「死ぬかもしれない」どん底から這い上がった経営者が作る、血の通ったビジネスのカタチ。

「死ぬかもしれない」どん底から這い上がった経営者が作る、血の通ったビジネスのカタチ。

松浦 平憲 氏

松浦 平憲 氏

株式会社ローズパートナー

代表取締役社長

(まつうら・ひらのり)/1973年生まれ、和歌山県出身。大学卒業後、業界最大手の積水ハウス株式会社へ入社。地域トップクラスの営業成績を収め、店長や支店幹部を歴任する。41歳で独立し、「不動産」と「個人の相続(税務)」を掛け合わせた株式会社ローズパートナーを設立。

大学卒業後、「どうせやるなら形に残る仕事でトップを目指す」と業界最大手の住宅メーカーに入社し、店長や支店幹部まで歴任した松浦代表。順風満帆に見えるキャリアの裏には、入社6年目で過労で倒れ、「胃がんで死ぬかもしれない」と本気で死を覚悟した20代の凄絶な挫折期間がありました。

立派に見える大人が、かつてはもがき、絶望の淵からどうやって「働く意味」を取り戻していったのか。そして、なぜ「定年のない会社」を目指すに至ったのか。松浦代表のリアルな言葉とその体温をそのままお届けします。

 

エリートの絶望と再生 ──「立派な大人だって、昔は精一杯にもがいていた」

──まずは、前職である積水ハウスに入社された当時の理由や、ご自身のキャリアの始まりについて教えていただけますか。

 

松浦

私はどうしても形に残る仕事がしたかったのと、どうせ勝負するならトップ企業で勝負したいという気持ちが非常に強かったんです。地元の和歌山で一番大きな金融機関からも内定をいただいていたんですが、最終的には住宅メーカーの最大手である積水ハウスを選びました。トップ企業にはその業界を目指す優秀な人たちが当然集まっていますし、そこでパフォーマンスを発揮して勝負したほうが、やりがいがあるようなイメージを持っていたんですよね。

 

──そこから19年間という長期間にわたって勤め上げられましたが、その中で一番大変だった時期、心が折れそうになった時期はいつ頃だったのでしょうか。

 

松浦

入社6年目、28歳から29歳くらいの頃が一番大変でした。若手時代、とにかく早く成長したいという思いが強く、自分自身に高い目標を課して限界まで仕事にのめり込んでいたんです。ですが、プレッシャーの中でついに倒れてしまったんですよ。本当に一番きつい時期でしたね。当時は営業職として全力を尽くす中で、先輩方からも『誘われたら断るな、それは期待の証だ』といったアドバイスをいただき、自分自身もそれを成長のチャンスと捉えて精力的に動いていました。夜の12時に仕事が終わっていても、誘われれば『ちょっと遅れます』と言いながら飲み会に参加してみたり、朝は8時から出社したり。気持ち的には充実感がすごくあったんですが、実際の肉体がそのスピードに全くついていっていなかったんです。

 

──心と体が完全に悲鳴を上げてしまったんですね。当時の休職期間中は、どのようなことを考えて過ごされていたのですか。

 

松浦

あの時の、社会からの置いていかれ感というか、思い切り挫折した感、これから自分はどうなってしまうんだろうという恐怖は大きかったですね。急激に痩せたので本気で胃がんだと思っていて、もう死ぬんだったらお金なんて関係ないなと思って、大型バイクの免許を取ってハーレーを買ったりもしました。休職中なのに妻とヨーロッパ旅行に行って、現地のホテルにドクターを呼んで点滴を打ってもらいながら過ごしたり…色々やりたいことを詰め込んで、結果的にはただの急性胃炎だったんですけどね(笑)。でも、倒れてみた時に『1営業マンとして何の資格もないのって、ものすごいリスクだな』と痛感したんです。営業って成績さえ出していれば資格なんてなくてもいいし、会社には体制も人材も揃っています。でも、いざ自分が倒れた時には何も手元に残っていない。そこから、いざという時のリスクに備えて、本当の実力をつけるために資格を取ろうと猛勉強を始めました。復活してからは、人並みの成績を残しながら1日3時間から5時間くらいしか寝ずに、休みの日はずっと勉強。宅建や合格率10%ほどのマンション管理士など、関連する不動産の難関資格を半年から1年の間に死ぬ気になって一気に取りましたね。

 

数字のためじゃない、本当のプロの働き方

──病気を経てご自身のベースとなる強みを身につけられたわけですが、働き方や営業スタイルそのものにも変化はありましたか。

 

松浦

当時はとにかく結果を出すことに夢中で、『スリーエス』、つまり『果敢に挑戦し続ける』姿勢を大事にしていたんです。全国でも注目されている活気ある支店に配属されたこともあり、私自身も目標達成に向けて限界までアクセルを踏み込んでいました。夜中に打ち合わせした資料を朝一にはまたお客様宅に届けるといったハードな生活でしたが、当時は『どうすれば自社の強みを最大限に伝え、お客様に選んでいただけるか』という意識が非常に強かったんですね。

 

──とにかく数字を追い求める、過酷な環境だったのですね。そこからどう変わっていったのでしょうか。

 

