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佐川 元規 氏
協新企業株式会社
代表取締役
(さがわ もとのり)/ 愛知県出身。プロスポーツ選手を夢見るも挫折し大学を中退。21歳でゼネコンの現場監督として修行を積み、職人を「アスリート」とリスペクトし働く喜びに目覚める。2006年に協新企業へ入社、2018年に代表取締役就任。「仲間と村を作る」という高校時代の夢を実現させ、同級生たちと共にグループを牽引。M&Aや外国人実習生の受け入れなど、徹底して「人」と向き合う経営を行う。趣味はゴルフ。
愛知県名古屋市中区、名古屋の中心エリアに本社を構える協新企業株式会社は、建設業の中でも「とび職」をメインに手掛ける歴史ある企業です。法人設立からは約65年ですが、ルーツである「石井組」の創業から数えれば、間もなく100年の節目を迎えます。代表取締役を務める佐川元規社長は、3代目の経営者として会社を牽引しながら、グループ会社の拡大や外国人技能実習生の受け入れなど、新しい挑戦を次々と形にしています。
しかし、そのキャリアは決して最初から順風満帆に敷かれたレールの上を歩んできたわけではありませんでした。20代前半の何者にもなれない焦燥感、泥にまみれて職人たちとぶつかり合った修行時代、そして反発し合いながらも心から認められたかった亡き父への思い。「このままでいいのかな」と立ち止まりそうになる夜にこそ触れてほしい、佐川社長の働くことのリアルな体温をお届けします。
勉強よりもお金を稼ぐことを学びたかった。何者かになれなかった20代前半の焦燥感
ーーもともと佐川社長は、学生の頃からお父様の会社を継ぐと決めていらっしゃったのでしょうか?
佐川社長(以下、佐川):いや、当時は自分がやりたいことをやって、最終的には土下座してでも会社にお願いすればいいやって、どこかで甘く考えていたのが本音です。子供の頃は絶対にスポーツ選手になりたいと思っていて、中学・高校とバスケをやっていたんですが、1つのことが継続できなくて色んなことに手を出してしまって、結局それで飯が食えるレベルには到達しませんでした。
親からは『大学ぐらいは出ておかないといけない』と強く言われて大阪の大学に進学したんですが、僕自身は勉強が好きではなくて、むしろ『自分でお金を稼ぐことを学びたい』という気持ちの方が強かったんですよね。集団行動もものすごく苦手で、親から『こうしろ』と言われることに対して反発したいという反骨精神みたいなものがどうしても抜けきれなくて。
それで大学も休学して最終的には辞めてしまい、大阪で自分で色々と興味のあることにチャレンジしてみたものの、どれも中途半端に終わってしまいました。21歳ぐらいになって、同級生たちが順番に大学を卒業して社会に出ていく年齢になった時、『自分も本当にちゃんと何をするか考えないといけないな』と、強烈な焦燥感に駆られて名古屋に戻る決心をしました。
現場はグラウンドで、職人はアスリート。逆風の中で見つけた「働く面白さ」
ーー名古屋に戻られてからは、すぐに協新企業に入社されたのですか?
佐川:最初は実家の会社で職人として現場に出るつもりだったんですが、当時親父が大手スーパーゼネコンの大所長さんに僕の話をしてくれたみたいで、大手スーパーゼネコンの名古屋支店で現場監督として預かってもらえることになりました。初出勤の日は2000年の9月11日、あの『東海豪雨』で名古屋中が水没した日で、今でも鮮明に覚えています。そこから2006年まで、僕の修行時代が始まりました。
周りの社員さんたちは当然学歴もあって建築の知識もある中で、僕は知識も経験もゼロからのスタートでした。現場では1年生でも現場監督として職人たちに指示を出さなければいけませんから、職長と呼ばれるトップの人たちからは『あいつは使えない』と毎日言われていましたね。
でも、知識がなくても物事の段取りや準備の大切さは分かってくるので、とにかく職人が働きやすい環境を作る努力だけは必死にやりました。実際に現場で仕事をしてくれる職人たちに見放されたら自分の存在意義はないと思っていましたし、将来的には親の会社を継ぐことを見据えると、職人たちと対峙してコミュニケーションを取る時間が何よりも大事だと感じていたんです。
ーー厳しい環境の中でも、そこまで仕事に没頭できた原動力は何だったのでしょうか?
佐川:やっぱり、ものづくりそのものが面白かったんですよね。僕の中では、現場というものはスポーツのグラウンドと同じで、そこで働く職人たちはアスリートのように見えていて、すごくリスペクトできる存在だったんです。とび職って、高いところで仕事をしていて理屈抜きにかっこいいじゃないですか。
当時の労働環境は、残業代もつかないような状態でものすごく過酷でしたし、夜の24時過ぎまで毎日現場で働いていましたが、それでも僕にとっては人生で一番頑張った『最高の時間』だったと胸を張って言えます。20代の自由が利く時期にとにかく真面目に頑張った経験は、30代、40代になって間違いなく自分の財産として生きてくるのだと、身をもって学びました。
気の合う仲間と働きたい。同級生たちと「村」を作る30代からの挑戦
ーー2006年に協新企業に戻られてから、社長の心境や仕事への向き合い方に変化はありましたか?
