「すべてを受け入れる」不器用な跡取りが、10年の理不尽を越えて見つけた働く意味

「すべてを受け入れる」不器用な跡取りが、10年の理不尽を越えて見つけた働く意味

松岡 純司氏

松岡 純司氏

株式会社ミディック

代表取締役

(まつおか・じゅんじ)/大学卒業後、関東の工務店に就職するも自身の甘さから半年でクビに。その後、親戚の電気工事会社や東京の同業他社で「全てを受け入れる」と覚悟を決め、大工見習いから修行をやり直す。28歳で家業のミディックへ入社。約10年間に及ぶ古参社員との見えない壁や理不尽な衝突にも逃げずに向き合い続け、平成30年に3代目社長に就任。現在は社員から「じゅんちゃん」と慕われる、人間味あふれる温かいリーダー。

愛知県名古屋市に拠点を置き、清水建設などの大手ゼネコンと共に、病院や学校、オフィスビルなどの木工事や造作家具工事を手掛ける株式会社ミディック。創業から75年目を迎えるこの老舗企業を率いるのは、3代目代表取締役の松岡純司社長。

社員たちから「じゅんちゃん」と親しみを込めて呼ばれる温厚な人柄の松岡社長ですが、現在の柔和な笑顔の裏には、自身の甘さから逃げずに向き合った挫折の経験と、後継者ゆえの分厚い壁にぶつかり続けた泥臭い10年間がありました。「働く意味」や「人間関係」に漠然とした悩みを抱える20代〜30代の読者に向けて、ご自身の生々しい失敗談から次世代へ懸ける熱い思いまで、飾らない言葉で語っていただきました。

 

「頑張ればできる」という甘えからの転落と再起

 

ーー松岡社長がミディックに入社されるまでの経緯からお伺いしてもよろしいでしょうか。大学卒業後、すぐにお父様の会社を継がれたわけではないとお聞きしました。

 

松岡社長(以下、松岡): 私は現在3代目になるのですが、大学時代は建築とはまったく関係のない勉強をしており、自分が継ぐことなど深くは考えていませんでした。いよいよ就職という時期になって、初めて父と『将来的に自分がやったほうがいいのかな』という話をしたんです。父は昔から『好きなことをやればいい』と言ってくれていたのですが、やはり社内でも息子が継ぐのが自然だという声があり、私自身も『それならちゃんとやらなきゃな』と思い至りました。ただ、最初から親の会社に入っても何も分からない状態からのスタートになってしまうため、まずは自分で探した関東の工務店に就職をしました。でも、あまり美しい話ではないのでこれまであまり語ってきませんでしたが、当時の私は全く通用しなくて、なんと半年でクビになってしまったんです。

 

ーー入社してわずか半年で、ですか。当時はどのような状況だったのでしょうか。

 

松岡:本当に失敗ばっかりで、自分でも『こんなにできないと思わなかった』と痛感する日々でした。今思えば、それまでの私は厳しさも何も経験せず、何も考えずに生きてきたわけです。初めて入った会社で散々しごかれて、怒られて。若かった私はそこでちょっと反抗して喧嘩になってしまい、『お前なんかいなきゃ辞めていけ』と言われ、『じゃあ辞めてやる』と飛び出してしまったというのが実態です。当時の自分は『頑張ればなんとかなるだろう』と甘く考えていたのですが、専門的な知識もない中で空回りしてしまい、完全に挫折してしまいました。

 

ーーそこからどのようにして、再び建築の世界で立ち直っていかれたのですか。

 

松岡: 一人暮らしでお金もなくなってしまい、親にもクビになったとは言えず、いよいよやばいなと。結局、親に頭を下げて、遠い親戚がやっている電気系の工事会社で拾ってもらうことになりました。その会社に入った時、『これ以上は絶対に失敗できない』と自分の中で覚悟を決めたんです。とにかく言われることは全部受け入れてやろうと。そこから2年半ほど勤めさせていただき、その後、父の縁で東京にある同業の会社を紹介してもらい、大工の見習いとしてゼロから現場に入り直すことになりました。

現場の職人さんからすれば、『どこぞの跡取りか知らんけど、めんどくせえのが来たな』という顔ですよね。最初は『とりあえずその辺を片付けとけ』というところからの始まりでした。でも、職人さんって一生懸命やるとちゃんと見ていてくれるんです。『掃除しろ』と言われたら、もう部屋をピカピカにして『そこまでやらんでいい』と言われるくらい徹底的にやりました。そうやって必死に食らいついているうちに、『そんなにやる気があるなら、俺たちがどんなことやってるのか教えてやるよ』と少しずつ現場の仕事を任せてもらえるようになっていったんです。

 

 

「跡取り」ゆえの分厚い壁と、理不尽を受け入れた10年

 

ーーご自身のお父様の会社に入られてから、社内の人間関係などで壁を感じることはありましたか。

 

