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安堂 航也 氏
ベーカリー 「rico」
オーナーシェフ
(あんどう・こうや)/大学中退後、職人への憧れから未経験でパンの世界へ飛び込む。パン作りの工程管理にパズル的な面白さを見出しのめり込む。複数店舗の立ち上げや店長職を経て、2015年に独立し現在の店舗をオープン。「パン作りは科学」と語り、感覚に頼らない理論的なレシピ開発と徹底した効率化で自身の時間を確保する。その一方で、退職した元スタッフが手伝いに訪れるなど、人との縁を何より大切にする。俺様気質を自認する理系肌のパン職人。
ベーカリー「rico」のオーナーシェフである安堂航也さんのキャリアは、「人に合わせるのが苦手」という極めて個人的で、飾らない理由からスタートしています。
「この仕事で社会にどう貢献するか」「どんな自己実現を果たすか」。そんな立派な目標がなくても、目の前の仕事に「パズルを解くようなスケジューリングの面白さ」や「科学の実験のような楽しさ」を見出し、自分の居場所と時間を泥臭く作り上げてきた安堂さん。正解に縛られて少し身動きが取りづらくなっている人にこそ読んでほしい、綺麗すぎない「働くリアル」をツムログ愛知がお届けします。
目標なんてなかった。「人に合わせるのが苦手」から始まった職人人生
——安堂さんは昔からパン作りがお好きで、ご自身の夢として職人の道を選ばれたのでしょうか。
安堂航也オーナー(以下、安堂):いや、全然そんなことないんですよ。大学を中退して何しようかなと思った時に、同級生ですでに職人の世界に飛び込んでがっつり稼いでいる連中がいて、そういう姿にかっこよさを感じて憧れを抱いたのが最初のきっかけだったんですよね。たまたま奥さん(当時彼女)に「あなたもパン屋なんて合うんじゃない?」と言われて、面接を受けたら通ってしまっただけで、まさか自分でパンを作るとか作ってみたいとか思ったことはそれまで一度もありませんでした。
——未経験で飛び込んだ職人の世界に、のめり込んでいった理由は何だったのでしょうか。
安堂:パン作りって、実は待っている時間がものすごく多い仕事なんですよ。Aの生地をこね上げて発酵させている間に、こっちはこれだけ時間がかかるから先にBの作業をやって、最終的にオーブンで焼く時にぶつからないようにプログラムを組むような感覚なんです。頭の中で電車のダイヤグラムみたいにスケジュールを組み立てて、並行して色々なことを進めていくのが、自分の性に合っていて面白くなっちゃったんですよね。
——職人的な感覚というよりは、頭の中でパズルを組み立てるような面白さがあったのですね。
安堂:そうですね。それに僕は本当に人に合わせて動くのが苦手で、相手の時間に合わせて動かなきゃいけないのが苦痛で仕方ない人間なんですよ。車の運転で信号待ちをするのも嫌いな「俺様タイプ」なので、人に合わせるよりも、自分でゴールを設定して1日のスケジュールを組み立てていく作業が本当に面白くなっていったんです。 最初は体力的にしんどかったけれど、徐々に慣れてくると本当にやりがいを感じるようになりました。
挫折と独立。「自分の城」を持つまでの泥臭いリアル
雇われの身として複数の店舗の立ち上げや店長職を経験してきた安堂さんですが、組織の中で働くことには常に葛藤があったと言います。やがて、突然の店舗閉店通告をきっかけに、ドタバタの独立劇が幕を開けることになります。
——店長としてお店を任されていた時代は、順風満帆だったのでしょうか。
安堂:栄の店舗から北区の店舗への移転や立ち上げなど全部やらせていただいて面白かったんですけど、やっぱり会社のやりたいことと地域のお客さんのニーズが合っていなくて、うまくいかないこともありました。それに、ぶっちゃけて言うと当時の社長と僕が合わなくて、お互いに「俺様」タイプだったので、僕が「もっとこうしたい」と意見を出しても、毎月の面倒くさい会議で全部却下されてしまうような状態だったんです。やるべきことや、やりたいことは頭の中にたくさんあったのに、それがなかなか動き出せなくてもどかしい思いをしていました。