佐川:実家の会社に戻ってからの30代前半は、正直ちょっとサボっていた時期もありました(笑)。20代の頃は土日も夜も仕事で全く行けなかったゴルフにハマってしまって、親父へのマウントを取るためにも必死に練習していました。ただ、35歳ぐらいの時にリーマンショックの影響などで仕事が激減する時期があって、それまで大手スーパーゼネコンの仕事に100%依存していた状況に強い危機感を覚えるようになったんです。
そこから、その他のゼネコンさんへも必死に顔を出して営業を開拓していくようになりました。実はその時、僕の高校時代の『友達と一緒に仕事をして、一つの村を作りたい』という子供みたいな夢が少しずつ形になり始めたんです。
現在、協新企業の協力業者には中学生の同級生がいたり、新しく作った技能実習生の組合会社にも同級生がいたり、仕事をもらっている大手ハウスメーカーの中にも高校の同級生が2人いたりします。本来、気が合わない人とはあえて一緒に仕事をしたくないじゃないですか。当然お金が絡むので一歩間違えれば大事故に繋がる難しさもあるんですが、そこを上手にバランスを取りながら、好きな仲間と一緒に仕事をして生きていく感覚が、僕にとってはものすごく面白いし幸せなことなんです。
褒められたかった不器用な親子関係と、「人」と向き合う経営のリアル
ーーお父様と一緒に働く中で、ぶつかり合うことや葛藤などはなかったのでしょうか?
佐川:親父とはお互いB型同士ということもあって、意見が食い違っていつも言い合ってばかりで、一度も仲の良いきれいな親子関係になったことはありませんでした。親父を何とか見返したくて、認められたくて必死に頑張っていた部分は大きいです。
例えば仕事を取ってきたり、会社の利益を上げたりした時に、ただ一言『ようやったな』って言われたくて頑張っていたんだと思います。接待のゴルフで一緒になっても親子喧嘩をしてしまって、お客さんに気を遣わせるような最悪な状況もありましたけど、今思えばそうやって言いたいことを言い合えているうちが華だったんですよね。
親父は4年前のお盆に、大動脈解離という病気で本当に突然亡くなってしまいました。病院で弱っていく姿を見ることもなく、元気な人のまま急にいなくなってしまったので、最初の3年間は本当にしんどくて、徐々に現実を受け入れられるようになるまで時間がかかりました。
ーー社長に就任されてから、経営者として最も大切にされていることは何ですか?
佐川:結局のところ、僕らの仕事は『人』でしかないんですよ。材料やロボットが建物を建てるわけじゃなくて、現場で人がものを作って納める仕事ですから。今年の1月にも新しくM&Aで会社をグループに迎えたんですが、最初は全社員12名と一人ひとり個別に面談をして、『今までこうだったけど今後はどうなるんですか』といった不安や不満に泥臭く向き合い続けました。その結果、半年以上経った今でも誰一人辞めずに残ってくれているのは本当に嬉しいことです。
ただ、この仕事で唯一、そして一番嫌いなのが『現場での怪我』です。事務所で仕事をしていて命を落とすことはありませんが、現場ではリアルにその危険性が伴います。だからこそ、新しく入ってきてくれる若い子たちのためにも、少しでも怪我のない、より安全で働きやすい環境をどうやって作っていくかが、僕にとって一番重たい経営課題であり、ずっと考え続けていかなければならない使命だと思っています。
ーー最後に、キャリアに悩む20〜30代の読者へメッセージをお願いします。
佐川:もし今の自分のままでいいのかと悩んでいて、何をしていいか分からないなら、一度海外に行ってみるなど、日本以外の違う環境を見る時間を作ってみるのがいいと思います。今ある当たり前の環境から飛び出して違う文化に触れることは、自分を客観視するためのすごく良い刺激になりますから。
今の若い子たちは、ドラマに出てくるみたいに本当に性格が優しくて、ツンケンして生きてきた僕からするとすごく羨ましいし、憧れる部分でもあるんです。だから僕自身も、昔のトゲトゲした自分から少しずつ変わっていきたいと思って、いろんな人とコミュニケーションを取るチャレンジを今でも続けています。
人生はどんな経験をして、どういうジャッジをしていくかの連続です。失敗してもいいから、まずは自分から動いて、誰かと関わりながら人間関係を作っていく。そういう地道な作業の先にこそ、良い仲間と一緒に楽しく生きていけるハッピーな未来が待っているんじゃないかと思っています。

「このままでいいのかな」と迷ったとき、私たちはつい立派な目標を探してしまいます。しかし、佐川社長のキャリアは「集団行動が苦手」という人間臭いスタートでした。焦りもがいた20代を経て、現場の怒号の中で働く喜びに熱狂し、30代で同級生たちと「村」を作る。そこには綺麗な成功法則にはない、生々しい「働く体温」がありました。
「結局、僕らの仕事は『人』でしかないんですよ」
効率が重視される時代に、あえて人とぶつかり合う佐川社長の生き様。働く意味を見失いそうな夜は、無理に大きな夢を探すより、まずは目の前の人と少しだけ本音で関わってみる。明日からの働き方を少し変えたくなるような、温かいエネルギーをもらえる取材でした。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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