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南口 豊伸 氏
株式会社ニューテック
代表取締役社長
(みなみぐち とよのぶ)/ 高卒後、メーカー勤務やプロゴルファー志望、多額の借金を背負うなどの挫折と回り道を経験。一念発起して飛び込んだ通信営業の世界で「なんとかする力」を発揮し、わずか10ヶ月で日本一に。その後、独学で工事技術を習得し、2000年に同社を設立。「男は稼げ」という熱い信念のもと、営業の推進力と確かな技術力を併せ持つハイブリッドな視点で、社員の未来と顧客の利益を追求し続けている。
愛知県名古屋市名東区に拠点を構え、愛知県内の企業様を中心とした通信機器やネットワークインフラの構築から保守までをワンストップで手がけている、株式会社ニューテックの代表取締役である南口豊伸氏。若き日の大きな挫折や多額の借金、知識が全くのゼロの状態からの独立、そして会社が軌道に乗りかけた矢先の社員の大量離職など、決して順風満帆とは言えない波乱万丈な軌跡をもがき生き抜いてきた南口社長の言葉には、働く意味を見失いかけている私たちの背中を力強く押してくれるような、リアルな体温が宿っていました。
何者かになりたくて、気づけば借金300万。どん底から学んだ「真っ当な道」
ーーニューテックを立ち上げられる前のご経歴からじっくりとお聞きしたいのですが、昔から通信機器やネットワークといった分野に強い興味をお持ちだったのでしょうか。
南口:通信やネットワーク機器に対する興味なんて当時の僕には全くといっていいほどありませんでした。若い頃って自分が本当にやりたいことが見つからなくてフラフラしていた時期が長くあったんです。ただ、僕らの時代って「男はしっかりと稼いで女を守れ」みたいな風潮が根強く残っていたので、成り上がりたいという野心だけはいつもベースにあったような気がします。でも、実際にどうやって成り上がればいいのかその方法すら分からなくて、高校を卒業してからはメーカーに入って板金工場で働いたり、プロゴルファーになりたいと言い出して試験を受けたり、世界中を飛び回るのがかっこいいからと添乗員をやったり、とにかく「一発当て大きくするぞ」と漠然と思いながら様々なことに手を出していました。
ーー本当に多種多様なご経験をされてきたのだと驚きましたが、そのような全く異なる業界での経験から、一体どうやって現在の通信系のビジネスへと繋がっていくことになったのでしょうか。
南口:いろいろと手を出した末に、当時の友人から誘われてネットワークビジネスを始めることになったのですが、年収6000万円になるという夢をかけて必死に活動したものの、蓋を開けてみたら結局マイナス300万円という多額の借金を背負って終わってしまったんです。その時まだ22歳という若さでしたが、ネットワークビジネスの華やかな表彰式で役職者として花束をもらう機会がありまして、周りから「仕事ができそう」とチヤホヤされながらみんなの前に立っている時に、ふと「あ、俺って最低な人間だな」と自分の現状に気づいてしまったんですよね。ずっと仕事ができる風に調子にのっていただけで、実際には金利が10何パーセントもする借金を抱えて毎月15万円を返済する生活をしていて、ただ見せかけだけを取り繕っていたことに愕然としました。同年代の大学生たちがちょうど卒業して社会に出ていくタイミングで、「このままだとろくな大人にならないかもしれない」「本気で一歩間違えたら闇金に手を出してしまうかも」と、そこで初めて強烈な劣等感と自分の人生に対する大きな焦りを感じたんです。
ーー若くして多額の借金と強烈な焦りや劣等感を抱えてしまったどん底の状態から、一体どのようなきっかけがあって、真っ当なビジネスの世界へと足を踏み入れて再起を図る決意をされたのでしょうか。
南口:本当に究極の劣等感を感じて腐っていた時期に、当時の親友が求人情報誌をポンと渡してくれて、「意外と営業とかやった方がいいんじゃないの」と声をかけてくれたんです。その求人広告のフレーズに「サラリーマンではなく、ビジネスマンになる」と書いてあって、当時の僕にはそれが妙にスコーンと頭に入ってきて、「なんかそっちの真っ当な道で本当に死ぬ気で頑張ってちゃんと答えを出さないとダメかも」と強く思いました。それで通信系の営業会社に入社して、1日100件の飛び込み営業を始めることになったのですが、最初は全く結果が出なくて、2週間で1000件飛び込んでも見事にタコ(成果ゼロ)のままでした。同期入社の他の同僚は2週間くらいですぐに初オーダーを取ってきているのに僕だけが結果を出せず、「意外とちゃんと働こうと思ったけど、俺は真っ当な道でもダメなのかな」と金山駅で思わず涙が出てきて、足が止まってしまったこともありました。
ーー心が折れかけて足が止まってしまった状態から、一体どのようにして初オーダーを獲得し、最終的に会社で日本一と呼ばれるまでの圧倒的な営業成績を残すに至ったのでしょうか。