——そこからご自身で「rico」をオープンされるまでには、どのような経緯があったのですか。
安堂:2015年の6月に突然、社長から「10月に店を閉めるから、冷凍食品の営業をやるか辞めるかどっちかにしろ」と言われたんです。今振り返ると、当時の社長の厳しさも、自分に対する期待の裏返し……いわば愛情の裏返しだったのかもしれません。人に合わせる営業の仕事なんて絶対にできないので、だったらこのお店を自分で買い取ってやろうと思ったんですけど、資金繰りが本当に一番大変でした。社長に払う現金も足りないし、色々な銀行を回っても全然お金が借りられなくて、おまけに会社からはお店の名前も使わせないと言われてしまって。これも今となっては「しっかり自分の店にするんだぞ」という愛情だったのかな、と思っていますが当時は本当に苦しかったです。最終的になんとかギリギリの9月にお金を借りられたんですけど、大家さんからは「待てないからすぐ開けろ」と言われるし、本当にバタバタでしたね。
——資金も時間もない中での独立は、相当なプレッシャーだったと想像します。
安堂:もう前の店の閉店セールをやって、たった1週間後には新しい名前で開店セールをやるという無茶苦茶なスケジュールでした。でも、いざオープンしてみたら、昔一緒に飲んでいた仲間とかがものすごい勢いで手伝いに来てくれたんですよ。パティシエの子がオープニングの焼き菓子を焼いてくれたり、デザイナーの友達が看板を作ってくれたりして。それに「お店がなくなっちゃうの?」と心配していた前の店からの常連のお客さんたちも、大勢来てくださって大盛況だったんです。全く思い通りにはできないスタートでしたけど、お客さんごと引き継げたのは本当にありがたかったですし、今までため込んでいたアイデアを自分の裁量で実現できるようになったのは、本当に良かったなと思っています。
パン作りは「科学の実験」。理系職人の働き方改革
独立後、順調にファンを増やしていった「rico」ですが、コロナ禍によって大きな転換を迫られます。卸売事業がストップするというピンチの中で、安堂さんが選んだのは「規模の拡大」ではなく、徹底した効率化による「自分の時間の確保」でした。
——コロナ禍では、飲食店を相手にした卸売事業にも大きな影響があったのではないですか。
安堂:そうですね、レストランや結婚式場などの卸の仕事が全部止まってしまって、売上が半分以下に落ち込んだ時期もありました。でも、ロットが少なすぎて作っても合わなくなってしまうなら、思い切って卸はバッサリ辞めてしまおうと決断したんです。飲食店への売上に頼っていたら向こうがダメになった時にこっちも共倒れになるので、ここだけで利益を出せるように色々と仕組みを変えていきました。
——具体的にはどのような仕組みを変えられたのでしょうか。
安堂:例えば、ロスを出さないための工夫ですね。閉店時間の1時間半前くらいから照明を変えてみたり、遅い時間に来るお客さんには申し訳ないけれど「売り切れで何もない」という状態をあえて許容するように計算して作る個数を設定したりしました。それだけでも利益率が上がりますし、無理に売上を伸ばすことよりも、利益を下げないようにするという線引きをしたのが逆に良かったんだと思います。
——パン作りそのものに対するアプローチも、非常に独特ですよね。
安堂:僕にとってパン作りは、理科の実験みたいなものなんです。最初に入ったお店で教わった時に、発酵でどういう化学反応が起きているのかを化学式で説明されたのがすごく面白くて。それが頭に入っているから、新しい生地の配合を考える時も「これとこれを組み合わせたらこうなるはずだ」って、頭の中で1+1=2の計算式が出来上がるので、何回も試作しなくても大体1回で理想に近いものができるんですよ。
——職人の世界というと「勘と経験」のイメージが強いですが、非常に理論的で合理的ですね。
