「商品なんてどこも変わらない。だから、本気で相手を気にかける。」最初の1年間売れなかった営業が辿り着いた、『祭り事』と『人と人』の関わり方
目次
- 「服が汚れる仕事を、どこかで冷ややかに見ていた。」20代の自分を変えた、職人たちのプライド
- 「視野を拡げ、世界を知りたかった」鋳物工場を飛び出して再出発
- 「字が汚いなら、パソコンを持っていけ。」売れない・無力の自分を救ってくれた、強みを認める環境
- お神輿を担ぐ人、裏方でおにぎりを握る人。社内の『祭り事』は相手を理解し、巻き込むためのマインドの訓練
- 全員の責任を一人で背負うということ。仲間から「守るべき存在」へ変わった、社長としての覚悟
- 「データだけじゃない、会社の味を出す。」新メディア『ツムログ』で仕掛けていくこと
- 若い人の考えを理解し、先輩の考えを理解する。不器用でも「一歩踏み込む」ことから、面白い化学反応が始まる
小倉 幸二 氏
株式会社アクセス
代表取締役社長
おぐら・こうじ/島根県出身、18歳で名古屋へ移り、専門学校を卒業後、ホテルでベルボーイ、鋳物工場の勤務を経て、2001年株式会社アクセスへ入社。営業部長、事業部長などを務めたのち2022年に同社代表取締役社長に就任。本メディア「ツムログ」を立ち上げる。
「商品やサービスなんて、正直どこもあんまり変わらないじゃないですか。だからこそ最後は、『この人は自分たちのことを本気で気にしてくれているな』と思ってもらえるかどうかが一番大切なんです」
そう語るのは、株式会社アクセスの代表取締役社長、小倉幸二さん。前回のインタビューで、創業会長の津曲修一郎さんが立ち上げ期の困難と奮闘ぶりを語りましたが、そのバトンを2022年に受け取った小倉さんの歩みもまた、決してエリートコースではありませんでした。
テレビドラマに憧れたホテルマン、汗まみれで鉄を溶かした鋳物工場での5年間、そして「転職は悪」と言われた就職氷河期でのアクセスへの入社。タイパ重視で、効率的で、傷つかない関係ばかりが選ばれる今の時代だからこそ、小倉社長が自らの足で掴み取ってきた「人と深く関わること」の大切さをお届けします。
「服が汚れる仕事を、どこかで冷ややかに見ていた。」20代の自分を変えた、職人たちのプライド
——小倉社長のご経歴を伺いたいのですが、社会人としてのスタートは名古屋のホテルだったそうですね。
「高嶋政伸さん主演で『姉さん、事件です』が有名な『HOTEL』というドラマがあってね。あの熱いヒューマンドラマを観て、ものすごくホテルマンに憧れたんですよ。島根から専門学校に入るために出てきて、名古屋のホテルに入って、念願のベルボーイとして3年間働かせてもらいました。すごく好きな仕事でしたし、自分に合っているなという誇りもありましたね」
——そこから、ガラリと環境が変わって「鋳物(いもの)工場」へ行かれたとか。
「そう、ホテルの改装工事が入るタイミングがあって、男性社員は内装工事の資材運びとか、取り外した資材を外に出す手伝いをすることになって、数ヶ月間現場に入ったんです。」
「正直に言うと、当時20歳の私はホテルという綺麗な場所でビシッと制服を着て働いている自分にどこか変な勘違いをしていました。だから、現場で働いている職人さんたちのことを『あんな服が汚れる仕事をよくやるな』って、どこか冷ややかに見ていた部分が心のどこかにあったんです」
——その意識が、現場で一緒に働くうちに変わっていったのですか。
「ものすごく変わりましたし、自分の浅はかさが本当に恥ずかしくなりましたね。絨毯を貼る人、壁紙を貼る人、バスやトイレを設置する人、みんなが自分の仕事に凄まじい誇りを持って、どうすれば一番綺麗な状態で引き渡せるかを真剣に考えて、ものすごいプライドを持って職人仕事をされていたんです。」
「それを見ていたら、『なんて失礼な見方をしていたんだ』と、自分が情けなくなってね。その後、ご縁があってモノ作りの職人になるべく鋳物工場へ転職することになりました」
