「過去の成功体験が通用しない」――かつての武器をへし折られた4代目社長が、数字を追うだけの“膨張”を捨てて見つけた「体温のある組織」とその軌跡。

「過去の成功体験が通用しない」――かつての武器をへし折られた4代目社長が、数字を追うだけの“膨張”を捨てて見つけた「体温のある組織」とその軌跡。

高木 智英氏

高木 智英氏

株式会社タカギスチール

代表取締役社長

(たかぎ ともひで)/IT企業で4年間の修行(システム開発会社でのセールスエンジニア)を経た後、家業であるタカギスチールへ入社。「社長の息子」というプレッシャーの中、豊橋営業所での飛び込み営業など泥臭い現場を経験。リーマンショック後の業績回復を牽引し、2014年に4代目社長へ就任。過去の成功体験が通用しなかったコロナ禍の挫折を機に、社員と共に理念を再構築。現在は80周年に向けた組織づくりと、社員の人生(プライベート)にも寄り添う経営を実践中。

 

愛知県で長年にわたり事業を展開し、間もなく創業80周年という大きな節目を迎えようとしている老舗企業、株式会社タカギスチール。長い歴史の中で培ってきた確かな顧客基盤を持ちながらも、決して現状に満足することなく、常に時代に合わせて会社を変化させ続けている。今回インタビューに応じていただいたのは、先代からバトンを受け継ぎ、2014年に4代目として代表取締役社長に就任された高木智英氏である。IT企業での修行期間を経て、20代という若さで実家である家業へと飛び込んだ高木社長の道のりは、決して平坦なものではなかった。「社長の息子」という周囲からのプレッシャーと戦いながら泥臭く営業で走り回った20代、そしてリーマンショックの危機を気合いで乗り越えた強烈な成功体験。しかし、その自らの最大の武器であったはずの過去の成功体験が全く通用しなくなってしまった、コロナ禍における非常に深い挫折の経験が彼を待ち受けていた。本記事では、トップダウンで数字を追い求めるだけの「膨張」から、社員一人ひとりの人生に寄り添う「体温のある組織」へと会社を生まれ変わらせてきた一人の経営者の軌跡に迫っていく。

 

「社長の息子」へのプレッシャーと、がむしゃらに駆け抜けた20代

 

——本日はよろしくお願いいたします。まずは、高木社長がタカギスチールに入社されるまでの経緯や、入社当時の社内の雰囲気などについて、詳しく教えていただけますでしょうか。

 

高木社長(以下、高木):はい、よろしくお願いします。私は最初から家業に入ったわけではなくて、最初は、携帯電話の中に入っているシステムやアプリの開発ツールなんかを手がけていたIT企業で4年間ほど修行をさせてもらっていました。その後、実家であるタカギスチールに入社したのが2006年のことですね。私が入社した当時のタカギスチールは、社員数が15人前後といった規模感の中小企業でした。やっぱりそういう規模の会社に「社長の息子が入ってきたぞ」となると、社内の雰囲気があまり良くなかったというか、独特の緊張感やプレッシャーみたいなものは強く感じていましたね。周りの社員から自分がどう見られているかというのも痛いほどわかっていましたし、名刺上の肩書きは平社員であっても、結局は「社長の息子」として特別視されるわけですから、そこに打ち勝つためには必死でやるしかないという覚悟はありました。

 

——なるほど、「社長の息子」という見られ方をされる中で、ご自身を証明していくための戦いがあったのですね。入社後はどのような業務からスタートされたのでしょうか。

 

高木:豊橋営業所に配属されて、そこからはもう完全に泥臭い営業の毎日でした。当時は今みたいに洗練された営業手法があったわけではなくて、タウンページや工場便覧みたいな分厚いリストを買ってきて、それを見ながらひたすら電話をかけて飛び込み営業をするというスタイルです。門前払いされることも多かったですし、苦労もたくさんありましたが、自分としてはその泥臭いアプローチが結構面白かったというか、やりがいを感じていた部分もありました。

 

——当時、特に印象に残っている出来事や、会社にとっての大きなターニングポイントになったようなエピソードがあれば教えてください。

 

高木:やっぱり一番大きかったのはリーマンショックの時期ですね。世の中全体がそうでしたが、うちの会社も業績的にかなり悲惨な状況に追い込まれました。ただ、そこからV字回復をさせるために、本当にめちゃくちゃやったんですよ。「ブラック450」という独自のプロジェクトを立ち上げて、4ヶ月連続で売上5000万円を絶対に達成するという、今思えばかなり過酷な目標を営業メンバーに課しました。当時は会社の存続がかかっていましたから、給与も一時的に落として、「この目標を達成できたら元に戻そう」という約束をして、全員で死に物狂いで営業に走り回りましたね。

 

 

リーマンショックという過酷な状況を振り返る高木社長の表情には、大変だった当時を懐かしむような充実感が入り混じっているように見受けられた。未曾有の危機を前にして、会社を守るために全社員が一丸となって走り続けた日々は、間違いなく高木社長の強烈な原体験となっている。しかし、その「死に物狂いの努力」がもたらした結果について、現在の高木社長は非常に冷静かつ客観的な視点で分析をしているのだ。組織の土台が固まらないまま、がむしゃらに数字だけを追い求めた結果として得られたものは、果たして本当の意味での「成長」と呼べるものだったのだろうか。

