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津曲 修一郎 氏
株式会社アクセス
代表取締役会長
つまがり・しゅういちろう/リクルート情報出版で営業を経験したのち、個人で創業。1990年4月株式会社アクセスを創業、代表取締役社長に就任。2022年に代表取締役会長。また、株式会社未来企画が2017年に合併し、クレドホールディングス株式会社を設立、代表取締役社長を務める。
「よし、これでやっていくぞ」
そう決意して26歳でリクルートを飛び出し、世の中で一番面白いと確信した求人の仕事で独立を果たした津曲さん。個人事業主から1990年4月に「株式会社アクセス」を創業した彼を待ち受けていたのは、決して順風満帆なものではありませんでした。
バブル崩壊による数億円の借金、リーマンショックによる危機、そして紙媒体からWeb、Indeedへと変化し続ける人材業界の荒波。いくつもの泥臭い苦難をいかにして乗り越え、愛知の地で35年以上にわたって続く企業を築き上げてきたのでしょうか。数々の修羅場をくぐり抜けてきた男が語る、アクセス創業期の生々しい葛藤と、次の世代へ託す「仕事への想い」をお届けします。
銀行ローン300万からの船出とあえて置いてきた顧客たち
——26歳で独立されたそうですが、最初はどのような形でのスタートだったのでしょうか。
「最初は本当にお金がないことが一番大変でした。お金があって独立したわけじゃないんで、カードローンで100万円の枠を3つの銀行で作ってもらってね。それが僕の唯一の独立資金だったんですよ。だけど、初期費用で500万を使ってしまったから本当にお金がなくて。8ヶ月で資金が尽きて借金もできなくなる。だから何としても8ヶ月でトントンにしなければいけないのが、最初の必死な壁でしたね」
——リクルート時代に築き上げたお客様をそのまま引き継ぐことはしなかったのですか。
「それは絶対にやらなかったです。自分が育てた可愛いメンバーたちにお客さんを全部引き継いできましたから。独立したからといって、そこへ自分がまた行って案件を取るのは仁義に反することでそれは許せなかったんです。だから、未だにリクルート時代のお客様の元には行っていないですね。」
「リクルートの看板を完全に外して、またゼロから新規の飛び込みとテレアポをすべて自分一人で始めて、なんとか月に40万の利益を出せるようにするぞ、というところからの再出発。結果的には1年で給料や営業経費を出せるようになってクリアできたんですけどね」
「ベンツ、ロレックス、ヘネシー」の虚しさと、会社設立へ駆り立てた恩師の言葉
——独立後、1年ほどで資金的な危機を乗り越えられたのですね。
「そう。それでね、当時の僕の夢は『ベンツ、ロレックス、ヘネシー』でした。若かったし、それを全部達成したんです。毎日錦に行ってヘネシーを飲んで。そうやって自分の欲を満たすような生活を半年くらい続けていたら、ある日突然虚しくなってきた。自分の夢が全部叶った最高の状態のはずなのに、なんでこんなに虚しくて全然楽しくないんだろうって、すごく不思議でした」
——その虚しさを、どのようにして解消されたのでしょうか。
「そんなときに紹介されて、青年経営者研修塾に入ったんです。講義で先生から『人間は、自分の欲を満たすためだけの人生では、何も達成感は得られない。大きな夢、大きな志に向かって、大勢の仲間と歩んでいる状態こそが、真の成功者なんです』という話をを聞いた瞬間に、『あ、これ今の俺のことじゃん』って、頭が空っぽだったところにすーっと刺さりました。」
「僕はいつも、どうしようもないところまで落ちて空っぽになって、そこで何か人と出会って人生が変わっていくんですけど、まさにその講義を聞いた半年後の1990年4月26日に、それまでの個人商店から『株式会社アクセス』という会社を作りました。大勢の仲間と大きな志に向かって歩んでいきたい、という法人の立ち上げのきっかけは、今でも変わっていませんね」
バブル崩壊と仁義。決断が遅れたことで背負った数億円の借金。
——創業後はすぐに順調にいきましたか。
「会社を作って2年経つ頃にはもうメンバーが50人を超えていたんです。29歳で名古屋ナンバーワンの求人代理店だなんてちやほやされて喜んでいました。そしたらね、1992年にバブル崩壊が来たんです。売上が一気に3分の1に激減して、何億円もの借金を背負って、一時はどうしようもなくなりました」
——何億円もの借金、ですか。想像を絶する厳しさです。
「本当に辛かったですね。なぜそんなに借金を背負うまで赤字を垂れ流してしまったかというと、僕がみんなに『辞めてくれ』って早く言えなかったからなんですよ。毎月何千万円も赤字が出ているのに、自分で採用したパートのおばちゃんや、テレアポのお姉さんたちに辞めてくれなんていうことは仁義に反する、絶対にやってはならないと思ってしまって、決断に半年もかかってしまった。」
「やっとの思いで最初のパートの方に『辞めてもらえますか』と話したら、『だよね』って言われたんです。会社の状況が厳しいこと、僕が無理していることは、みんなとっくに分かっていたんですよね。早く言えばよかったのに、経営とはどういうものなのかを本当にこのときに叩き込まれました」
——そこから、どのようにして組織を立て直したのでしょうか。
「お盆休みのときに主要メンバーを呼んでね、『お給料がなくても、ボーナスがなくても、俺についてきたいやつは、休み明けの朝7時半に事務所に来てくれ』と。専務と一緒に朝待っていたんですけど、7時半には誰も来なかったんです(笑)」
——誰も(笑)
「誰も来なかった(笑)。まあ後から主要メンバーを呼んで話をしたら、『つまさん、ボーナスが出ないのはいいですけど、給料が出ないのは無理ですよ』って言われてね。でも結局、僕が給料を払わなかったことなんて一度もなかったですし、最終的に5人だけ残ってくれて、その5人と一緒に7年かけて数億円の借金をすべて返済し切りました。この本当に辛かった失敗の経験が、実はのちのち、リーマンショックのときに最大の武器として生きることになるんです」
