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浅井 克憲氏
株式会社リフォーション
代表取締役
(あさい かつのり)/高校卒業後、18歳から大工や足場など現場職人を転々とする。その後、地元の大手リフォーム会社に自ら電話をかけ飛び込み入社。激務の中、夜間の専門学校で設計やデザインを学び、トップセールスに登り詰める。30歳で独立し、2023年に法人化(株式会社リフォーション)。「建築業はサービス業」という信念のもと、挨拶や掃除など「お金にならない気遣い」を重んじ、住宅設備やオール浄水器に特化した事業を展開している。
愛知県を中心に、住宅設備や省エネ機器、そしてオール浄水器の販売から施工までを手掛ける株式会社リフォーション。代表取締役を務める浅井さんは、18歳で職人の世界に飛び込み、現場での経験と猛烈な営業時代を経て、自らの会社を立ち上げたという異色の経歴の持ち主です。
「建築業はサービス業である」。現場の最前線で数多くの職人やお客様を見てきた浅井さんがたどり着いたこの哲学は、ただ言われたものを形にするだけの作業から脱却し、その空間に住まう人の暮らしを想像するという、極めて本質的な仕事のあり方を私たちに問いかけています。
劣等生だったという学生時代から、思いつきと勢いで飛び込んだ大手リフォーム会社での激務、そして独立後の日々や信じていた仲間の裏切りまで。決して綺麗事だけではないリアルな経営の道のりと、だからこそ辿り着いた「お金にならない気遣いこそが価値になる」という強い信念について、ありのままの言葉で語っていただきました。
劣等生から職人の世界へ。「座って勉強したくない」から始まった18歳のキャリア
——中学校の時にはサッカーで県の代表に選ばれるほどの実力がありながら、高校時代は少しやんちゃな学生生活を送られていたとお聞きしました。
浅井社長(以下、浅井):中学校の時にサッカーで県の代表に選ばれたこともあって、高校はスポーツ推薦で進学させてもらったんです。でも、入った段階で周りとの圧倒的なレベルの違いを見せつけられて、高校1年の時点でもう心が折れてしまったんですよね。レベルが高すぎてついていけないと悟ってからは完全にやる気がなくなってしまい、授業にも出ずにサボったりするような、本当にどうしようもない劣等生になってしまいました。ただ、スポーツ推薦で入学している以上、部活を辞めれば即退学になってしまうという条件があったので、親にも頭を下げてなんとかギリギリで卒業だけはさせてもらったというような高校生活でした。うちの親も教育関係にいたので、本当に顔に泥を塗るような親不孝な息子だったと思います 。
——そこから大学への進学ではなく、職人の道を選ばれたのはどのような心境の変化があったのですか?
浅井:高校を卒業する時に、もうとにかく机に座って勉強するのが嫌でたまらなかったので、親には「学校には行きたくないから働く」と宣言したんです。親からは「どこでもいいから大学には行ってくれ」と懇願されたのですが、やっぱり勉強したくないという気持ちが勝ってしまって。じゃあ自分に何ができるのかと考えた時に、家やインテリアが好きだったから建築士やインテリアデザイナーの仕事が頭に浮かんだのですが、調べてみると資格を取るための猛勉強が必要だとわかり、それも嫌だからすぐに始められる職人をやろうという、本当に短絡的な理由で18歳から働き始めました。最初は大工から始まって、そこから水道職人、足場鳶など、全く関係のない職人の仕事を転々としていましたね。現場に行って色々な職人さんを見る中で、あれが面白そうだなと思ったら話を聞いてそっちに行ってみるというような感じで、自分の中で遊びの延長線のような感覚でものづくりを楽しんでいました。
「このまま何十年もやれるのか?」勢いで飛び込んだ営業職と、夜間学校に通った猛烈な日々
——様々な現場を経験される中で、資格なども取得されるようになったとお聞きしました。
浅井:ある時、土木の現場で僕がスコップで一生懸命土を掘っていたら、重機に乗ったおじさんが上から偉そうに指示を出してきたことがあったんです。現場監督でもないのに偉そうに指示してくるのが無性に腹が立って、「あんなもの俺でも乗れるわ」と言い返したら、「資格がないと乗れないよ」と馬鹿にされまして。それなら絶対に資格を取ってやると思って、そこから重機関連の資格を片っ端から6個ぐらい一気に取得しました。ただ、そうやって重機に乗って土方の仕事をしていても、心のどこかで「このまま何十年も同じことをやり続けるのは何か違うんじゃないか」という漠然とした迷いのようなものは常に抱えていました
——そこから一転して、大手のリフォーム会社に営業として入社されることになりますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
浅井:ちょうどその頃、地元の津島に住んでいたのですが、家から5分くらいの近所を車で通った時に、見慣れないおしゃれなショールームができているのを見つけたんです。それが大手リフォーム会社の営業所でして、オープニングの営業募集をしているのを見て、本当にその場の勢いだけで目の前から電話をかけました。「営業募集してますか? やりたいです!」と直談判して、そこから私のキャリアが大きく変わることになります。職人時代はパソコンなんて一切触ったこともなく、見積書の作り方も全く分からない状態でしたが、建築を本格的にやるなら単価を覚えて見積もりを作り、現場監督としての動きもできるようにならなければいけないと強く感じていた時期でもありました。
——未経験からの営業スタートで、さらに専門学校にも通われていたとお聞きしました。当時の働き方はどのようなものだったのでしょうか?