——鋳物工場での仕事は、かなり過酷だったのではないですか。
「過酷でしたよ(笑)。現場で5年間、毎日私自身もドロドロになりながら鉄を溶かしていましたから。でもね、その工場に某大学のおじいちゃん教授が顧問として来られて、やる気のなかった私に対して、ある日突然、ものすごい熱血指導を始められたんです」
——熱血指導、ですか。
「『この温度のときに、マンガンとニッケルをこのタイミングで入れると不良品が減るんだ』とかね、数式や科学的な根拠をものすごく丁寧に教えてくれるんですよ。言われた通りにそのタイミングでクロムやマンガンを放り込んでいくと、本当に目に見えて不良品が減っていく。」
「その瞬間、今までただの『きつい肉体労働』だと思っていた現場の仕事が、自分の中で一気に『科学の実験』に変わったんです。自分で考えて工夫すれば、目の前の結果が変わる。職場の先輩たちもみんな素朴で本当に良い人ばかりでしたし、仕事が終われば金曜の夜から海へ行ってサーフィンをするような、大変でしたが本当に充実した20代の5年間を過ごさせてもらいました」
「視野を拡げ、世界を知りたかった」鋳物工場を飛び出して再出発
——その後、どうして鋳物工場から転職されたのですか。
「工場での仕事はすごくやりがいがあり優遇もしてもらっていたんですが、30歳を前にして、世の中で起こっていることに対する自分の視野の狭さをだんだん感じるようになったんです。世の中がどうなっているのかも分からない、自分に何ができるのかも分からない中で、ただ一つだけ『もっと広い社会を知りたい』という強い気持ちだけがありました。工場の中という狭い世界じゃなくて、いろんな業界の、いろんな会社で働く人たちに会える仕事がしたいと思いつめるようになっていました。」
——当時は2000年、世の中はまさに「就職氷河期」の真っ只中ですよね。
「まさに氷河期です。求人誌の『B-ing(ビーイング)』を毎週買い込んでは、折り目をつけながら必死で探していました。当時は今と違って、『転職する奴は根性がない』とか『転職は悪だ』という風潮がまだまだ色濃く残っている時代でしたから、中途採用の枠なんて本当に少なくてね。1枠の募集に対して何百人も応募が殺到するような時代でした。」
——当時のアクセスの面接は、どのような雰囲気だったか覚えていますか。
「当時は採用する企業の立場が圧倒的に強い時代でしたから、張り詰めた空気の会社が多かったです(笑)。アクセスでも『お前、何がやりたいんだ』『今まで何やってきたんだ』と真剣に聞かれましたけど、津曲会長(当時は社長)は、私のホテル勤務時代や鋳物工場での仕事、当時付き合っていた今の妻を絶対に幸せにしたいんだっていう青臭い本音をね、すごく真剣に、じっくりと聴いてくれたんです」
「ここなら、自分の人間性そのものに向き合ってもらえるかもしれない。そう感じて、当時まだメンバーが7人しかいなかったアクセスに飛び込みました」

「字が汚いなら、パソコンを持っていけ。」売れない・無力の自分を救ってくれた、強みを認める環境
——入社されてからの営業活動は順風満帆でしたか。
「いや、全然売れなかったですよ。最初の1年間は結果が出なくて本当に苦しかったです。周りを見渡すと、自分よりも頭が良くて、愛嬌があって、スマートにお客さんの懐に入り込んでいく優秀な先輩ばかりで、『自分には何もできない』と毎日自分の無力さに打ちのめされていました。」
「それに、私はものすごく字が汚かったんですよ(笑)。当時はみんながノートに手書きでお客様にヒアリングした内容を書いている時代だったんですが、私の書く字があまりにも汚すぎて。そうしたら、それを見かねた当時の津曲社長がね、『小倉は字を書くより、パソコンを叩く方が圧倒的に早いんだから、新人のお前だけノートパソコンを外に持っていって、目の前でお客様の話をタイピングしてヒアリングしてこい』って言ってくれたんです」
