社員には自由に任せ、主体性を持てるように伴奏支援をする。27歳の葛藤から生まれた「人間は平等」という哲学 ——株式会社イワタ

社員には自由に任せ、主体性を持てるように伴奏支援をする。27歳の葛藤から生まれた「人間は平等」という哲学 ——株式会社イワタ

岩田 典之氏

岩田 典之氏

株式会社イワタ

代表取締役社長

(いわた のりゆき)/株式会社イワタ 代表取締役社長(3代目)。愛知県出身。大学卒業後、同業大手で5年間の修業を経て、27歳で伝導装置用品・機械工具総合商社である家業へ入社。当時は営業の仕組みもなく、自ら直販ルートを新規開拓し現在の売上基盤を構築。2010年に社長就任。修業時代の上司の教えである「人を大切にする姿勢」を貫き、「人間は平等」という信念のもと、自由と責任を重んじる温かい社風を築き上げている。

 

毎日同じように家と会社を往復し、組織の歯車として与えられた業務をこなす日々の中で、「自分はこのままでいいのだろうか」「働くってなんだっけ」と、ふと立ち止まってしまう夜はないでしょうか。今回お話を伺ったのは、愛知県で伝導装置用品や機械工具の総合商社である「株式会社イワタ」の3代目代表取締役社長、岩田典之さん(53歳)です。

岩田さんは大学卒業後、同業の大手企業でトップセールスとして活躍した後、27歳で家業であるイワタに入社しました。しかし、当時の会社には営業の仕組みすらなく、年配の職人気質な社員ばかりで誰も仕事を教えてくれないという、まさに何もないゼロからのスタートだったと言います。そこから自らの足で直販ルートを開拓し、現在の強固な売上基盤を作り上げた岩田さんに、当時の泥臭い葛藤から、経営者として大切にしている「人への深いリスペクト」について、包み隠さず語っていただきました。

 

 

「誰も教えてくれないなら、自分でやるしかなかった」27歳で飛び込んだ家業のリアル

 

—— 同業の大手企業に就職されて修業期間を過ごされたのち、27歳で家業である株式会社イワタに戻られたと伺いました。当時の会社はどのような状況だったのでしょうか。

 

岩田社長(以下、岩田): 前の会社では営業としてかなり結果を出していて、社長賞をもらうくらい売上も作っていたんです。でも、そこから実家に戻ってみたら、もうあまりのギャップに最初は本当に愕然としましたね。当時は12、3人くらい社員がいたんですけど、みんな年配の方ばかりで、営業のノウハウもなければ、仕組みと呼べるようなものも全くない状態でした。大手企業にいた頃は会社の看板もあったし、色々なことが整備されていましたが、うちにはそういうのが一切なくて、しかも誰も仕事のやり方なんて教えてくれません。当時の自分は20代後半で一番の若手でしたが、正直に言うと、毎日ごちゃごちゃといろんな対立やトラブルがあって、本当に大変な時期でした。

 

—— 大手企業での活躍から一転して、誰も助けてくれない環境に飛び込むのは、相当な覚悟とエネルギーが必要だったのではないかと想像します。その状況を、ご自身でどのように打開していったのでしょうか。

 

岩田: もう、自分がやるしかないって腹を括るしかなかったですよね。当時は卸売りの商店さんばかりを相手にしていたんですが、このままじゃ絶対に先細りになるっていうのは見ていてわかりましたから。だから、従来の卸しを飛ばして、機械屋さんや設備屋さんへ直接販売していく直需のルートを開拓しようと決めたんです。誰も教えてくれないなら自分で見つけるしかないと思って、新規のお客様のところへ片っ端から飛び込んでいきました。今のうちの会社の基盤になっているお客様の6割から7割くらいは、その時に私が自分で新しく作ってきたルートなんじゃないかなと思います。大変でしたけど、過去に3倍売って社長賞を取った自信もあったし、やりきってやるという思いだけで動いていましたね。

 

 

「思い立ったらすぐ行動する」チケットだけを握りしめて海外へ

 

—— 仕事に対して非常にバイタリティに溢れていらっしゃいますが、イワタに入社するまでの間に、一人で海外へ旅に行かれていたというエピソードも非常に興味深いです。

 

岩田: ああ、そうですね。転職の合間に1ヶ月くらい休みがあったので、飛行機のチケットだけ取って、インドやネパール、カンボジアのアンコールワット、それからマチュピチュにも行きました。昔から沢木耕太郎の『深夜特急』なんかの本を読んでいて、見たことのない景色を見てみたいという欲求があったんですよね。だから、行きたいと思ったらすぐに行動してしまうタイプなんです。マチュピチュなんて、飛行機に乗って、そこからまた何回も乗り継いで、空港から車や電車で5時間くらいかけてやっと辿り着くような場所なんですが、そういうのが好きなんですよね。

 

—— なかなか社会人になると、そこまで思い切って一人旅に出るというのはハードルが高く感じてしまう人も多いと思いますが、その好奇心や行動力はどこから来るのでしょうか。

 

岩田: 単純に、知らないことを知りたいっていう気持ちが強いんだと思います。自分自身が甘やかされて育ったという自覚があったので、東京の大学に進学したのも自立したかったからですし、一人で海外に行こうと思ったのも、新しいことをやって自信をつけたかったのかもしれません。その時に見たことのない世界を見て、自分でどうにかして目的地に辿り着いたという経験は、確実に今の自分の自信に繋がっていると思いますし、仕事で行き詰まった時にも「まあ、なんとかなるだろう」と思える土台になっているような気がします。

