「もう人は雇わない」と決めていた私が、無茶振りの果てに70人の仲間と出会うまで。

「もう人は雇わない」と決めていた私が、無茶振りの果てに70人の仲間と出会うまで。

 

20代での挫折、同級生との空中分解、そして「もう組織は作らない」と決めた過去。そこから、割と強引な仲間による「運命の無茶振り」をきっかけに、なぜ再び立ち上がり、今や70名を超える組織のトップとしてメンバーを信じ抜くことができているのか。じっくりと紐解きます。

 

「もう人は雇わない」と決めていた私が、腹を括るまで

-- 加納さんは現在、メイン事業である「株式会社ワンロック」で70名を超えるスタッフを抱えながら、奥様と2人で営む「株式会社トリニティ」の代表も兼任されていますよね。これまでの歩みはかなり波乱万丈な道のりだったとお聞きしました。まずは会社立ち上げのきっかけから教えていただけますか?

 

加納 会社が2つありまして、メインでやっているのは「株式会社ワンロック」という会社なんですけど、私のほかにスタッフが全部で70名ちょっとくらいいるんですよ。主な事業は「カメラや時計のEC販売代行」で、お客様が仕入れてきた商品をうちの倉庫でお預かりして、撮影から保管、梱包、海外への発送までを丸ごとワンストップで代行するサービスをやっています。これ、成り立ちがちょっと面白くてね。もともと、トリニティとして独立した後に売上が伸び悩み、カメラ物販のスクールに通っていた時期があるんですけど、そこで出会った仲間にスゴイ男がいまして。彼が独立して新しくスクールを立ち上げるってなった時に、ある日突然「俺スクールやるから、速世は代行会社やってくれ。お前しかいない!」って無茶ぶりされたのがきっかけなんです。

 

―― カメラ物販のスクールでの出会いから、まさかの「代行会社をやってくれ」という無茶振りだったんですね。

 

加納 そうなんです(笑)。組織を持ちたくなかったので、ワンロックは正直やりたくなかったんだけど、やることになっちゃった。彼は『俺はスクールやるから、代行会社と2つも事業できないから』って。でも、彼がいなかったら今のワンロックは絶対にないですね。

 

―― ワンロック設立以前の加納さんのプロフィールを教えてください。

 

加納 20代前半は実家の家業であるお寺の仏具製造に憧れ、稼業に入社しましたが、頑固職人の父親と喧嘩しちゃって挫折しまして。

そのあと建築会社で5年間現場管理をやった後に、通信会社の営業に転職したんです。そこがもう、飛び込みで即決をもらうようなゴリゴリの営業の世界でね。そこで必死に営業をやってたら、入社半年くらい経った時に一緒に働いていた上司から「なぁ加納、一緒に独立しないか?」って声をかけられて、通信会社を立ち上げたんです。結局その会社は倒産してしまい、1500万円の借金だけが残りました、、。

 

―― その後にトリニティを設立されたんですね。ご友人たちも巻き込んでスタートされたのだとか。

 

加納 最初はね、高校の同級生3人も集めて『みんなで会社作ろうぜ!』って意気揚々とスタートしたんですよ。私が30歳手前の頃でした。……まぁ、結局その同級生たちとは上手くいかなくて、みんなバラバラになっちゃったんですけどね。その空中分解した苦い経験が本当にトラウマみたいになってしまって、「もう人を雇って組織を大きくするのはやめよう」と心に決めていました。だから、ワンロックをやると決めた時は、相当な覚悟が必要でしたね。

 

―― また人を雇う組織を作ることに、かなりの葛藤があったんですね?

 

加納  そう、人を雇用したらその人の生活を守らなきゃいけなくなるじゃないですか。それがやっぱり怖かったんです。トリニティの時は本当に自分と妻だけで、家族が普通に問題なく暮らせればそれでいいや、という感じで自由気ままに仕事ができていたので。だから、ワンロックをやる時は完全に腹を括りました。当時やっていた旅行のサークルとかも全部やめて、「これを本気で集中してやらないと絶対にこけるな」と思って、自分の大切なものをいくつか手放して退路を断ちましたね。

 

激務の黎明期と、自宅から届く「深夜のカレーライス」

―― そうして腹を括って始まったワンロックですが、立ち上げ当初はどのような状態だったのでしょうか。

 

加納 最初の1ヶ月はとにかく暇でね(笑)。アパレル商品の売れ残り品をマネキンに着せて、写真を撮って売るような仕事を細々とやっていたんです。でも、しばらくして2期後輩の彼からどんどんお客さんが送客されてくるようになってからは、一気に状況が変わりました。「アパレルやってる場合じゃない、カメラやるぞ!」ってなってからは、もう本当に毎日夜の10時や12時に帰れたら早い方で、深夜1時や2時まで働くのが当たり前になりましたね。

 

―― 深夜まで毎日作業を……。体力的にも精神的にもかなり過酷なスタートだったのですね。

 

加納 お客さんからの荷物はどんどん届くのに、人の採用も教育も全然追いつかないから、結局今いるメンバーで数をこなすしかなくてね。当時は私と、創業メンバーの2人だけで、狭くてボロボロのビルの中で必死に撮影とパソコン作業を繰り返していました。でもね、そんな激務の中で本当に救いだったのが、私の自宅から事務所まで歩いて5、6分だったんですけど、妻がみんなの分の夜食を作ってよく届けてくれたことなんです。

 

―― 奥様が夜食を届けてくださっていたんですか。

 