——まだ営業マンがノートパソコンを持ち歩くのが珍しい時代に、あえてそれを持たせたと。
「そうです。だけど、私だけにそれを許してくれた。おかげで、お客様の目の前でどこよりも早く、正確にお客様の要望を文字にして、信頼を掴むことができるようになったんです。短所をただ怒るんじゃなくて、その人の特性を活かして、どうすれば輝けるかを一緒に考えてくれる。その環境に、本当に救われましたし、自分の存在や居場所を認めてもらえたなという安心感がありました。」
「だからこそ、今度は私が社長として、メンバー一人ひとりの可能性を信じて、それぞれの適性を活かしたマネジメントをしてあげる番だなと、そう思って毎日走っています」
お神輿を担ぐ人、裏方でおにぎりを握る人。社内の『祭り事』は相手を理解し、巻き込むためのマインドの訓練
——アクセスでは社内行事を『祭り事(まつりごと)』と呼んで大切にされていますが、これにはどういった意図があるのでしょうか。
「うちは今、お花見やバーベキュー、社員旅行に忘年会という年4回の行事があって、全員が必ず何かしらの委員会に所属して運営に関わる仕組みにしています。なぜ求人広告の会社がそこまで社内イベントに命をかけるのかというと、これ自体が『人と本気で向き合うための訓練』だからなんです。お祭りや行事ってね、神輿を担いで前面で目立って盛り上げている人だけで成り立っているわけじゃないんですよ。裏方で何ヶ月も前から段取りを組んでくれる人、当日にみんなのために汗を流しておにぎりを握ってくれる人、安全に終わるように警備をしてくれる人、いろんな役割の人がいて、初めて一つの祭りとして成功するじゃないですか」
——全員に違う役割があって、みんなで一つのものを創り上げているのですね。
「そうなんです。前へ出るのが苦手なら、裏方として徹底的に仲間をサポートする側で100点を取ればいい。『あなたはこういうところが良いところじゃん』って、お互いに認め合える居場所があることが大切なんです。自分たちが何かをやろうとしたときって、やっぱり色々と苦労するし、トラブルもあるじゃないですか。当事者になるからこそ、『ああ、これ大変だったな』とか『こういうときにはこういう相談をしなきゃいけないんだな』っていうのが身をもって分かる。どうすればみんなに喜んでもらえるか、どうやって周りと協力して巻き込んでいくかを、面倒くさいことも含めて社内で体感しているからこそ、アクセスの社員はお客様の会社の中に深く入り込んで、本当の『強み(らしさ)』を引き出すことができるんです」
全員の責任を一人で背負うということ。仲間から「守るべき存在」へ変わった、社長としての覚悟
——2022年に代表取締役社長に就任されてから、ご自身の中で変化したことはありますか。
「それまでは一緒に走る『仲間』だった社員が、社長になった瞬間から『自分が何があっても守らなければいけない存在』に変わったのは、これまでとはまったく違いましたね。すべての決断の責任が自分一人の肩にかかってくる。」
「ものすごいプレッシャーはありますし、責任の重さをズシッと感じますけど、かつて結果が出なくてもがいていた20代の不器用な自分を、当時の社長や仲間たちが信じて見守ってくれたように、今度は私が、メンバー一人ひとりの可能性を信じて、それぞれの適性を活かしたマネジメントをしてあげる番だなと、そう思って毎日走っています」
——かつての自分のように、悩んでいる若い社員の存在を肯定してあげたいと。
「そうですね。アクセスに入ってくれたメンバーが、自分の強みを見つけて、ここで活き活きと働いてくれることが何よりの喜びです。私自身、最初から何か大きな夢を語れるような経営者だったわけではなく、目の前のお客様や仲間と向き合い、その都度新しく見える景色——営業での成果、後輩の育成、チームの統括、役員としての視点を一生懸命にやり続けてきた結果として、今があると思っています。だからこそ、最初からスマートに完璧にやろうとしなくていいんだよ、ということは、今の若いメンバーたちにも一番伝えたいですね」