 

 

「絶対に呼び捨てにするな」厳しい恩師から教わった人間尊重の哲学

 

—— お話を伺っていると、社長と若手社員の方々との距離が非常に近く、とても温かい雰囲気を感じます。社員の方と接する上で気をつけていることや、根底にある考え方について教えていただけますか。

 

岩田: 前の会社で出会った当時の上司の教えが、今でも私の中で大きな財産になっています。その上司は本当に怖い人で、仕事にはすごく厳しかったんですが、同時にものすごく愛情深い人でもあったんです。自分ができなくて落ち込んでいる時も、常に寄り添ってくれて、どうすればお客様に喜んでもらえるかを一緒に考えてくれました。その上司から、私が家業を継ぐために会社を辞める時に、「社長になっても絶対に約束しろ。社員のことを絶対に呼び捨てにするな。お前とかじゃなくて、必ずさん付け、くん付けで呼べ」と強く言われたんです。

 

—— なるほど。当時の時代背景を考えると、上の人間が部下を呼び捨てにしないというのは、かなり珍しい、先進的な考え方だったのではないでしょうか。

 

岩田: そうかもしれませんね。でも、その教えをずっと守ってきたからこそ、社員を一人の人間として尊重するという土台ができたんだと思います。その後、私自身も経営者の勉強会などに行くようになってから、親への感謝の気持ちや、働くことの意味を改めて見つめ直す機会がありました。そこで学んだのは、「立場は違っても、人間の命の時間、つまり1日24時間という時間は誰にでも平等に与えられている」ということです。経営者と社員という役割の違いはあっても、同じ人間としては対等であり、お互いを尊重し合わなければならない。だからこそ、社員が誇りを持って働ける環境を作ることが、経営者である私の最大の責任だと考えるようになりました。

 

 

自由と責任、そして「安心」を裏で担保する経営者の背中

 

—— 「働きやすい環境づくりが経営者の責任」というお言葉がありましたが、御社では社員の方々にかなり自由に任せている部分が多いように見受けられます。自由と責任のバランスについては、どのようにお考えですか。

 

岩田: 私自身、縛り付けられるのが大嫌いな性格なので、社員にもあれこれと細かく指示を出して動かすようなことはしたくないんです。最低限のルールだけはしっかり守ってもらって、あとはそれぞれの自主性に任せて、自由にやってもらっています。ただ、すべてを完全に放置するわけではなくて、彼らが安心して挑戦できるように、伴奏支援するのが私の役割だと思っています。いくら自由にやれと言っても、最終的に売上を作って会社を存続させる責任は、社長である私にありますからね。何かトラブルがあった時や困った時には、最後は私が責任を取るという安心感がないと、社員ものびのびとは働けません。

 

—— 社長ご自身が毎朝6時45分に一番に出社されているというお話も伺いましたが、そういった背中を見せることも、一つのメッセージになっているのでしょうか。

 

岩田: 自分が朝早く来ているからといって、社員にも早く来いと強要するつもりは全くないんですよ。ただ、自分自身が経営者としてやるべきことをやっているだけです。社員には、仕事を通じて人間としても成長してほしいし、困った時にはみんなで助け合えるような関係性であってほしいと願っています。うちの若手の社員たちも、こちらがしっかりと責任を持って任せれば、自分で考えてどんどん新しいことにチャレンジしてくれています。これからも、社員が「この会社で働いていてよかった」と思えるように、お互いを思いやれる温かい会社であり続けたいと思っています。

 

 

インタビューを終えて真っ先に感じたのは、「世の中にはこんなにも真っ直ぐに社員と向き合う大人がいるんだ」という静かな驚きでした。

毎日同じ業務の繰り返しで「自分はただの組織の歯車なんじゃないか」と立ち止まりそうになる夜。そんな時に、岩田社長がちょうど今の私たちと同じ20代後半で直面した、誰も教えてくれない環境から泥臭く道を切り拓いたエピソードは、自らの手で仕事を作る面白さと本来の手触り感を思い出させてくれます。

中でも特に印象的だったのは、修業時代の恩師から受け継いだ「絶対に社員を呼び捨てにしない」という教えです。効率や数字の達成ばかりが求められがちな現代において、役職や立場に関係なく一人の人間としての尊重を徹底し、失敗を恐れず挑戦できる「安心」の土台を裏で作る姿勢に、イワタという会社の確かな体温を感じました。

誰も教えてくれないなら、自分でやってみる。そして、その不器用な挑戦を裏でひっそりと支え、見守ってくれる大人がいる。今回の記事が、「このままでいいのかな」と漠然とした不安を抱えながら愛知で働く誰かの心に届き、また明日から少しだけ前を向いて働くための小さな希望になれば嬉しく思います。

この記事を書いた人

岡田大貴

岡田大貴

2011年中途入社。求人広告業界歴18年以上。一貫して愛知県の中小企業様の採用をご支援。アルバイト・パート・派遣から正社員まで幅広い雇用形態に対応可能。常にお客様に寄り添う「伴走型」のパートナーとして、採用課題の解決に向けて一緒に取り組んでいる。

営業

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