「ブルーカラーが一番稼ぐ世の中に」どん底から這い上がった鉄骨屋社長が語る、街の風景を創る仕事の圧倒的な誇り

「ブルーカラーが一番稼ぐ世の中に」どん底から這い上がった鉄骨屋社長が語る、街の風景を創る仕事の圧倒的な誇り

服部 浩昭  氏

服部 浩昭 氏

株式会社服部鉄工所

代表取締役社長

(はっとり・ひろあき)/専門学校卒業後、設計会社や喫茶店でのアルバイトを経て、21歳で祖父が創業し実父ら兄弟4人が営む鉄骨製作会社へ入社。「叩き上げ」の職人として溶接の奥深さとものづくりの楽しさに目覚める。44歳で赤字続きだった同社を引き継ぎ、財務改善や新規開拓によりV字回復を達成。現在は60歳。「ブルーカラーの価値を高めたい」という信念を持ち、業界の構造変化に挑みながら次世代へバトンを繋いでいる。

 

名古屋市内で長年にわたり鉄骨加工業を営む株式会社服部鉄工所の代表取締役社長である服部浩昭氏は、業界全体が「リーマンショック以上」とも言われる厳しい逆風の中にあっても、現場で汗をかく人間への深いリスペクトを忘れません。

今回は、キャリアに迷い「働くことの意味」を見失いがちな世代に向けて、服部社長がどのようにして今の場所に行き着き、モノづくりの圧倒的な誇りを見出していったのか、そのリアルな手触りをお伺いしました。

 

消去法で選んだ道。それでも7割の人間が「モノづくり」にハマる理由

――服部社長は現在祖父様が創業された会社を引き継いで社長としてご活躍されていますが、そもそもどのような経緯でこちらの服部鉄工所に入社して働くことになったのでしょうか。

 

服部 うちの祖父が男4人と女2人の6人兄弟で、男4人揃ってこの鉄骨の仕事をやっていればなんとか家族全員が食っていけるだろうということで始めた会社で、もともとはバリバリの家族経営企業としてスタートしたという背景があるんですよね。私自身は若い頃はやっぱり手を汚して油や匂いにまみれて働く現場仕事が嫌で仕方がなく、高校を卒業してからはこれからはコンピューターの時代だと思って専門学校に行ったものの、肌に合わずにすぐ辞めてしまいました。

当時のコンピューターは全部キーボードで打ってスペルをひとつでも間違えたら全く動かないような代物で、その間違いをずっと自分で探さなきゃいけない時代だったので、こんなこと俺はようやらん!と思ってほとんど学校には行かなくなりました。

 

――コンピューターの道に挫折された後は、どのような生活を送りながらご自身の進むべき将来の道や仕事のやりがいを模索されていたのでしょうか。

 

服部 その頃は自分が学生時代にアルバイトをしていた喫茶店を作ってくれた設計会社に潜り込んで図面を引くような仕事をしていて、そっちの仕事がどんどん面白くなって時間が取られるようになっていったんです。ですが、その間に子供を授かって結婚することになり、当時のアルバイト程度の給料ではとてもじゃないけど生活できないという強烈な現実に直面して、どうしても稼がなければならない状況に追い込まれました。設計会社の社長からはうちの会社に来いと言われたんですが、初任給が10万円程度でとてもじゃないけどこれでは家族を食わせてはいけないと思い、それなら実家の鉄骨工場に入って仕事をするのが一番安全で手っ取り早いだろうと、消去法のような形で家業に入ることになりました。

 

――最初は消去法で仕方なく入った現場仕事とのことですが、実際に作業着を着て油まみれの工場で働いてみて、ご自身の感情や仕事に対する向き合い方に何か変化は生まれましたか。

 

服部 若い時は働くのが嫌だ嫌だと思って始めた仕事ではありましたが、実際にこの鉄骨を作る仕事をやってみると、だいたい70パーセントぐらいの人はモノが出来上がっていく過程が楽しくて深くハマっていくんだということがはっきりと分かりました。建築工事の中で地面の上で一番最初に仕事をするのはうちの業界で、基礎屋さんが地面の下を作って準備してくれた何もない空間に、ドーンと我々が作った巨大な骨組みが立ち上がっていく姿を見るのは半端ない達成感がありますね。

 

何もない空間に骨組みを立ち上げる圧倒的な達成感

――何もない空間に自分たちが手がけた巨大な骨組みが一番最初に立ち上がって姿を現すというのは、毎日パソコンの前で仕事をしているだけではなかなか味わえない根源的なやりがいがありそうですね。

 