浅井:立ち上げの新店舗だったこともあって、営業としての仕事は想像を絶するほどのハードワークで、夜の10時を過ぎてから帰るなんていうのは当たり前の毎日でした。それでもどうしても資格や知識が必要だと思ったので、猛烈に忙しい業務をこなしながら、夜間でインテリアデザイナーの専門学校に2年間通い続けたんです。学校がある日は上司に頼み込んで夜の7時か8時頃に何とか抜け出させてもらい、そこからCADや設計、デザインの基礎を必死に学びました。はたから見れば相当しんどい生活だったと思いますが、不思議と苦ではなく、むしろ新しいことを学んで吸収していく毎日がめちゃくちゃ楽しかったんですよね。その結果として、最終的には津島の営業所でトップセールスになることもできて、自分でもやれるんだという大きな自信を掴むことができました。
独立後の泥臭い営業と仲間の裏切り。それでも「活気ある会社にしたい」と語る理由
——30歳という節目で独立されてからの道のりは、やはり順風満帆とはいかなかったのでしょうか?
浅井:トップセールスになったことで「自分ならどこでも通用する」と完全に調子に乗っていた部分もあったのですが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。会社にいれば集客から何から組織がやってくれていたものを、すべて自分一人でゼロから開拓しなければならず、独立当初は「内装リフォームなら何でもやらせてください」と言いながら、一軒一軒突撃で訪問営業をかけたり、不動産会社を回って下請けの仕事を懇願したりする泥臭い毎日でした。最初の3〜4年くらいは本当に一人で営業から現場管理まで全てを回していて、売上も年間で500万円いくかいかないかというような厳しい時期が長く続きましたね。
——2023年に法人化され、組織として人を雇用するようになってからも様々な壁があったと伺いました。
浅井:一人でやっている方が自分のペースで動けるし、ある程度の利益も確保できるので圧倒的に楽なのですが、やはり組織として会社を大きくしていきたいという思いがあって人を採用し始めました。ただ、詳しくは語りませんが、当時信用して右腕のように頼っていた人間に裏切られ、横領のような形で会社に損害を与えられてしまうというショッキングな出来事もありました。建築や不動産の営業の世界では決して珍しくないトラブルだとは聞きますが、やはり精神的にはかなり堪えましたね。それでも会社組織としての管理体制を見直し、ただ何でも引き受けるリフォーム会社から脱却して、現在は住宅設備や省エネ、利益率の高いオール浄水器の販売と施工に特化するという明確な方針を打ち出して、会社としての転換期を何とか乗り越えようとしているところです。
「建築業はサービス業である」。言われた作業をこなすだけではなく、住まう人を想像できるか
——浅井さんが経営において最も大切にされている、「建築業はサービス業である」というお考えについて詳しく教えてください。
浅井:職人時代にずっと現場を見てきて痛感したことなのですが、多くの職人さんは現場監督から「ここをやっておいて」と指示された作業を、ただマニュアル通りにこなすだけで終わってしまうんです。図面通りに仕上げたらそれで自分の仕事は完了だと思っていて、見えない壁の向こう側や、その空間にこれから長く住み続けるお客様の暮らしというものに全く目を向けていない職人さんが本当に多いなと、ずっと違和感を覚えていました。もし本当にお客様のことを思って作業をしているのであれば、現場に落ちている小さなゴミ一つでも自発的に拾うはずですし、道具を綺麗に整理整頓したり、挨拶や靴を揃えたりといった、人としての気遣いが自然と生まれてくるはずなんです。
——そうした「気遣い」の積み重ねが、他社との決定的な違いを生むということですね。
浅井:挨拶をするとか、靴を綺麗に並べるとか、現場を徹底的に掃除するとか、そういった細やかな気遣いはその場では一円のお金にもなりません。だから多くの職人はやらないのですが、私はそのお金にならない気遣い、ホスピタリティこそが『サービス』の本質だと信じています。だからこそ、私たちが行っている仕事は単なる建築業ではなく、根底にあるのは究極のサービス業なのだと定義づけました。これからの時代、職人のなり手はどんどん減っていくかもしれませんが、だからこそ当たり前のことを当たり前にやり切り、見えない部分でお客様を思いやれる人間が残っていくはずですし、そこで圧倒的な差がつくのだと確信しています。
——最後に、これから組織を拡大していく上で、どのような方と一緒に働きたいとお考えですか?
浅井:経営というものには絶対的な正解が存在しないからこそ、良くも悪くも自分がルールとなって、自分たちなりの正解を作り上げていくしかありません。だからこそ、私が大切にしている『建築業はサービス業である』という信念やお客様への思いに深く共感し、自分の会社のように熱意を持って一緒に働いてくれる仲間を一人でも多く増やしていきたいですね。まだまだ少人数の会社ですし、決して楽な環境ではないかもしれませんが、何十人という活気ある組織を目指して「なにくそ」と食らいついてきてくれるような、家族のように本音でぶつかり合える仲間と出会えたら嬉しいなと思っています。

正解がないからこそ、自分たちなりの正解を作っていくしかない」。インタビュー中の浅井さんの言葉が、取材を終えた今も耳に残っています。 毎日のルーティンワークをこなす中で、ふと「自分は誰のためにこの仕事をしているのだろう」と立ち止まってしまう瞬間は誰にでもあるはずです。そんな時、浅井さんの「お金にならない気遣いこそがサービスの根幹だ」という確固たる信念は、働く意味を見失いかけている私たちの背中を力強く、そして温かく押してくれます。 綺麗事だけでは語れない経営のリアルな裏側や、信じていた人に裏切られた過去を包み隠さず語ってくれた浅井さん。その人間臭さと懐の深さに触れ、愛知にはこんなにも熱を持った大人が全力で働いているのだと、静かな勇気をもらえた時間でした。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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