浮田 大輔氏
有限会社ブレイヴオート
代表取締役
(うきた だいすけ)/高校卒業後、旅行専門学校を経て貿易会社に入社し、27歳で自動車輸出業を立ち上げて独立。33歳頃に特殊塗装機器ブランド「CARVEK」を立ち上げる。言葉の通じない台湾の工場へ飛び込み営業し、自らトラックで全国へ納品、顧客の夫婦喧嘩の仲裁まで行う「超・泥臭い」スタイルで熱狂的なファンを持つ。50代からSNSを独学し毎日投稿を続ける圧倒的行動力の持ち主。
愛知県に本社を置く有限会社ブレイヴオートの浮田大輔社長は、ご自身のことを「社会人不適合者」と笑い飛ばしながらも、圧倒的な熱量と行動力で独自の道を切り拓いてきた経営者です。27歳で自動車の輸出事業を立ち上げて独立を果たした後、33歳頃には特殊塗装機器ブランドである「CARVEK(カーベック)」を一から立ち上げ、今日に至るまで情熱を注ぎ続けていらっしゃいます。今回は、浮田社長のこれまでの波乱万丈な歩みと、働く上で本当に大切にすべき「仕事論」について、包み隠さず語っていただきました。
かっこいいから始めた貿易業と、死に物狂いの20代
——浮田社長は最初から起業を目指して邁進されていたのでしょうか、学生時代は旅行の専門学校に通われていたとお聞きしましたが、そこからどのような経緯で貿易の道へ進まれたのか教えていただけますか
浮田社長(以下、浮田):全く旅行業に就こうなんていう気持ちはなくてね、高校時代にバイクの免許を取って北海道を回ったりしていたから、日本全国行くところがないならニュージーランドに行こうぜって、夏休みに1ヶ月かけて回ったりするのが好きだっただけなんですよ。その後、名古屋の老舗の貿易会社に入ったんだけれど、その理由もただ単に『貿易ってなんかかっこいいな』って思っただけで、英語なんて全く喋れないし、貿易のノウハウも全然わからない状態からのスタートでしたね。でも会社に入った瞬間に、組織の意見に従わないといけないという現実を突きつけられて、人の意見に素直に従えない自分がいて、完全に社会人不適合者だなって自己認識したんですよね。
——そこからもう一社、別の車の貿易会社へと転職されていらっしゃいますが、車が好きだったからその業界を選ばれたのでしょうか
浮田:全然車に対するこだわりはなくて、いずれ独立する時に経験を重ねておこうと思って別の貿易会社を見て転職しただけで、たまたま見つけたのが車の貿易会社だったんですよね。そこで自分の会社を作って独立しようと決意して、入社して1年ちょっとで結婚し、その半年後にはもう会社を辞めて自分の会社を作って独立してしまったんだから、妻からしてみれば完全に騙されたようなものだったと思いますね(笑)
——いざご自身の会社を立ち上げて独立を果たした際、どのようなご苦労がありましたか
浮田:とにかくひたすらにお金がなくて、車を1ヶ月に50台買うってなったら莫大な資金がいるのに担保なんてあるわけないから、妻と2人でママチャリに乗って銀行の融資会に行って、ワードで作った事業計画書を見せたら投げられたこともありましたね。銀行員から『いくら借りたいんですか、最低でもまずは1000万貯めてから来てください』って言われて、顔から火が出るほど恥ずかしかったけれど、最終的には親の小さな土地を担保に入れてお金を借りてまかなったんです。それでも長期では借りられないから、1ヶ月経ったら1000万返済して翌日また1000万借りるという手形貸付で回していて、毎日首が回るかどうかの瀬戸際で寝汗をかくから、枕元にTシャツを3枚くらい置いて寝ていた時代が1〜2年続いたほど、あの時は本当に死に物狂いでしたね。
マニュアルにはない「超・非効率」が熱狂を生む
——車の貿易業が軌道に乗る一方で、自社ブランド「CARVEK」の立ち上げへと舵を切られたきっかけは何だったのでしょうか
浮田:誰でもできる車の貿易に飽きちゃって、自分たちで発案したものを自分たちで作ればライバルはいないし楽しいんじゃないかと思って、33歳くらいの時に今の『CARVEK』という自社ブランドを立ち上げて機械を作り始めたんです。最初はオーブン(乾燥機)だったんだけど、当時のスタッフには『社長が余ったお金で道楽を始めた』って見放されて、蜘蛛の子を散らすようにみんな辞めていってしまったんですよね。それでも、自分たちで作るためには台湾の工場を回るしかなくて、インターネットでかすったキーワードで検索した住所のリストを握りしめて、言葉もわからないのに台北の街をジェスチャー交じりで一軒一軒飛び込みで回ったんですよ。最初は『こんな日本人は見たことない』って怪しまれたけれど、キャッシュをドンと置いてサンプルを作ってもらって、そこから改善を繰り返して、今ではもう20年来の付き合いになる工場ばかりですね。