リーマン・ショックの半年前に感じた「あの時と同じ寒さ」。奇跡の決断と新たな出会い。
——リーマンショックのとき、どのような意思決定をされたのでしょうか。
「5人で7年かけて借金を返し終わり、ようやく利益が出てきて、また採用を始めて50〜60人の組織に戻ったときにリーマンショックが来るんです。だけど、その半年前の段階で、なぜか分からないけれど『前とそっくりだわ、これおかしいぞ』という予兆を感じたんですよ。昔の辛い経験があったから、もしそうならなかったらどうしよう、なんていう迷いは一切ありませんでした。」
「リストラするのではなく、みんなに『今すぐ転職しろ、もっといい会社に行け』って言ったんです。みんなすごく優秀な子たちだったから、公務員になったり、素晴らしい企業へ次々に決まっていってね。全員が綺麗に収まり終わった瞬間に、リーマン・ショックが起こったのです」
——その予兆を信じて、事前に行動を起こさせたのですね。
「そう。みんなが倒産やリストラに怯えることのない一流企業にちゃんと収まってくれたから、うちの会社は一切赤字を出さずに、黒字のままリーマンショックを切り抜けることができました。」
「このマイナスの決断は、僕の30数年の経営者人生の中で最も良かった打ち手だと思っています。さらにね、周りの代理店がバタバタと潰れて、古巣リクルートも2,000人規模のリストラをしていたその真っ只中に、うちは1人だけ新卒採用をやったんです。」
「でも、そういう大不況のときにこそ、普通なら出会えないような、本当にとてつもなく優秀な人が採れる。そうしてそのときに入ってきたのが、今の執行役員である小川なんですよ」

求人メディアは紙からWeb、そしてIndeedへ。手段が変わっても肝は変わらない
——小倉さんが現在は代表取締役社長になられています。津曲会長から社長を譲られたのは、時代の変化に対する危機感もあったのでしょうか。
「僕は紙の求人の時代にリクルートへ入って、ネットに変わり、リクナビやリクナビNEXTを一生懸命売ってきました。そして今やIndeedという外資系のメディアが台頭し、クリック課金のスピード感のある運用型広告が中心になりましたよね。」
「展開がとにかく早いんです。こういう変化に対しては、僕よりも若い世代が社長をやったほうが絶対にいい。のんびりしていて、せっかちな僕には見えないものが見えている、器のデカい小倉に任せるのがベストだと思ってバトンを渡しました」
——クリック課金やWeb広告への移行に伴い、業界を離れていった方がいたそうですね。
「そうなんです。リクナビNEXTのような従来の掲載型メディアが好きすぎて、クリック課金の仕組みが嫌だと去っていった人が他社でもたくさんいました。だけどね、僕からしたら『何が違うの?』って、意味がわからないんですよ。紙のときも、ネットになっても、今のIndeedになっても、僕たちの仕事の肝は何も変わっていません。」
「その企業の『ペルソナ(誰に届けるか)』を設定し、採用上の本当の『強み(魅力)』をヒアリングし切ること。表現するのはデザイナーやコピーライターの仕事ですけど、それを引き出す僕たちの営業・コンサルの力は、どんな道具に変わっても全く同じなんです。今のIndeedの原稿を見ていると、無味無臭でペラペラなしょぼい 条件やメリットだけを並べて社名を隠すとどこの会社でも使えそうなパターン原稿が多すぎて、むしろチャンスしか転がっていないなと、ワクワクしますね(笑)」
働くことは人生そのもの。お金を稼ぐ手段だけで終わらせないために
——働く意味やキャリアに迷っている方へ、メッセージをお願いいたします。
「人間にとって大切なことがあって、働くこと、結婚すること、家を建てること。人生の節目節目が色々ありますよね。やっぱり、その1つひとつの夢をきっちり叶えていくこと、そしてそこに迷いがない状態を作ることが大事です。迷っているときが一番辛いですからね。」
「ただ、人間は22歳から65歳くらいまで、40年間は誰もが働かなければならないじゃないですか。一日のうち通勤も入れたら10時間近くを仕事に使うわけですから、働くということは、ほぼ人生そのものとイコールなんですよ。だからこそ、働くことを『お金を稼ぐためだけの手段』として捉えてしまうと、その40年間がものすごくもったいないものになって、幸せになりにくくなってしまうんです」
——どうすれば、幸せな働き方に出会えるのでしょうか。
「『自分の強みが活きる場所であること』、そして『この人となら一緒に仕事をしたいと思える仲間がいること』。この2つを満たす職場で働いてほしいですね。自分の強みを活かして、いい仲間と大きな目標に向かって歩んでいれば、人生の成功者には絶対になれます。」
「だから、うちのメンバーにも、そして世の中のすべての人たちにも、『自分はいい会社で働いているな、ここで自己実現できているな』と思いながら、体温のある仕事をしてほしい。真剣に悩んでいれば、必ず救ってくれる人や幸運の神様が現れて、すっと流れが変わる瞬間が来ます。だから、投げ出さずに、まずは目の前のことに一歩踏み出してみてください」
この記事を書いた人
若林太司
ツムログ編集長。2005年に新卒でアクセスに入社以来、人材業界一筋21年目で800社以上の採用を支援。特に中小企業の中途採用領域を得意としています。社長との対話から、目の前の課題だけでなく「隠れた真のニーズ」を発掘することに情熱を注いでおり、インタビューを通してリアルをお届けします!
営業/ツムログ編集長
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