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井上 昌城 氏
井上鋳工株式会社
代表取締役
(いのうえ・まさき)/名古屋大学理学部生命理学科を卒業後、東京消防庁で消防士となるも退職し、医学部編入試験に挑戦。挫折後、商社での厳しい営業修行を経て30歳で家業の井上鋳工へ入社。叔父たちの代から会社を引き継ぎ、30代後半で社長に就任。「社員やその家族を大切にする」という想いから、創業90周年には社員の家族・友人を含めた総勢約60名での沖縄旅行を実施。売上拡大よりも、顧客と社員から信頼される「いい会社」づくりに奔走している。
井上鋳工株式会社は、名古屋市内で創業90年を迎える歴史ある鋳造メーカーです。工作機械から航空産業まで、あらゆる工業製品の基礎となる「マザーマシン」の部品を製造し、日本のモノづくりを根底から支え続けています。現在、社員数36名の同社を牽引するのは、3代目にあたる井上社長。しかし、そのキャリアは最初から約束されたものではなく、ご自身の「働く意味」を求めてもがき続けた泥臭い20代の経験がベースにありました。「何のために働くのか」という、誰もが一度はぶつかる等身大の悩みに対し、幾度もの挫折と遠回りを経てたどり着いた井上社長ならではの「体温のある組織づくり」についてお話を伺いました。
「何者か」になりたくて迷走した20代。消防士、バックパッカーを経て見つけたもの
ーー井上社長は、最初から家業を継ぐつもりでキャリアをスタートされたわけではなかったとお聞きしました。20代の頃は、どのようなお考えを持って進路を選択されていたのでしょうか。
井上社長(以下、井上):大学を卒業して会社に入るまでは、自分が何をしたいのかがずっと分からないままでもがいていた20代でしたね。大学は生命理学科でバイオテクノロジーなどを学んでいたのですが、正直あまり授業も面白くなくて身が入らず、周りの友人のように「とりあえず大学院に進む」という選択も親に申し訳なくてできませんでした。そんな時に「人の役に立つ仕事ってなんだろう」と単純に考え、医者や弁護士、消防士といった職業が思い浮かんだんです。結果的に東京消防庁の試験に受かり、消防士として働き始めました。
ーー理系の研究から、いきなり消防士という全く異なる世界へ飛び込まれたのですね。
井上:人の役に立ちたいという思いは強かったのですが、いざ消防学校に入り現場に配属されてみても、やっぱりどこか身が入らない自分がいました。自分で選んだ仕事のはずなのに、心の底から頑張ろうという意欲が湧いてこなかったんです。それに、理不尽な上下関係や、上が言うことは間違っていても絶対正しいとされる体育会系の気質にも馴染めませんでした。自分が一生懸命に打ち込める価値を見出せず、結局1年も経たずに辞めてしまいました。その後も、医学部への編入試験に挑戦して挫折したり、自分探しをするため自転車で日本を縦断してみたり、世界を3ヶ月間バックパッカーで回ったりと、持ち前の好奇心で動き回るものの、「これだ」と思えるものがずっと見つからない状態が続いていました。
厳格な上司から学んだ「相手を想う仕事」と、家業へ戻る決意
ーーそこから、どのような経緯でご自身の働く意味を見出し、実家である井上鋳工へ戻ることになったのでしょうか。
井上:医学部の編入試験に落ちて、いよいよ家業に入ろうと父親に相談したところ、「まずは外の飯を食ってこい」と言われました。そこで、同業である鋳造関係の商社に修行として入社し、大手自動車メーカーの鋳造工場の担当になったんです。この時の上司がものすごく厳格な方で、私の仕事の基礎はすべてここでゼロから叩き込まれました。例えば、出勤簿にハンコを押す際、少しでも角度が曲がっているだけで「書き直せ」と突き返されるんです。「ハンコが曲がっていてもいいじゃないか」と思うかもしれませんが、上司からは「それはお前が決めることじゃない。もらった相手がどう思うかを考えて仕事をしろ」と徹底的に指導されました。最初は蕁麻疹が出るほど辛かったですが、次第にその厳しさの裏にある私への期待が理解できるようになり、逃げ出さずに食らいついていきました。
ーーその厳しい環境の中で、働くことに対する価値観に大きな変化があったのですね。