南口:それまでのいろんな失敗もあるし、そもそも毎月の借金を返済しなければならない背水の陣だったので、とにかくもう一回黙って100件飛び込もうと決意して歩き始めました。そうしたら11日目の夕方に、名東区にある不動産会社から電話がかかってきて、それが僕にとっての忘れられない初オーダーになったんです。そこから一気に弾みがついて、以前旅行業界にいた頃のツテを活かして組合の会長さんに気に入られ、組合員全員に導入してもらうなどの大きな案件が次々と決まり、入社わずか3ヶ月で名古屋で1位になることができました。その後すぐに「東京へ行くか」と上司に声をかけてもらって上京し、そこから7ヶ月後には会社全体で日本一の成績を収めるまでになり、「やればできるんだ」ということを実体験できたおかげで、入社して数年で当時の借金もすべて綺麗に返すことができました。
知識ゼロでも「やります」。道を拓いたのは、後から必死にもがく「なんとかする力」
ーーそこから独立を果たして会社を立ち上げることになりますが、元々営業出身の南口社長は、法人のネットワーク構築に必要な技術的な知識をどのようにして身につけられたのでしょうか。
南口:東京で働いていた会社が突然無くなってしまって、知り合いの商社から「電話の通話料金が安くなるアダプターを設置する仕事を直でやってよ」と持ちかけられたのが独立のきっかけのようなものでした。最初は個人宅にアダプターを首から下げてピンポンと訪問していたのですが、ふと「法人を相手にすれば回線がいくつもあるから、一気に何倍も稼げるんじゃないか」と気づいたんです。でも、法人向けの配線や工事の知識なんて全くなかったので、過去にお付き合いのあった工事会社の社長にお願いして、「お金はいらないからうちの工事を手伝わせてほしい」と頼み込み、1軒1500円という安い交通費だけで現場を回りながら、独学で必死に技術を覚えていきました。
ーー法人向けの技術的な知識が全くない状態であったにも関わらず、まずは利益を度外視して現場に飛び込み、実地で技術を習得していかれたというその並外れた行動力と覚悟が本当にすごいと感じます。
南口:会社を立ち上げたばかりの頃なんて、電話交換機やネットワークに関する知識なんてほとんどなくて、必要な技術の10のうちの0.5くらいしか持っていない状態でスタートしてしまっているんです。でも、仕事がない時期にお客さんから「これやっといて」と言われたら、とりあえずその場で「あざす!」と言って元気よく仕事を受けてしまうんですよね。で、会社に帰ってから冷静になって「やべえ、やり方全然わかんねえじゃん」と頭を抱えるわけですが、自分の提示した金額でOKが出ちゃっているし、こんな駆け出しの私にわざわざ仕事を振ってくれたお客さんの期待には絶対に応えたいと思うじゃないですか。だから、必死こいて関連資料を調べたり、知っている人に聞きまくったりして、どうしようと喚き散らしながらも、最後は必ず「なんとかする力」で形にしてきたんです。
ーー知識がないままに仕事を引き受けて後から必死に帳尻を合わせるという、その必死な姿勢が、結果的に多くのお客様からの強い信頼と現在の事業基盤に繋がっていったわけですね。
南口:そうですね、知識や技術がなくても、なんとかしようとする熱意と脳みそさえあれば、とりあえず売り上げを作ること自体は可能なんですよ。未だに若い社員から「学校に行って資格の勉強をしようと思う」と相談されたら、「学校なんか行く暇があるなら、先に仕事を獲得してこい」と厳しくアドバイスしています。先に仕事を決めてお客様からお金をもらうという逃げられない状況を作ってしまえば、人間は嫌でも一番必死に勉強して知識を吸収しますからね。ただ、売り上げは作れてもそれだけでは外注費がかさんで自社に粗利が残らないので、自分たちで調べて勉強し、技術の幅を広げていくことで初めて利益率が高くなるのだということに、最近ようやく言語化して気づくことができました。
「男は稼げ」の真意。自社で技術を持つからこそ、お客さんに綺麗事が言える
ーー御社は順調に成長を遂げられていますが、過去には社員が一気に23人も辞めてしまったという大変な時期があったとお聞きしました。
南口:会社を設立して6期目で、ようやく売上が1億円の大台に乗るかというタイミングだったのですが、当時僕がものすごいスピードで金沢、町田、新宿と次々に拠点を立ち上げていて、その強引な推進力に社員たちがついてこれなくなってしまい、一気に愛想を尽かされて全員辞めてしまったんです。正直、その時はプライドもズタズタで、「一回会社を清算して、またフリーランスに戻って車でも売りながらのんびりやろうかな」と本気で会社を畳むことを考えていました。でも、創業の時からずっと一緒にやってきてくれた事務員さんが「私はまだここにいるぞ」という顔をしていつも通り出社してきたのを見て、「あ、この人がいる以上は社長として簡単に辞めるなんて言えないな」と思いとどまり、なんとか踏ん張って今に至るという感じです。