松岡: それはもう、最初の10年くらいは壁だらけというか、みんななんとなく遠巻きに見ている状態でしたよ。大工さんたちも『次期社長になるらしいが、どういうやつなんだ』と探り探りで。入社してすぐ、ハイエースの荷台に乗せられて居酒屋に連れて行かれ、『お前はどういう風にやっていくつもりなんだ』と一種の面接みたいな飲み会がありました。私はお酒が強くないのですが、職人さんたちは本当に強くて、ひたすら飲まされてフラフラになることも多々ありましたね(笑)。

ただ、本当に辛かったのは、そういったコミュニケーションを自分から取ろうとしても、社員たちがなかなか本音を言ってくれず、不満を溜め込んである日突然キレられることが何度もあったことです。ある時、事務員さんのパソコンのマウスが壊れてしまったので、不在だった工事担当者のマウスを一時的に借りて『これ使ってやって』と渡したことがありました。すると後からその担当者が猛烈に怒ってきて、『俺のマウスだぞ!』とものすごい剣幕で詰め寄られたんです。

 

ーーそこまで怒られてしまうのですか。

 

松岡: そうなんです。『すぐ買ってきます、ごめんなさい!』と謝っても全く収まらなくて。でも、後から冷静に考えると、彼はマウスを取られたことに怒っていたわけではないんですよね。私が跡取りとして入ってきたことへの得体の知れない反発心や、『こいつに使われる気はない』といった色々な感情が溜まりに溜まって、マウスの件が引き金になって爆発したんだと思います。そういう理不尽とも思える出来事が、入社からの数年間は幾度となくありました。

 

ーーそうした理不尽な怒りをぶつけられた時、松岡社長はどのように向き合っていたのでしょうか。

 

松岡: 私がただの同僚のサラリーマンであれば、殴り合いの喧嘩をして『お前ちょっと話そうぜ』とぶつかり合うことで、かえって友情が育まれたり、関係性が深まったりする可能性もあったかもしれません。しかし、私は将来社長になる立場の人間です。私がそこで対等になって怒ってしまったり、偉そうに言い返したりしてしまえば、彼らにはもう逃げ場がなくなってしまう。だから、『この壁を乗り越えるには、自分が怒りを飲み込んで全部受け入れるしかないんだな』と悟りました。

理不尽に怒られても、とにかく謝って、コミュニケーションを重ねて、一個一個自分に対する見えない壁を取り外していく。その繰り返しでしたね。社員たちから『じゅんちゃん』と親しみを込めて呼ばれ、私の言うことならやってやろうと思ってもらえるようになったのは、本当にここ10年くらいのことです。45歳くらいになって、ようやく本当の意味で受け入れてもらえたなと感じられるようになりました。

 

 

形に残る仕事の誇りと、若者への温かい眼差し

 

ーー人間関係の葛藤を乗り越えながら、松岡社長がこの建築・造作という仕事の中で「やりがい」や「働く意味」を感じるのはどのような瞬間ですか。

 

松岡:私たちの仕事は、建物の中の木工事や造作家具を作り上げる、目に見えて形に残る仕事です。私が20代後半の頃、名古屋市内にある500人や600人もの職人が入るような巨大な病院の現場に携わりました。当時、何にもできない私は材料を運んでばかりいたのですが、ある日『朝礼で事業主の挨拶をやってこい』と無茶振りをされ、何百人もの前で足がすくみながらマイクを握らされたことを今でも鮮明に覚えています。

実はその病院、今でも私が毎年人間ドックを受けに行っている場所なんです。自分が携わった大きな建物に20年以上経ってから足を踏み入れると、『あの時、ここで一生懸命頑張ったな』という誇りや思い出が蘇ってきます。自分の子供や若い人たちにも『これは俺たちが作ったんだよ』と胸を張って言える。厳しい時期もありますが、建物が出来上がって地図に残り、人々の記憶に残る瞬間を迎えるたびに、この仕事を選んで本当に良かったなと心から思えますね。

 

ーー今の仕事に漠然とした不満を持ち、なんとなく転職を考えている人も多いと思います。ご自身の経験から、若手ビジネスパーソンに伝えたいメッセージはありますか。

 

松岡: 今は転職していくのが当たり前の世の中だと言われますし、やりたいことが明確にあって夢を追うための転職なら、私は全力で応援します。でも、若い人たちの話を聞いていると、『仕事がつまらない』『あの人が嫌だ』といったネガティブな理由で辞めてしまう人が非常に多いように感じます。厳しいようですが、どんな会社に行っても必ず嫌な人はいますし、全員が自分のことを好きでいてくれる環境なんて絶対にありません。

私自身、20代の頃に年下の先輩からアゴで使われて雑用を押し付けられ、悔しくてたまらない思いをした経験があります。だからこそ、理不尽に耐える辛さは痛いほど分かります。でも、なんとなく嫌だからという理由で辞めてしまうと、次の職場でも必ず同じようにつまずいてしまうんです。せっかく縁があって入った会社なのだから、まずは自分が納得できるまで、歯を食いしばって頑張ってみてほしい。そこで踏ん張った経験は、後になって必ず自分の人生の糧になると信じています。

