「仕事ってワクワクしていいんだ」25歳の挫折から始まった、挑戦を続けられる会社づくり。

「仕事ってワクワクしていいんだ」25歳の挫折から始まった、挑戦を続けられる会社づくり。

上田 和由  氏

上田 和由 氏

株式会社アクティブ

代表取締役社長

うえだ・かずよし/愛知県育ち。バイク好きが高じて整備士学校へ進み、19歳で単身オランダへ。現地のサスペンションメーカー『HYPEPRO社』に約2年勤務する。他社勤務を経て25歳で実父が創業した株式会社アクティブへ入社。現場での挫折や国内営業等を経て、2019年に40歳で代表取締役社長に就任。

「このままでいいのかな」。毎日の業務に追われ、ふと立ち止まった夜、そんな漠然とした悩みを抱える人は少なくないはずです。愛知県日進市に本社を構えるオートバイパーツメーカー、株式会社アクティブ。ここには、「仕事こそワクワクすべき物」という信念を掲げ、泥臭くも圧倒的な熱量で走り続ける大人がいます。代表取締役社長、上田氏。その人生の軌跡は、決して綺麗に舗装されたエリート街道ではありません。若さゆえの勢いで地元を飛び出し、言葉も通じない異国で揉まれ、親の会社に入ってからは「勘違い野郎」として徹底的に鼻をへし折られる。自らの失敗を笑い飛ばし、挑戦の歩みを止めないトップの生々しい言葉から、私たちが忘れかけていた「働く体温」を感じ取ってみたいと思います。

 

「若さゆえの勢いで大阪へ」直感と行動力だけでオランダへ突撃した日々

ーー上田社長とバイクの出会いからお伺いしたいのですが、お父様(現会長)が有名なバイクパーツメーカーを経営されている環境なら、自然とバイクに囲まれて育ったのでしょうか。

 

上田 いや、全然そんなことはなくて、親父の会社がどんな仕事をやっているかも全く知らないまま学生時代を過ごしていたぐらいでした。実家にはたまにしか帰ってこない親父だったので、高校生になって単車に興味を持ったのも親の影響ではなく、完全に自分発信の趣味だったんですよね。同級生に「うちの親父がアクティブっていう会社にいるらしい」と話したら、「お前、あのアクティブ知らんの?」って周りの友人が驚いていたくらいですから。原付免許を取得して初めて買ったバイクを自分なりにカスタムし始めて、近所にあったバイク用品店に何回も通い詰めるような普通の学生時代を送っていました。

 

ーーその後、ご自身で整備士学校に進学されていますが、その頃には将来的に家業を継ぐという意識がすでにあったのでしょうか。

 

上田 全くないですね。むしろ実家から離れて県外に出たいというのが一番で、自分も地元を離れたくて親にちょっとした嘘をついて大阪の整備士学校に行ったんです。「名古屋の学校じゃダメだ、大阪じゃないと絶対に学べないことがあるんだ」なんて必死に説得して(笑)。振り返れば若さゆえの勢いと思い付きからのスタートなんですけど、そこからさらに海外に行きたいと思い立って、ACTIVEが取引にあったパーツメーカーなど7社くらいにアポを取って直談判しました。結局6社に断られたんですが、最後にオランダのサスペンションメーカーが受け入れてくれて、言葉もろくに話せないまま単身オランダへ飛んだんです。

 

ーー言葉の壁がある中での海外生活は、想像するだけでもかなりハードだったのではないですか。

 

上田 最初の頃は本当に苦労の連続で、向こうからすれば英語も喋れない東洋人がいきなり来て、掃除の指示を出しても言葉が分からないから「こいつは掃除もできない奴だ」と全社員に扱われるわけです。一緒に働き、同居することになった、当時の従業員のピーターとは特にギクシャクしていて、言葉が分からないのをいいことに酷い対応をされていました。でも、悔しくて必死に英語を覚えて、ある時他の従業員に対しついに感情を爆発させて、持っている英語の語彙を振り絞って自分の意見をはっきりと言い返し、言い負かせてやりました。そうしたら「お前、やるやん」みたいな空気になって、そこからはもう兄弟のように仲良くなれました。自分の心が動いた「ワクワク」に向かってリスクを顧みず100%で飛び込めば、たとえ最初はアウェイの環境でも、最後には深い友情が築けるんだという強烈な原体験になっています。