松浦

入院して、無理していたなと心底気づいたんです。私はもともと、見えない力などを信じているタイプで、そういうガツガツした心の持ちようが悪くなるようなやり方は本質的に苦手だったんですよ。そこから変わったのは、最初から資金計画をきちっと立てて、家族構成を丁寧に聞き取るスタイルへの転換です。なんなら、積水ハウスで建てたいと希望されているお客様でも、資金計画的に無理があると判断した場合は『申し訳ないですが、これで私の成績は減るかもしれないですけど、無理してやらない方が本当にいいですよ』とアドバイスして止めるまでになりました。真逆の徹底した寄り添い型の営業スタイルですよね。でもそうすると、結局は紹介が増えるんですよ。私が積水ハウスで打ち合わせした間取りのまま、地元の工務店なら半額くらいで建てられるからとそちらを勧めたお客様が、『松浦さんのおかげでいい家を建てることができました』と言って、別の方を紹介してくれたり。北風と太陽じゃないですけど、やっぱり自分のスタイルで、本当にお客様のためを思ってやっていくことが巡り巡って返ってくるんだと実感しました。

 

血の通ったビジネスと「定年のない会社」──「働く意味の答え」

──その後、41歳で独立して現在のローズパートナーを立ち上げられました。相続のコンサルティングに加えて、フルーツ大福店も展開されているのにはどんな狙いがあるのでしょうか。

 

松浦

相続というと大金持ちのドロドロした話だと思われがちですが、今の家庭裁判所で揉めている案件の8割は実は5,000万円以下なんです。10億円を分けるなら数億円ずつもらえるのでそこまで揉めませんが、4,000万円と1,000万円の分け方なんかだと、ものすごく揉めたりするんですよ。だから話し合いの場も、皆さんが想像されているよりも結構厳しくて、最初からファイティングポーズを持ってくる方も少なくありません。そこに私たちが入って『不動産をどうしていきましょうか』と話をするわけですが、その場を作るために『まずは甘いものでも食べて始めませんか』とフルーツ大福をお持ちするんです。甘いものを食べてほっこりしながら進めましょうという実利を狙っている部分と、他の企業様に『私たちは揉めないように話し合いを和ませるため、フルーツ大福店まで持っているんですよ』と本気度をアピールするブランディングの側面があります。やはりお金が絡むと人は変わりがちですが、お金はあくまで人生を豊かにする手段であって、目的ではありません。いかに相手を思いやり、揉めない相続を実現できるかを大切にしています。

 

──相続を単なる税務の手続きではなく、人と人との血の通った問題として捉えられているのですね。今後、会社として目指しているビジョンについても教えてください。

 

松浦

会社の最終形態として、私が目指しているのは『定年のない会社』です。90歳の方が働きたいというのであれば、その体力を持っている限り何らかの仕事を与えられる会社にしたいんです。例えば相続の話でも、若い担当者が『将来はこうなりますよ』と頭ごなしに言うより、90歳の方がご自身の経験から話してくれた方が、お客様の心に深く響くかもしれないじゃないですか。これからは100歳まで生きる時代ですから、年金制度に頼るだけでなく、少しでもお金が入る仕組みを作っておくことは、働く社員とその家族の未来につながります。社是にも『家族の未来をつくる』と掲げていますが、社員の家族も含めて、豊かな人生を送るためのお手伝いをしていきたいですね。

 

──最後に、今の仕事に対して「このままでいいのかな」と漠然とした不安を抱えている20代の若手ビジネスパーソンに向けてメッセージをお願いします。

 

松浦

若い人に今言いたいのは、とにかく20代はしんどいことをした方がいいということです。2つの選択肢があってどちらを選ぶか迷ったら、必ずしんどい方、ストレスがかかる『挑戦』を選んでやり続けてほしい。歯を磨くことは毎日の行動であっても、そこにストレスがないなら決して挑戦とは言いませんからね。あとは、先を見る力、自分の将来設計をしっかりと見据えることです。今の目の前の仕事が嫌だとかキツイとか、そこだけを見るんじゃなくて、このしんどい仕事をした後に経営者やお客様からいかに信頼を得られるかを考える。そこを見据えている人は、しんどい仕事でも前向きに引き受けてくれますよね。私自身も倒れるほどの挫折を味わいましたが、そこから腹を括って勉強し、自分のスタイルを見つけました。足を止めず、少しでも目線を上げて挑戦を続けていけば、必ず自分の力になり、未来への道は開けていくと思っています。

 

「20代はあえてしんどい方を選び、ストレスのかかる挑戦をやり続けてほしい」という言葉だけを切り取ると、今の時代にはそぐわない厳しい精神論のように聞こえてしまうかもしれません。しかし、業界トップ企業での壮絶なプレッシャーの中で心身をすり減らし、どん底から這い上がってきた松浦代表の口から静かに語られるからこそ、その言葉には圧倒的なリアリティと深い優しさが宿っているように感じました。 利益や効率ばかりが優先されがちなビジネスの世界において、親族間の話し合いの場を少しでも和ませるため、自らフルーツ大福店まで営んでいるエピソードは、松浦代表の「血の通った」仕事への向き合い方を象徴しています。目の前の業務に追われて「自分は一体誰のために働いているのか」を見失いそうになった時には、相手の人生に徹底して寄り添おうとするローズパートナーのあり方が、私たちに「働く意味」を力強く、そして優しく問い直してくれるはずです。 

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

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