 

 

親心と、次世代へ繋ぐ覚悟

 

ーー最後に、今後のミディックの展望についてお聞かせください。息子さんも先日、同じ建築業界の道に進まれたそうですね。

 

松岡: ええ、本当に驚きました。息子はずっと学校の先生になるために教育系の大学に通っていたので、私もてっきり教員になるものだとばかり思っていたんです。それが大学3年の終わりに突然、『先生にはいつでもなれる資格を取るけれど、新卒で一般企業に入れるのは今しかない。親父がやっている建築の仕事もやってみたい』と言って、自分で勝手に建築会社の求人を見つけて内定をもらってきたんです。しかも、たまたま私が参加している経営者の勉強会でご一緒している社長さんの会社で(笑)。親としては不安もありますが、私の背中を見て同じ道を選んでくれたことは素直に嬉しかったですね。

 

ーー息子さんがいずれ跡を継ぐかもしれないという未来が見えたことで、松岡社長ご自身の心境や会社への向き合い方に変化はありましたか。

 

松岡: 強烈な『自分ごと』として、会社を変革しなければならないという覚悟が決まりましたね。父の時代から私の時代までは、清水建設さんという一流のゼネコンと一緒になって、がむしゃらに良いものを作っていれば食べていける時代でした。しかし、これからの日本は人口が減少し、昔のように大きな建物がバンバン建つ時代ではありません。今までと同じ『一本足打法』のやり方だけでは、到底立ち行かなくなるという危機感を強く抱いています。

少なくとも、10年後に息子が帰ってきた時に、潰れそうな会社を継がせるわけには絶対にいきません。だからこそ、息子や次の世代があまり苦労しなくて済むように、今のうちに新しい取引先を開拓し、独自の強みを持った会社へと土台を整えていかなければならないと本気で考えています。今は利益を出すのも本当に厳しい時代で、銀行にお願いに回ったりと苦しいことばかりですが、次世代のために、私自身がもう一度泥臭く挑戦し続ける背中を見せていきたいと思っています。

 

 

「頑張ればなんとかなる」という自信が打ち砕かれ、家業に戻れば理不尽な怒りをぶつけられる。松岡社長の20〜30代は、決してスマートなものではありませんでした。

職場の壁に直面すると、つい「環境のせい」にしてリセットしたくなります。しかし社長は逃げずに泥臭く向き合い、「すべてを受け入れる」不器用な道を選びました。信頼関係を築くまでの10年という歳月が、いまのミディックの「温かい体温」を生んでいます。

かつて誰よりも悩み、這い上がってきた人生の先輩からのエールが、「このままでいいのかな」と夜に一人モヤモヤする誰かの背中を、少しでも押せたら嬉しいです。

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

営業

このライターの記事をもっと見る →

他の記事を読む

堅実な基盤を守りながら、AIを使った新しい構想も。「今のままでいいのかな」と立ち止まる夜に読みたい、手探りだけど前に進む大人のインタビュー

堅実な基盤を守りながら、AIを使った新しい構想も。「今のままでいいのかな」と立ち止まる夜に読みたい、手探りだけど前に進む大人のインタビュー

愛知県で働く20〜30代の「このままでいいのかな」と悩む読者に向け、働く人たちの体温やリアルな手触りが伝わるインタビューをお届けするツムログ愛知。今回お話を伺ったのは、愛知県内でビルメンテナンス事業を展開する株式会社シス […]

ビルメンテナンス業 不動産管理業 名古屋市千種区
「お金にならない気遣いこそがサービスの根幹だ」 極めて本質的な仕事のあり方 ――株式会社リフォーション

「お金にならない気遣いこそがサービスの根幹だ」 極めて本質的な仕事のあり方 ――株式会社リフォーション

愛知県を中心に、住宅設備や省エネ機器、そしてオール浄水器の販売から施工までを手掛ける株式会社リフォーション。代表取締役を務める浅井さんは、18歳で職人の世界に飛び込み、現場での経験と猛烈な営業時代を経て、自らの会社を立ち […]

リフォーム・内装工 名古屋市西区 建設業
「嫌がる仕事の中に、仕事はある。」“まず行ってみる”を積み重ねてきた、持たざる者の仕事術

「嫌がる仕事の中に、仕事はある。」“まず行ってみる”を積み重ねてきた、持たざる者の仕事術

「うちの仕事って、同業が嫌がる仕事が多いんですよ。」   そう笑いながら話すのは、株式会社ケイズエコロジーテクニカルの代表・太田啓介社長です。設備清掃、産業廃棄物処理、リサイクル、リユースなど、事業内容だけを見 […]

名古屋市天白区 清掃スタッフ 産廃処理