——言葉も通じない国で飛び込み営業をするなんて本当にすごい行動力ですが、そうして作られたCARVEKの商品がそこまでお客様に熱狂的に支持されている理由は何だとお考えですか
浮田:僕がこの事業を始めた時に思ったのは、塗装関係の機械や塗料ってみんな別々の業者から買っていて、誰も総合的な使い方を教えてくれないから、うちは全ての機械を用意して一番面倒な『技術指導』から入ろうというコンセプトにしたんですよ。もっと言ったら、ホームページの作り方から集客の方法、さらには夫婦喧嘩の仲裁まで全部やる覚悟でやっていて、車屋さんや板金屋さんが新しい設備を入れようとすると奥さんは絶対に反対するから、『そこ座って、奥さん話聞いてください』って説得して、帰り際には『よろしくお願いします』って言ってもらえるところまで持っていくんですよね。大手メーカーは基本売りっぱなしにしたいでしょうから、一番やりたくない面倒な後始末 やアフターフォローをうちはネチネチとやりますし、お客さんから『困ったら浮田さんに聞け』って夜中でも電話がかかってくるくらい徹底的に付き合うからこそ、ライバルができようがないんですよ。
——お客様の奥様の説得までされるなんて驚きですが、自社の製品に対しても、常にお客様の困りごとを解決するためのユニークなアイデアを出し続けていらっしゃいますよね
浮田:お客さんのところへ行くと現場から色々な声が聞こえてくるから、例えばホイールを塗装した後に手で持つと汚れるというお困りごとを聞いて、片手でギュッと持てる専用の治具を開発したら飛ぶように売れたりするんですよね。他にも、自分が塗装するためにコンテナを切ったり張ったりして作った塗装ブースを商品化してみたら、絶対に売れないと思っていたのに大手自動車メーカーさんが買ってくれたりして、何が売れるかなんて本当にわからないから面白いんですよ。色や商品の名前も全部自分で考えていて、『デビルスカーブラック(悪魔の傷跡)』とか、手に付いた塗料を落とす洗剤を『即デート(すぐにデートに行けるから)』なんて名付けて、お客さんに笑ってもらいながら少しでも面白おかしく仕事を楽しめるように工夫しているんです。
50代からのSNS毎日投稿
——長年頼りにされていた業界誌への広告出稿をやめ、SNSへ完全移行されたそうですが、どのような経緯だったのでしょうか
浮田:去年、年間で何百万も使っていた雑誌の広告を全部やめて、『これからはSNSに切り替えるぞ』って会社で発表したんだけど、うちのスタッフは全員『お前がやれよ、誰がやるんだ』っていう顔をして僕を睨みつけていましたね(笑)。当時の私はハッシュタグもわからないし、インスタグラムのリールとかストーリーズとか言われても全く意味がわからなかったけれど、やると宣言しちゃった手前やるしかなくて、YouTubeで見つけた20代のコンサルタントの先生にお金を払って一から教えを請うことにしたんですよ。うちの娘と同じくらいの年齢の20代の女の子の先生に、『先生!面白いかどうかわからないですけど頑張ります!』って頭を下げて、言われた通りに必死でやり続けたんです。
——全くわからない状態から毎日投稿を続けられたとお聞きしましたが、実際に1年間継続されてみて、どのような反響や変化がありましたか
浮田:朝6時15分に投稿するって決めたから、台湾出張で時差がある時でも朝5時に起きて作業をして、それを1年間毎日続けたらフォロワーが1万6000人まで増えて、売上も目に見えてはっきりと上がっていきましたね。でも一番大きかったのは、お客さんとのやり取りが劇的に増えたことで、雑誌の広告を出していた時は刑務所に手紙を書いてるみたいに全く反応がわからなかったけれど、インスタを始めたら『社長、いつも見てます!』ってバンバンお便りが届くようになったんですよ。自分でトラックを運転して配達に行った時に『うわ、本物が来た!』って喜ばれたりして、それがものすごく励みになりますし、先生からは『誰にでもできることですが、誰にもできないことなんです』って言われましたけれど、本当にその通りで粘り強くやり続けることが何より大事なんだなって実感しましたよ。