安堂:そういう感覚でやっているから、僕は自分のスケジュールを極限まで圧縮して、タバコを吸う時間まで計算して組み込んでいます。仕事の中での優先順位は、お客さんでも従業員でもなく「パンの発酵時間」が一番なんですよ。そこで何分かロスしたら全部のスケジュールが崩れてしまうので、自分の思った順位で仕事ができて、自分の時間を作れる今の環境が一番気持ちいいんですよね。ガツガツとお店を広げたい人には僕みたいなやり方は合わないでしょうけど、僕は人に使われて自分の時間がなくなるくらいなら、好きなことを自分のペースでやれるのが一番だと思っています。
もっと「ゆらゆら」生きていい。若者たちへ伝えたいこと
効率的で合理的な一面を持つ一方で、安堂さんの周りには不思議と人が集まります。退職したスタッフが遊びがてら手伝いに来たり、スタッフ同士で結婚したりと、お店には確かな「体温」が宿っています。
——合理的な働き方を追求しつつも、昔のスタッフさんが手伝いに来てくれるような温かい関係性が続いているのがとても魅力的です。
安堂:当時の北区の時のスタッフが、子育てが終わって「暇なら働く?」と声をかけたら戻ってきてくれたり、短い期間だったけどすごく濃いメンバーに恵まれたんですよね。スタッフ同士で結婚して、僕が結婚式で挨拶したこともありましたし(笑)。僕が学生時代に働いていた時のチーフが、30年越しにうちにパンを買いに来てくれたりもするんです。
——最後に、キャリアに悩んだり「このままでいいのかな」と立ち止まっている20〜30代の読者に向けて、何かメッセージをお願いできますか。
安堂:最近の若い子たちを見ていると、「ガチガチの目標」を持って頑張りすぎているから、あんまりうまくいかない世の中になっているんじゃないかなって感じるんです。「こういう会社に入って、こういうことをやらなきゃいけない」って思い詰めて、少しでも現実と違うと反発したり、脆くも挫折してしまったりする。でも、もっとゆったり構えて、自由度を上げて「ゆらゆら」していた方が、結果的に意外と身につくものが多いんじゃないかなって思うんですよ。
——「ゆらゆら」生きる。とても肩の荷が下りる言葉ですね。
安堂:あとは、仕事以外の仲間を大事にしてほしいですね。僕自身、釣り船で偶然出会った人と今でも一緒に釣りに行ったり、全然関係ないところで出会った人がお店の立ち上げを手伝ってくれたりしました。今はインターネットで簡単に人間関係のリセットボタンを押せちゃう時代ですけど、顔を合わせてバカ話をしたり、一緒にお酒を飲んだりするアナログな繋がりが、10年後、20年後にふと自分を助けてくれることがあるんです。だから、あまり思い詰めずに、無駄に思えるような時間や繋がりも残しておくといいんじゃないかなと思います。

パン屋さんの取材と聞いて、最初は「パンへの熱い愛」や「職人としてのストイックなこだわり」といったお話を想像していました。しかし安堂さんから返ってきたのは、「パンを主食で食べる習慣はなかった」「パン作りは理科の実験」「いかに効率よく回すかのスケジュール管理が楽しい」という、意外なほどロジカルで等身大な言葉たちでした。
私たちは日々働く中で、無意識のうちに「やりがいを持たなきゃ」「高い目標を掲げなきゃ」と自分を強く縛ってしまいがちです。でも、安堂さんのように「自分の得意な思考回路(平行思考や計算)」を目の前の仕事に掛け合わせて面白さを見出していくのも、一つのリアルで力強い働き方なのだと気づかされました。「こうじゃなきゃいけない」を手放して、もう少しゆらゆらと、自分の軸や心地よいペースで生きてみる。そして、効率化を好む一方で、仕事を超えた泥臭い人との繋がりだけはしっかりと大切にしておく。安堂さんのお話には、正解を求めてすり減りそうになりながら働く私たちの心を、少しだけ軽くしてくれるヒントが詰まっていたように感じます。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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