「データだけじゃない、会社の味を出す。」新メディア『ツムログ』で仕掛けていくこと
——これからの展望についてもお伺いさせてください。新しく「ツムログ」というメディアをリリースされるそうですね。
「はい。今は求人の仕組み自体もどんどん変わってきていますし、色々なデータやWebの技術もありますが、私たちがこれからツムログを通じてやっていきたいのは、まさに企業の『いいところ』や、そこにしかない『らしさ』をちゃんと求職者をはじめ、多くの人に届けていくことなんです。」
「大企業に限らず、どんな会社であっても、そこで働く『人』がいて、組織ごとの『味』や『温度』が絶対にあります。だけど、世の中にある多くの求人情報って、条件面や薄いデータだけをなぞった、どこか無味無臭なものになりがちなんですよね」
——企業の本当の魅力や、現場の体温が伝わっていないと。
「私たちは、お客様の会社の中に深く入り込んで、まだ自分たちでも気づいていないような『お宝(強み)』をとことんヒアリングし、その会社の『味』や『温度』をそのまま表現することにこだわり続けたいと思っています。」
「ツムログは、ただ綺麗にまとめられたスペックの羅列ではなく、そこで働く人の顔や体温が見えるような、そういうお節介で人間味のあるメディアにしていきたいですね。アクセスの社員一人ひとりが、お客様の『良き理解者』として一番近くに寄り添える、そんな組織であり続けたいなと思っています」
若い人の考えを理解し、先輩の考えを理解する。不器用でも「一歩踏み込む」ことから、面白い化学反応が始まる
——最後にツムログの読者へ、メッセージをお願いいたします。
「今は、傷つかないように適度な距離を保って、スマートに生きるのが正解だと言われる時代になりましたよね。だけど、人間って20代から60代まで、人生の本当に長い時間を働くことに使うわけですから、働くということは、ほぼ自分の人生そのものと切り離せない関係にあると思うんです。だからこそ、それをただの我慢の時間や手段にしてほしくないな、という気持ちがあります」
——どうすれば、働く手応えや楽しさに出会えるのでしょうか。
「これってお互いに歩み寄る必要があってね、私たち上の年代の人間は若い人の考えを本気で理解してみる、逆に若い人からすると上の年代の考えを少し理解してみる。そうやって、お互いが『あの人はどういう想いなんだろう』って、1歩踏み込んで理解できるようになると、組織の中にものすごく面白い化学反応が起こると思うんです。」
「商品やサービスなんてどこも変わらないからこそ、最後は『どれだけ相手のことを本気で気にかけられるか』という人間味の能力が、すべての仕事の楽しさに繋がっていきます。不器用でもいいから、まずは目の前のこと、目の前の相手に一歩踏み込んでみてください。そこから必ず、流れが変わる瞬間が来ますから」
小倉社長の言葉には、かつて自分が綺麗でスマートな世界に憧れ、泥臭い現場で人のプライドに触れてきたからこその真理を感じました。 「人は何のために働くのか」。 その答えを、便利なスマホの画面の中で探すのではなく、誰かのためにちょっとお節介に汗を流してみる、そんな不器用な一歩先にこそ、「働く意味」が隠されているのかもしれません。
この記事を書いた人
若林太司
ツムログ編集長。2005年に新卒でアクセスに入社以来、人材業界一筋21年目で800社以上の採用を支援。特に中小企業の中途採用領域を得意としています。社長との対話から、目の前の課題だけでなく「隠れた真のニーズ」を発掘することに情熱を注いでおり、インタビューを通してリアルをお届けします!
営業/ツムログ編集長
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