 

ーー当時のエピソードなどで、特にご自身の記憶に残っていることはありますか。

 

上田 実は、ピーターが僕に古いGS350というバイクを譲ってくれたんです。それを自分で直そうと決めて、1年ほどかけてずっとエンジンから整備していたのですが、ようやく完璧に直ったのが、帰国する前日のことでした(笑)

 

「自分は何でもできる」勘違い野郎の鼻がへし折られた25歳

ーーオランダから帰国後、25歳で株式会社アクティブに入社されます。当時はどのような心境だったのでしょうか。

 

上田 オランダから帰ってきて大手自動車メーカーの下請けでマニュアルを作るような仕事をした後、久しぶりに親父から電話があってアクティブに入社することになったんです。でも当時の僕は、単身オランダでなんとかやってきたという変な自負もあって、「自分は何でもできるはずだ」と思い込んでいる完全な勘違い野郎でしたね。かなり調子に乗っていた自覚は間違いなくあります。ただ、当時の会長が、現在僕の右腕としてやってくれている井上をはじめとする現場のトップに対して、「あいつには社長の息子だとか一切気を使うな。手加減せずに、現場で徹底的にしごいて鍛え直してやってくれ」と裏でこっそり言っていたらしくて。

 

ーーそこから、現場で徹底的に鍛え上げられる日々が始まったのですね。

 

上田 そうです。当時の井上をはじめとする現場のトップは本当に厳しくて、1従業員として徹底的に揉まれました。でも、それが結果的にすごく良くて、調子に乗っていた自分の鼻を見事にへし折ってくれて、自分一人では何もできないんだという事実を痛感させられましたから。鼻を折られてそこから伸びてこない人は結局チャレンジしなくなりますが、そこで逃げずに踏ん張れたからこそ、周囲のサポートのありがたみを知ることができたし、今の自分があると思っています。

 

「冗談じゃない」39歳の夜、人生を決めた会長への反論

ーー国内営業などを経て、徐々に会社を背負う立場へと向かっていかれますが、社長就任を明確に意識されたのはいつ頃だったのでしょうか。

 

上田 入社してからは仕事そのものが楽しくて、毎週のように静岡や中部地区へ出張に行って夜はお客さんとご飯を食べて、という充実した30代を過ごしていました。ただ、35歳くらいから周りの目も含めて「次はお前が社長だろう」という雰囲気はありつつも、ずっとズルズルいっている状態だったんです。そして39歳の時、何かのタイミングで当時の会長が冗談交じりに「お前が社長になるには、あと10年は早いな」と言ったんですよ。その日の夜、僕は本気で悔しくなってしまって、「冗談じゃない、今、社長をさせない気なら辞めます」と腹を据えて言い返したんです。

 

ーーそれはすごい覚悟ですね。ご自身の中で何か確固たる思いがあったのでしょうか。

 

上田 いずれ社長になると言われながら、あの人が「そろそろいいかな」と思うまで待っていたら一生その日は来ないと思ったんです。それに、50歳を超えてから初めて経営者になって、そこから失敗を経験して経営を学ぶなんて絶対に嫌でした。もっと若いうちにダメ社長から始めて、いっぱい恥もかき、苦労してきた先人たちにアドバイスがもらえる年齢から経験を積んだ方が、会社にとっても自分にとっても絶対にいい。結果的にその翌年、40歳のタイミングで社長に就任することになりましたが、あの時「冗談じゃない」と言い切ったことで、自分自身の覚悟も決まったんだと思います。

 

「仕事ってワクワクしていいんだ」社員に走った衝撃と、鈴鹿サーキット貸し切り

ーー社長に就任されてから、経営理念に「ワクワクしていること」という言葉を追記されたと伺いました。

 

上田 そうなんです。僕自身の人生を振り返っても、大阪に行ったのもオランダに行ったのも、全部「自分がワクワクするかどうか」で決めて直感的に行動してきたんです。その時の行動力、推進力は我ながらすごいと思いました。だから、社員にもワクワクし、ワクワクした時に発揮される力を出してほしいし、そういう仕組みを作らなきゃいけないと思いで書いただけの言葉でした。ただ、それを発表した時の社員の反応が僕にとっては驚きでした。「え、うちの会社ってワクワクしていいんですか?」「仕事ってワクワクしちゃいけないものだと思ってました」という声が現場から上がってきたんです。みんな、仕事は我慢するものだと思い込んでいたんですよね。確かに仕事は我慢する事の方が多いかもしれませんが、ですが誰も『ワクワクしちゃ駄目』、『ワクワク禁止』なんて言ってないのに。

