ただ、ウェディングの撮影はその場の状況を綺麗に記録するという意味合いが強いので、もっとクリエイティブなゼロイチがしたいという思いが強くなっていきました。そこで高校3年の時に、CMなどを手掛ける本格的な撮影スタジオの面接に行ったんです。

 

 

19歳でドローン事業を立ち上げるも挫折。技術だけでは仕事が来なかった「迷走の1年」 

 

――高校生からプロの厳しい現場に入っていくのはすごい決断だと思いますが、どのような環境だったのでしょうか。

 

片山:完全な縦社会の職人の世界でした。僕も進学か就職かで迷った末に、働く方を選んで高校卒業と同時にそこの正社員になったんです。ただ、僕自身がアシスタント業務に全く向いていない性格だったのと、いずれは起業したいという思いがあったので、社長が「うちでもドローンをやりたい」と話しているのを聞いて直談判しました。「僕ならこうやって飛ばせるので免許を取らせてください」と予算をつけてもらい、19歳の時に社内新規事業としてハイエンドなドローンをゼロから自分で組み立てて立ち上げたんです。

 

――19歳で新規事業立ち上げまで任されるとは恐れ入ります。ただ、そこから事業を進める中で大きな壁にぶつかってしまったとお聞きしました。

 

片山:いざやってみると、法律の規制がすごく厳しかったり、バッテリーが5分で切れてしまったりと課題だらけでした。時速150キロから200キロで飛ぶような機体なのに、500メートルも離れると電波が砂嵐になって一瞬で墜落する危険があるなど、実際に作ってみて初めて分かる技術的な壁が山積みだったんです。事業として成立するまでに5〜6年はかかる長期プロジェクトになることが見えてきて、自分としては機体を作るというところまでやり切った段階で退職を決意しました。1年8ヶ月ほど働いてからの独立でした。

 

――起業されてからは、ご自身のスキルを活かして順調にお仕事を受注できたのでしょうか。

 

片山:いや、もう事業の案はいろいろあったんですけど、ことごとく全部外れました。自分はドローンも操縦できるし、写真も上手いし、美大向けのデッサンもできるから絵コンテも描ける。これだけ揃っていれば絶対に無双できるだろうと思っていたんですが、見事に1件も仕事が来なかったですね。「良かったら何でもやるんで」みたいな営業しかしていなくて、今思えばそんなやり方で相手が僕を選ぶ理由がないんですが、当時は本気で悩みました。約1年くらいは完全に迷走期間で、本当にお金もなくなってしまって。「壁でも何でも売ろう」とゼロベースで考え直したり、銀行へ融資の相談に行って事業計画を作ったりと、ひたすらもがいていました。

 

 

コワーキングスペースでの雑談が転機に。AI事業との出会いとチームづくり 

 

――その苦しい迷走期間から、どのようにして現在のAI事業へと舵を切ることになったのでしょうか。

 

片山:起業して半年から1年くらい経った頃、チャットGPTが出始めたタイミングだったんですが、通っていたコワーキングスペースで「AIの部分だけが分かる人がいなくてネックになっている案件がある」という相談を受けたんです。僕自身も仕事がなくて無限に時間があったので、とことん調べて「こうやったらこのくらいの予算でできます」と提案したら、そのまま任せてもらえることになって。これが初めての受注で、写真やドローンではなくAIが初めての仕事になったということに衝撃を受けましたね。そこからAIに関する事業に完全にシフトして、徐々に売上も伸びていきました。

 

――現在は従業員の方も増えて、とても独自のチーム体制を築かれているとお伺いしました。

 

片山:今は従業員が8名いて、そのうち7名がアルバイトで、ほとんどが名古屋工業大学の学生です。みんな優秀で、正社員並みの給料を稼ぐくらいえげつない時間を稼働してくれています。「大企業に行くために圧倒的な経験を積みたい」という純粋な勉強意欲でバリバリ働いてくれているのが本当に心強いですね。

 

 

息抜きはグルメ開拓。それでも四六時中、仕事のことを考えてしまう 

 

――現在も基本的には愛知県をベースに活動されているのでしょうか。東京への進出などは考えられていないのですか。

片山:そうですね。いずれは東京に行けるようなプロダクトも作っていますが、今は愛知県内、特に少し離れた地域からのAI化ニーズがすごく多いんです。私たちは「絶対に直接訪問する」という形を大切にして営業しているので、まずはこの地元に密着してやっていこうと思っています。

 

――お仕事のお話を聞いていると、本当に四六時中ずっと仕事と向き合われている印象を受けます。息抜きなどはされているのでしょうか。

 

片山:もう圧倒的に仕事ですね。ほぼプライベートはありませんでした。ですが、仕事だけと言いながらも、社員のみんなと旅行に行ったり、サウナに行ったりするのは好きですし、何より自分自身がゼロイチを生み出すのが楽しくて仕方がないんです。最近はグルメ開拓にもハマっていて、日本中の飲食店を「価格帯」や「予約の取りやすさ」で細かくマッピングした独自のリストを作って、社員や知り合いから相談されたらお店を提案したりしています。それも結局パソコンを開いて仕事がしやすい環境を探すためだったりするんですが。

 

――最後に、今のキャリアに悩んでいたり、これからの働き方に迷っている読者に向けて、何かメッセージをお願いできますでしょうか。

 

片山:僕も最初、コワーキングスペースで知り合った人からAIの仕事をもらえたのは、自分のやりたいことや考えていることをただ口に出して周りに言っていたからなんです。だから、思ったことをまず誰かに話してみるというのはすごく大事な第一歩だと思います。学生であっても、案件で知り合ったベテランのエンジニアに「僕って将来どういう仕事に就いたらいいと思いますか?」と率直に相談してみたりする。企業という枠組みに限らず、いろんな人と直接しゃべって話してみることで、予想もしていなかった道が開けるんじゃないかなと思いますね。

 

 

片山さんのお話を伺って最も印象的だったのは、圧倒的な行動力と多彩な才能の裏にある「失敗」の数々でした。19歳で自作ドローンの新規事業を立ち上げ、カメラも絵もプロ級の腕前。それだけ完璧な武器を持っていればすぐに成功しそうなものですが、現実は「1年間仕事ゼロ」という厳しいものでした。

しかし、資金も底を尽きかけた暗黒期から片山さんを救ったのは、高度なスキルではなく「コワーキングスペースで自分のやりたいことや現状を声に出す」という、とても人間臭い小さな行動でした。

毎日同じ組織の中で「このままでいいのかな」とモヤモヤしていると、つい「自分には特別な武器がないから」と動かない理由を探してしまいがちです。ですが、まずは自分の現在地や悩みを、周囲の誰かに率直に話してみる。そんな体温のあるコミュニケーションこそが、停滞した日常を少しだけ前に進める一番の原動力になるのだと、学生たちと笑い合いながら働く片山さんの姿から教わりました。

この記事を書いた人

松下遥風

松下遥風

社会人3年目、2026年4月入社の新人です。「企業にとって最適なご提案・ご支援がしたい!」と思い、求人広告の業界に転職しました。就活時からの「人の人生にかかわる、人の力になる仕事がしたい」を軸に、企業だけでなく求職者のためにもなる採用支援ができるよう日々精進しています!

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