井上:ある時、部署のメンバーで「自分たちの働くモチベーションの源泉は何だろうか」と深く話し合う機会がありました。そこで全員が行き着いた結論が、「誰かから必要とされること」だったんです。その時にふと考えたのが、実家の井上鋳工のことでした。兄は別の道に進んでおり、このままでは会社を継ぐ人間がいなくなってしまう。「自分が一番必要とされている場所は、もしかしたら実家の会社なんじゃないか」と、ようやく思えるようになりました。医者や消防士の代わりはいくらでもいるかもしれないけれど、井上鋳工にとって私の代わりはいない。遠回りをしましたが、その確信を持てたことで、迷いなく仕事に打ち込めるようになったんです。30歳で井上鋳工に入社したことは、私にとって最も腑に落ちるタイミングだったと今でも思っています。
急激な変化は求めない。社員の家族や友人まで巻き込む「体温のある組織づくり」
ーー30歳で入社されてから社長に就任されるまで、社内ではどのような苦労があったのでしょうか。
井上:私が入社した当時は、叔父たちが現場を取り仕切っており、営業面や顧客対応がほとんど機能していない状態でした。私が外の商社で学んできた当たり前の基準からすると驚くようなギャップがあり、会社を良くしようと意見を言うと、叔父たちからは自分たちを否定されたように受け取られてしまい、かなり激しく衝突しましたね。父親からは「結婚しない限り一人前とは認めないし社長にはさせない」と言われていたので、婚活に励み36歳で結婚し、38歳手前でようやく社長に就任して、自分のやりたいことが少しずつ形にできるようになりました。
ーー社長になられてからは、創業90周年の社員旅行をご家族やご友人も含めて60名で行かれたそうですね。
井上:はい、2泊3日で沖縄旅行に行きました。「家族あっての社員」だと常々思っているので、社員だけでなく、その家族や友人にも日頃の感謝を伝えたかったんです。旅行会社を使わずに自分たちでレンタカーを10台手配し、中型バスの運転免許まで私と専務で取りに行って運転しました。社員には5万円、家族や友人にも食事代として1人2万円の小遣いを渡して、極力自由度の高い旅行を楽しんでもらいました。社長になってから変えたいことは山ほどありますが、人は急激な変化にはついていけないものだとも理解しています。先代が育ててきたベテラン社員を大切にしながら、会社の休日を大幅に増やしたり、食堂や事務所を綺麗にしたりと、誰も置いてけぼりにしないようグラデーションのように少しずつ環境を良くしていくことを意識しています。
売上や規模の拡大が正解ではない。当たり前を徹底する「いい会社」の美学
ーー井上社長が考える「いい会社」のあり方と、いま働き方に悩んでいる20〜30代へのメッセージをお願いします。
井上:今の時代、どうしても売上を大きくしたり、社員数を増やしたりすることが成功の指標とされがちです。しかし、右肩下がりの業界にいる私たちにとって、ただ数字を追い求めることが正解だとは思っていません。それよりも、利益率をしっかりと確保しながら、社員や取引先から「本当にいい会社になったね」と言ってもらえるような組織を目指したいんです。新しい事業や目立つような飛び道具に走るのではなく、サッカーで言えばパスやドリブルといった基本を徹底する。当たり前のことを愚直にやり続ける基礎力のある会社こそが、今の社会から最も必要とされていると感じています。
ーーご自身の遠回りの経験を踏まえて、若手にはどのような言葉をかけたいですか。
井上:どの仕事を選んだとしても、必ず辛いことも楽しいこともあります。だからこそ、せっかく縁があって入った環境なのであれば、まずは自分が選んだ仕事に一生懸命打ち込んでみてください。そうやって泥臭く頑張っているうちに、周りから信頼されたり必要とされたりするようになります。その「必要とされる感覚」こそが、仕事のやりがいに変わっていくはずです。私自身、いろいろな道をフラフラと遠回りしてきましたが、そのすべての経験が今の自分を形成しています。最初から正解を求めずに、まずは一度、周りから必要とされるくらい全力で踏み込んでみることが、見たことのない新しい景色を見せてくれると思いますよ。

この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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