ーー大量離職という大きな困難を乗り越えてこられたわけですが、南口社長がそこまで強く「自社で技術を持つこと」にこだわるようになった背景には、一体どのような強い思いが隠されているのでしょうか。
南口:きっかけは営業時代に、職人さんがちょっとしたお願いを断って怒って帰ってしまうような、対応の悪い工事屋をたくさん見てきて、「俺が工事屋だったらもっとうまく立ち回って、営業が喜ぶような仕事をするのに」とずっと思っていたことですね。だから、自分が技術を持って工事屋に回ることで、営業さんが安心して数字を取ってこられるように手厚く援護射撃をしてあげるのが、自社にとっての最大の営業戦略になると思ったんです。あと、少し言い方は古臭いかもしれませんが、僕はやっぱり「男は稼げ」と今の若い子たちに改めてストレートに伝えていきたいんですよ。ただ単に売り上げを作ればいいというわけではなくて、自社でしっかりと技術を持ち、利益を出せる経営基盤があるからこそ、お客さんに対して無理な押し売りをしない「綺麗事」がちゃんと言えるようになるんです。
ーー利益を出せる基盤があるからこそ綺麗事が言えるというのは、実際の現場において、具体的にお客様とどのように向き合い、どのような提案ができるということなのでしょうか。
南口:普通の営業会社だと、どうしても会社の目標数字を達成しなければならないから、実はお客様にとって必要のない高いパソコンであっても無理に売らなきゃいけない場面が出てくるじゃないですか。でも、うちは工事屋として機器の設定や保守の作業でしっかりとお金がいただける仕組みを作っているから、無理に物を売って利益を上乗せする必要が全くないんです。お客さんが新しいパソコンを欲しがったら、「じゃあウェブで一緒に、コストに見合う一番いいスペックのやつを探して買おうよ。ただ、設定とか分からないことだけ手間賃としてお金ちょうだいね」と誠実に言えるんです。必要なところにだけ必要なお金を落としてもらえばいいと真っ直ぐに言えるのは、自社にしっかりとした独自の稼ぎの基盤があって変に利益を貪る必要がないからで、手前味噌ですが、うちの自社客になってくれる方は一番無駄のない付き合いができる幸せ者だと本気で思っています。
肉体労働の先にある未来。55歳からの新しい居場所をつくるという使命
ーーお客様との誠実な関係構築について大変よく理解できました。最後に、南口社長がこれから見据えている会社の未来や、次世代に向けて新しく取り組もうとしていることについて教えていただけますか。
南口:実は、これから先の未来に向けたすごくホットな新しい構想があるんですよ。この通信インフラという業界はどうしてもブルーカラーな肉体労働の側面があるので、僕自身が50代半ばになって老いを感じるのと同じように、現場の第一線で毎日脚立に登って働いている技術者たちも、5年後や10年後に「いつまでこんな肉体労働を続けられるんだろう」と絶対に将来への不安を感じるはずなんです。だから、55歳以上限定で募集をかけて、長年現場で汗を流して働いてきたベテラン技術者たちが第一線を退いてもこれまでの知識を活かして活躍できる、「サポート側」の新しい居場所を本格的に作ろうと考えています。
ーーサポート側の新しい居場所というのは、具体的にどのような業務を担う仕組みを想定されているのでしょうか。
南口:この構想の本質は、単に工事の枠組みを超えて、IT業界に携わるすべての人の「わずらわしさ」を解消することにあります。そもそもお客様にとって、ITインフラの相談先は非常に分かりにくいものです。だからこそ、現場の技術者や営業担当に相談が集中し、結果として施工現場を疲弊させているという負の連鎖がありました。
そこで、その「ファースト部分」を一手に引き受ける窓口機能を確立させるんです。お客様の相談の「聞き役」としてしっかり耳を傾け、必要な対応を振り分ける。これこそが、業界全体の無駄を省き、お客様も現場も幸せになれる道だと確信しています。もちろん、その要となるのは、長年現場で培った知見を持つベテランたちです。彼らが第一線を退いてもその知識を活かして活躍し、IT業界に携わる誰もがストレスなく仕事に向き合える環境を作る。その挑戦こそが、私たちのこれからの使命です。

綺麗に整えられたマニュアルや耳障りの良いビジョンを掲げるだけでは会社という組織は決して回らないという現実を、数々の修羅場を乗り越えてきた南口社長の言葉が強く証明しています。一緒に働く仲間や顧客への不器用なほどの愛情が滲むその背中は、働く意味に迷う私たちに「がむしゃらでもいいから、まずは一歩を踏み出してみて」と力強く語りかけているようでした。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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