——社長自ら率先して新しいことに挑戦する姿勢が会社全体の熱量を生んでいると感じますが、社内での人材育成や投資についてはどのようにお考えですか
浮田:よく『社長、投資とかやってないの』って聞かれますが、僕はバンバン投資やってるよって答えていて、それは会社にお金が余ったら工場を建て替えたり、新しい機材を入れたり、社員にボーナスを出してあげたりっていう自己投資のことなんですよね。中小零細企業なんて6割が赤字会社で、倒産する会社の4割が黒字倒産だっていう厳しい時代なんですから、社長が見栄を張ってベンツを買ったり時計を買ったりするくらいなら、会社や社員に投資した方が自分自身の幸福度が高いですし、絶対に有意義だと思うんですよ。そういう背中を見せているからこそ、うちのメンバーは一番短い子でも6年、長い人は20年もついてきてくれていて、本当に異常なくらい仲が良くて、誰か1人でも欠けたら会社が回らなくなるくらい大切な存在なんですよね。
「100・5・1の法則」と、中途半端な馬鹿のすすめ
——最後に、何か新しい一歩を踏み出すのをためらっている20代や30代の若い世代に向けて、浮田社長から力強いメッセージをお願いできますでしょうか
浮田:今の若い子たちと喋っていると、我々の時代と比べて圧倒的に情報量が多いから、何かをやろうと思ってもチャットGPTで調べてシミュレーションを先にしてしまって、『失敗する確率はこれくらいです』って答えを持ってきちゃうんですよね。そういう子たちに『とりあえずやってみろよ』って言っても、『どういう根拠でですか』って言われてしまうから動けないのもわかるんだけど、悩んでいるってことは本当はそっちの道に行きたいっていう証拠じゃないですか。大学を卒業したばかりで社会経験もないのに、やりたいことなんて最初から見つかるわけがないんだから、手当たり次第にやってみて、合わなかったらどんどん辞めてもいいから、その中で『これ面白いかもな』っていうものを見つけていくしかないんですよ。日本の終身雇用みたいな古い考え方に縛られずに、一歩踏み出せば地雷があるかもしれない領域にどうやって足を踏み入れていくかを考えるべきで、その領域に行かないと違う風景は見えてこないんですから。
——情報が溢れ正解ばかりを探してしまう現代の若者に向けて、行動することの大切さについてメッセージをお願いします
浮田:僕がいつも言うのは、あるアイデアを『すげえな』って思いつく人が全国に同時に100人いたとして、それを実際に試作してみようと行動に移す人は一気に5人にまで減ってしまうんですよ。さらにその5人の中で、試作してみて『やっぱり上手くいかなかった』って途中で諦めるやつが4人いて、最初の思いつきを誰よりも先にやり始めて、一番最後まで粘り強くやり続けるのはたった1人しか残らないんですよね。だから特別な才能や工業大学を出ているかどうかなんて関係なくて、ただひたすらに愚直にやり続けた人間だけがその『1人』になれるっていう方程式がここには詰まっているんですよ。今は結婚ですらコスパで考える時代だなんて言われているけれど、中途半端に賢く立ち回るよりも、時代遅れと言われるくらいの中途半端な馬鹿になって、泥臭く突っ込んでみた方が絶対に仕事も人生も楽しくなると思いますよ。

「失敗する確率をチャットGPTで調べてから動くから、身動きが取れなくなる」。浮田社長の言葉に、痛いところを突かれた方も多いのではないでしょうか。タイパや正解ばかりを求め、賢く立ち回ることが評価される現代。しかし、自らトラックを運転し、お客様の夫婦喧嘩の仲裁までしてしまう浮田社長のビジネスには、効率化からは絶対に生まれない圧倒的な「体温」がありました。もし今「このままでいいのかな」とモヤモヤしているなら、それは賢く生きようとしすぎているサインかもしれません。正解なんてわからなくていいから、明日から少しだけ「中途半端な馬鹿」になって、最初の一歩を踏み出してみたくなる。そんな強烈なパワーをいただきました。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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