 

ーー具体的に「ワクワク」を体現するために、どのようなことに取り組まれたのでしょうか。

 

上田 ワクワクも体現が目的ではなかったのですが、社員旅行で鈴鹿サーキットの教習センターを1日貸し切って、朝の8時から夕方の6時まで全員でバイクに乗るという企画をやりました。正直きっかけは『従業員の悲しい事故が起きる前に防ぎたい』だったのですが、最初は「バイクの仕事はしてるけど自分で乗るのは嫌だ」と否定的な人間もいたんですが、実際にやってみたらみんな「楽しかった」って笑顔になるんですよ。仕事として無理やりバイクに乗せるのではなく、純粋に楽しむ体験を提供する。その結果、全くバイクに興味のなかった社員が『バイクの免許取ろうかな~』といい始め社内の熱量が目に見えて変わっていきました。今まで興味がなかった方が『ワクワク』によってバイクに興味をもってくれた事が非常にうれしかったですし、ワクワクは人の気持ちも変えると体感しました。

 

「挑戦を続ける会社であるために。」

ーー現在は、ご自身を厳しく鍛え上げた井上さんが右腕として現場を支えていらっしゃいますね。

 

上田 井上とは12歳離れているんですが、現在は彼や、現場のトップ達、現場のマネジメントをしっかりと固めてくれているからこそ、僕は安心して財務をしっかりと見据える事や『次のワクワク』を探すことができるんです。社長になれば当然、ワクワクだけではかたづけられないお金の問題、情勢不安による不安などもありますが、それでも「何もしないのが一番の恐怖」だと思っています。だからこそ、新しい事を生み出し続ける為に『ワクワク』が必要だと思っています。

 

ーーこれから仕掛けていこうとしている「次のワクワク」について、少しだけ教えていただけますか。

 

上田 実は、ホールディングスの体制が整った今、新しい事にどんどんチャレンジしようとしています。まだ詳しくは言えないですが、我々オートバイに乗る人間がワクワクする様な隠れ家的なビジネスであったり、他の業界に存在するバイクに転用できる技術を扱う新事業部であったり。また、そこで培ったノウハウと我々が既に持つノウハウを組み合わせ他業界の進出の足掛かりにしようとも考えています。また、アクティブにはシャボン玉(直営店舗)という強い味方がいますので、二社の強みを掛け合わせた我々でしかできない展開を複数考えています。

 

ーーお話を伺っているだけで、こちらもなんだか胸が熱くなってきます。

 

上田 利益とワクワクを両立させるのは本当に難しいです。また、仕事をしていく上では立場関係なく、ワクワクしているだけでは会社は維持できない事も理解しています。でもチームを組んで「面白いね」って同じ方向を見ながらチャレンジできるのは、経営者としての最高の醍醐味でもあります。もちろん失敗するリスクもありますし、私だけでなく、誰もが『逃げられないプレッシャー』を抱えて生きています。それでも、ワクワクできない仕事なんてつまらないし、もしプレッシャーをワクワクに変える事が出来たら最強じゃないですか。これからも泥臭く、自分たちのワクワクを信じて突き進んでいくつもりです。

 

株式会社アクティブ 上田 和由社長 

 

「失敗したらどうしよう」と足踏みする前に、まず自分の心が動く方向へフルスイングしてみる。上田社長が語るエピソードの数々は、時に無謀で、時には地味で格好悪いかもしれません。しかし、自身の「勘違い」や「痛い失敗」を隠すことなく笑い飛ばすその姿には、どんな立派なビジネス書にも書かれていない圧倒的な体温がありました。

 

「仕事ってワクワクしていいんだ」

 

社員が感じたその衝撃は、今、この記事を読んでいるあなたの心にも届いているでしょうか。答えのない未来に向かって、大人が本気でワクワクする仕組みを作り上げよと企む。そんな「ワクワクの火種」を絶やさない会社が、愛知の地で今日も熱くエンジンを回し続けています。

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

営業

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