服部 鉄骨を作るのも決して簡単なことではなくて、図面を見ることを覚えて実際に作っていくんだけど、特に溶接なんてめちゃめちゃ奥が深くて、やってもやってもなかなか思い通りにいかない厳しくて果てしない職人の世界なんです。お面を被って強い光の中で作業をするんだけど、金属が溶けてくっついていくところがはっきりと見えて、超音波検査で中身の密度までしっかりとチェックされるから、ただ表面の見た目がくっついているだけじゃ決して誤魔化せない厳しい仕事なんです。うちの仕事は工場の中でただ物が流れてくるのをちょこちょこってやるような単調な作業ではなくて、全部が一品もののオーダーメイドだからこそ、自分で作り上げたという達成感がすごくて、設計事務所の人たちが体験しに来ると意外と楽しんで帰っていくんですよ。

 

――そうした厳しい職人の世界に身を置いて技術を磨いてきた中で、これまでに携わったお仕事の中でご自身の記憶に一番強く残っているエピソードがあればぜひ教えていただけますか。

 

服部 30代の頃の話ですが、名古屋のテレビ塔の横にあったビルの屋上に大きな看板がかかっていて、その看板の巨大な骨組みをうちの工場で作って、夜中にクレーンで吊り上げて建てるという大掛かりな仕事をやったことがあるんです。当時は毎日夕方の7時の時報の直前に、テレビ塔の向こう側に設置されたカメラの映像が数秒間だけテレビに映し出されていたんだけど、そこに自分たちが汗水流して作った看板の骨組みがバッチリ映っているのを見るのが毎日の密かな楽しみでした。毎日その時間になると身内や周りの仲間に『ちょっと公共放送を見てみろ、あの看板は俺たちでやったんだぞ』って自慢していたくらいで、やっぱり自分が手がけたものが地図や街の風景として残り続けるっていうのは、それだけの誇りを持てる仕事なんですよね。

 

隙間風に震えたどん底の赤字時代。

――ご自身の仕事に誇りを持ちながら現場で叩き上げてこられた服部社長ですが、44歳の時に先代であるお父様たちから会社を引き継いで社長に就任された当時は、決して順風満帆なスタートではなかったとお聞きしました。

 

服部 社長になった2011年頃は本当にあまり良い年ではなくて、会社の経営が全く上手くいかず赤字続きのどん底の状態で、先代の社長や役員たちから『もうダメだ、お前がやってけ』と半ば投げ出されるようにして引き継いだので、本当に会社を回していけるのかと不安で夜も眠れない日々が続きましたね。当時の会社は利益を出せる体質になっていなくて、仕事自体は細々とやっていたけれどずっと赤字続きだったから、自分が引き継いだからには何としても立て直さなければならないと必死に会社の数字と向き合いました。

 

――赤字の会社を引き継いで経営を立て直していく過酷な過程で、特に社長ご自身が精神的にも肉体的にも一番大変だったと感じたのはどのような出来事だったのでしょうか。

 

服部 当時はどんぶり勘定だったものをちゃんと財務諸表をつけて分析できるように変えていったんですけど、何より辛かったのは当時の事務所が古くて、冬になると足元から容赦なく隙間風が入ってくるから毛布を被りながら仕事をしなきゃいけなかったことです。寒いうえにハウスダストがひどくて咳がずっと止まらなくなってしまい、このままだといつか自分が死んで会社も崩れてしまうと本気で危機感を覚えて、なんとか利益を出して若い子が入ってきても恥ずかしくない綺麗な事務所を作り直そうと必死に頑張って立て直してきました。

 

ブルーカラーが一番稼ぐ世の中に。すぐ辞める若者を否定しない「仮入社」の生存戦略

――現在、建設業界や鉄骨加工業を取り巻く環境は戦争による投資控えや価格競争の影響で「リーマンショック以上」と言われるほど厳しい状況にあるとのことですが、その背景にはどのような構造的な問題が潜んでいるのでしょうか。

 

服部 世間では慢性的な人手不足で建築費が高騰していると言われていますが、鋼材の値段が上がっても我々の加工賃は全く上がらず、逆に鋼材が下がるとそれに合わせて加工賃まで下げられてしまうという、大きな商社との力関係のせいで利益が出ない構造に陥っているんです。

背に腹は代えられないから利益が出るか出ないかギリギリの安い仕事でも受けざるを得ない業者が増えていて、社員の給料を上げないと人が来てくれない時代なのに、給料を上げれば経営が苦しくなるという強烈なジレンマの中でみんなが苦しみながらなんとか耐え凌いでいます。

 

――そうした厳しい逆風が吹く斜陽産業とも言われる環境の中で、これからの時代を担う若い世代を採用し、育てていくために、服部鉄工所として新しく取り組もうと考えていることや柔軟なアイデアはありますか。