加納 そうなんですよ。『体は大丈夫?』って心配しながら、カレーライスとかハンバーグを事務所まで持ってきてくれてね。あの温かい夜食があったからこそ、私たちも「よし、もう一踏ん張り頑張ろう」って、深夜の作業を乗り越えられたんだと思います。あの頃の事務所の体温というか、みんなで必死に前を向いていた空気感は、今でも忘れられませんね。

 

「何者でもない人」が、信じられることで覚醒していくおもしろさ

―― 創業期を乗り越え、現在は70名を超える組織へと成長されていますが、加納さんの元で働くスタッフの皆さんの成長エピソードが非常に印象的です。

 

加納 本当に、みんなの成長していく姿を見るのが何より楽しいし、私も刺激を受けて成長しようと思えるので素晴らしいと思います! 例えば、今うちの撮影課で課長をやっている女性がいるんです。彼女は会社ができて1ヶ月後くらいに入社してくれたんですけど、面接に来たときは緊張しちゃって、ほとんど喋れなかったんですよ。紹介者の人が横から「彼女はこういう人で……」って説明してくれるくらい大人しい子で、最初は「本当に大丈夫かな」と思ったんです。でも、今や彼女が課長として、私や部長がいない時でも朝礼でみんなを引っ張る存在になっていて。人って環境次第でこんなに劇的に変わるんだって、本当に驚かされますね。

 

―― 面接で喋れなかった方が、今や朝礼を仕切る課長に。本当にすごい変化ですね。

 

加納 あともう一人、もともとパティシエをやっていた女性で、彼女はパソコンなんて触ったこともなかったんです。いざ仕事を始めてみたら、彼女の撮影のスピードが圧倒的に早くて、新しいことを吸収する力がすごかった。パソコンもすぐに覚えてね。今では時計チームの事実上の責任者としてバリバリ活躍してくれています。

 

―― パソコン未経験だった女性が、今やチームの責任者に。なぜそこまでスタッフの皆さんが生き生きと成長できるのでしょうか。

 

加納 特別な教育プログラムがあるわけじゃないんです。ただ、私が意識しているのは「嫌われないようにする」というか、できるだけみんなの要望や声をすくい上げて、叶えてあげることなんです。業務に支障がなくて、お客様に迷惑がかからない範囲であれば、基本的には何でも承諾するスタンスをとっています。

 

―― 具体的にはどのような要望を形にしてこられたのですか?

 

加納 例えば『仕事中に音楽を聴きながら作業したい』と言われればイヤホンでの作業を許可したり、社内専用のWi-Fiを引いてほしい、ウォーターサーバーが欲しい、といった日常の細かい意見から、年間の休日数を少しずつ増やしたり。6ヵ月に1回、パートさんも含めて全員と面談して「こうしてほしい」という意見を直接聞いて、改善できるものはすぐ実現できるようにしています。やっぱり、自分が大切にされている、自分の声が届いているっていう安心感があるからこそ、みんな伸び伸びと自分の力を発揮して、驚くような成長を見せてくれるんじゃないかと思いますね。

 

周りに「やめてくれ」と言われても、ワクワクを止めない

―― 足元をしっかり固めてスタッフが安心できる環境を作りつつも、加納さんご自身はまだまだ「やりたいこと」が尽きないとお聞きしました。

 

加納 そうなんですよ! もう、やりたいことがたくさんあって、私が小出しにして新しい構想を話すたびに、スタッフからは「加納さん、もうやめてください!」って止められます(笑)。「まずは足元を固めてください、人が足りないんだから!」って怒られるんですけど、やっぱり新しいことをやるのって本当に面白いじゃないですか。

 

―― 今はどのような構想を温めているのですか?

 

加納 今取り組んでいる販売事業を大きくした上で、アメリカに自社の物流拠点を作って送料の最適化を図りたいなとか。あとは、便利でデザイン性の高い海外製の日用品の日本独占販売権をメーカーと交渉して取って、日本のクラウドファンディングでテストマーケティングしながら広めていく輸入ビジネスもやりたいですね。さらに別拠点では、撮影が不要で教育コストもかからない、メーカーから仕入れてAmazonで販売するような日用品の物販事業も展開したいな、と考えています。

 

―― 輸出から輸入、そして新しい物流の仕組みまで、本当に少年のように目を輝かせてお話しされますね。

 

加納 失敗を恐れて現状維持で終わるより、毎日「次は何を仕掛けようか」ってワクワクしながら仕事をする方が、人生絶対に楽しいですからね。スタッフには毎回「加納さん、またですか」って顔をされますけど、体制をちゃんと整えつつ、自分のワクワクを少しずつ小出しにして、これからもみんなと一緒に新しい挑戦を続けていきたいと思っています。

ワンロックエントランス

強引な仲間からの「会社を作って」という“無茶振り”の流れに身を任せ、覚悟を決めて再び人を信じた結果、そこでは何者でもなかった人たちが劇的に開花し、お互いを支え合う温かい居場所が生まれていました。

整った環境や綺麗なキャリアプランだけが、働く意味をくれるわけではない。

目の前の人を信じ抜き、失敗さえも愛しながら、「次のワクワク」を追い求め続ける。そんな大人のカッコいい生き様が、ワンロックという会社には確かに息づいていました。

この記事を書いた人

小川藍

小川藍

新卒2年目。大学での心理学の学びがきっかけで、「人の心を動かす」ことに興味を持ち、求人業界に飛び込む。「人と企業を結ぶ採用支援」に魅力を感じ日々営業活動中。「あなただから頼みたい」そう言っていただける営業を目指し、日々営業中。

営業

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