 

服部 最近の若い子たちはすぐ辞めると世間ではよく言われますが、それを逆手にとって、例えば1日とか2週間の仮入社みたいな感じで試しに入ってもらい、合わなければすぐに辞めてもいいというオープンな文化を作れないかと本気で考えているところです。入ったら辞めちゃダメだよと縛り付けるのではなく、軽い気持ちで体験してみて、この会社の雰囲気が良いなと思ったら3ヶ月続けてみる、という風に入り口を広くすれば、我々も採用できる人と出会うチャンスがもっと増えるんじゃないかと思うんですよね。

 

――若者が気軽に入りやすい環境を整えると同時に、同業者間で仕事をシェアしたり、新しい生き残りの形を積極的に模索されているお姿がとても印象的で心強く感じます。

 

服部 昔と同じことをやっていても建物が建たなくなる時代が来るのは見えているから、他の工場とネットワークを組んで人材や仕事をシェアするような繋がりを作ったりなど色々な仕掛けを考えています。私は昔からずっと言い続けているんだけど、現場で汗をかいて実際にモノを作っているブルーカラーの人たちが、ホワイトカラーの人たちよりも給料が安いという世の中の仕組みは絶対におかしいと強い憤りと共に本気で思っているんです。彼らが現場で汗をかいてモノを作ってくれるからこそ売る人たちも仕事ができるわけで、日本国内で汗をかく人間がしっかりと稼いで消費できる世の中にしていかないと、いずれ必ず経済が破綻してしまうと強い危機感を持っています。

街中で客引きをやっているお兄ちゃんたちに『根性ありそうだからうちで働かないか』と声をかけることもあるんだけど、その瞬間の時給だけを見ればそっちの方が良いかもしれないけれど、長く続けて技術を身につければ将来しっかり稼げるようになるのがこの仕事の良さです。だからこそ、我々の業界は体力的にはきつくて大変そうに見えるかもしれないけれど、自分でモノを作り上げる達成感はすごいし、何より一生懸命やれば年を取った時にしっかりと稼げるようになる仕事なんだということを、迷っている若い子たちに知ってほしいですね。

 

服部鉄工所の職場風景

効率化やスマートな働き方がもてはやされる今の時代だからこそ、パソコンの画面と睨めっこしながら「自分の仕事は誰の役に立っているのだろう」と立ち止まってしまった夜には、ぜひこのインタビューを思い出してほしいと思います。 服部鉄工所のように泥臭く、しかし圧倒的な熱量と体温を持って「街の風景を創る仕事」に挑み続ける大人たちの存在は、私たちに「働くことの根源的な手触りや喜び」を確かに思い出させてくれるのではないでしょうか。

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

営業

このライターの記事をもっと見る →

他の記事を読む

「何に繋がるか分からない仕事」のすべてが、いつか自分の武器になる。失敗を恐れず、小さくても一歩を踏み出す勇気を

「何に繋がるか分からない仕事」のすべてが、いつか自分の武器になる。失敗を恐れず、小さくても一歩を踏み出す勇気を

  アメリカ留学を経て大手食品専門商社の香港支社の営業職から、30歳を機に「畑違い」の家業へ戻り、どうやって会社の危機を救うことになったのか。「人生の点と点が繋がる瞬間」や「失敗を恐れない圧倒的な器の広さ」につ […]

名古屋市守山区 技能工 施工管理
チヤホヤされた20代、気づけば借金まみれ。強烈な劣等感が、本気の覚悟に変わるまで

チヤホヤされた20代、気づけば借金まみれ。強烈な劣等感が、本気の覚悟に変わるまで

  愛知県名古屋市名東区に拠点を構え、愛知県内の企業様を中心とした通信機器やネットワークインフラの構築から保守までをワンストップで手がけている、株式会社ニューテックの代表取締役である南口豊伸氏。若き日の大きな挫 […]

IT・通信 ネットワーク構築 名古屋市名東区
「お金主義で働くのではない。まず純粋に人のことを思い、突き詰める」現場一筋で会社を引っ張ってきた社長の葛藤

「お金主義で働くのではない。まず純粋に人のことを思い、突き詰める」現場一筋で会社を引っ張ってきた社長の葛藤

創業期の「1日8件の現場を回り、夜中1時まで寝る間もなくがむしゃらに働いた」という怒涛の日々から、社員10名ほどの規模になった今抱える経営者としてのリアルな葛藤、そして新しい市場を見据える、これからの挑戦までをお伺いしま […]

リフォーム リフォーム・内装工 内装工事