 

 

高木:あの時期は肉体的にも精神的にも本当に大変だったんですが、実はすごく楽しかったという側面もあるんです。仕事もお客様も十分ではない中で、会社に行ってみんなで一つの目標に向かって熱狂しながら走るというのは、ある種の興奮状態でした。ただ、振り返ってみると、あの時の会社は「成長」というよりも、単に売上だけが上がった「膨張」に近い状態だったんだなと今になって思います。組織としての基盤がしっかり固まる前に、気合いと根性だけで数字を作ってしまったというか。それでも、あの時に「何が何でも売ってくる」という強烈な成功体験を積めたことは、その後の自分にとって揺るぎない自信になったことは間違いありません。

 

過去の成功体験がへし折られたコロナ禍での深い挫折

 

——その後、2014年に正式に社長に就任され、順調に業績を伸ばしていく中で、今度はコロナショックという新たな危機が訪れます。当時の状況はいかがでしたか。

 

高木:社長になってからは着実に売上も伸びていたし、自分なりに会社をうまく回せているという自負もありました。でも、私にとって本当の意味で一番苦しくて、経営者としての深い挫折を味わったのは、間違いなくコロナショックの時でした。過去のリーマンショックの時は「とにかく足で稼ぐ」「飛び込みでも何でもやってやる」という強引な方法で乗り切れたし、それが自分の強烈な成功体験として染み付いていたんです。でも、コロナの時はその「過去の成功体験」が全く使えませんでした。得意だったはずの訪問営業に行っても、お客様から「来ないでくれ」と嫌がられる時代になってしまって、自分の人生で初めて「営業に行けなくて本当に苦しい」と本気で思いましたからね。

 

——ご自身の最大の武器だった「足で稼ぐ営業」が否定されてしまったことで、経営の舵取りも非常に難しかったのではないでしょうか。

 

高木:そうなんですよ。リーマンショックの時は赤字といっても1000万円程度の知れた額だったんですが、コロナの時は売上が10億強の規模から8億円へ一気に2〜3割も減ってしまって、4000万円ぐらいの大きな赤字を出してしまったんです。昔、私がまだ現場のトップだった頃なら、「お前ら、とにかく売ってこい!」と力技で旗振りをすれば、なんとかみんなが動いてくれた部分もありました。でも、いざ社長という立場になってみると、そういう精神論だけでは会社は動かせないし、通用しないという現実を突きつけられました。

 

自身の成功体験が全く通用しないという現実は、20代から30代にかけて積み上げてきた自信を根底から揺るがす残酷なものであったに違いない。毎年恒例として大切にしてきた全社員でのキックオフミーティングや懇親会も、2020年は直前になって苦渋の決断で中止せざるを得なかったという。トップとして何もできないもどかしさと先が見えない不安を抱えながらも、この絶望的な挫折があったからこそ、経営者としての転機が訪れることとなる。高木社長は「過去の自分を捨てる」という大きな決断を下し、会社全体を新たなステージへと導くための組織改革へと踏み出していくのだ。

 

高木:あの時は本当に悔しい思いをしましたし、社長として何もできない自分への不甲斐なさでいっぱいでした。でも、その時に痛感したんです。時代が変われば、過去の成功体験に引きずられちゃ絶対にダメなんだと。自分が過去にどれだけ上手くやったかどうかなんて、今の時代には何の関係もない。自分自身と、会社のあり方そのものを根底からアップデートしなければならないと、本当に心の底から思わされました。

 

数字を追うだけのトップダウンから、理念を共有する「体温のある組織」へ

 

——その強烈な挫折体験を経て、会社や社長ご自身のマネジメントに対する考え方はどのように変化していったのでしょうか。

 

高木:昔の私は、良くも悪くも自分が先頭に立って引っ張り、とにかく売上という数字を追いかけるトップダウン型のスタイルでした。でも、コロナを経て、それだけでは組織として脆いということに気付いたんです。そこで、社員と一緒に会社のあり方や進むべき方向を考えるようにシフトしていきました。ちょうど会社が70周年を迎えたタイミングで理念研修というものを実施して、マンダラチャートを使って社員全員で会社の理念を一から作り直したんです。例えば、今の私たちの指針となっている「インストア シェアNo.1 」という言葉や、「挑戦・チャレンジ精神」といったキーワードも、私から押し付けたものではなく、社員たち自身の口から出てきたものをまとめていったものなんですよ。

 

——社長ご自身がトップダウンで決めるのではなく、社員の皆さんの声を拾い上げて言語化していったプロセスが素晴らしいですね。

 

高木:昔なら私が一人で考えて全部決めてしまっていたかもしれませんが、みんなで話し合って言語化していくプロセスを踏んだことで、本当の意味での「会社のカラー」というものが社内にしっかりと根付いてきたなと感じています。お客様に寄り添う姿勢や、長くお付き合いをさせていただくことを大切にする文化は昔からありましたが、それを明文化したことで、社員一人ひとりが自分ごととして捉えられるようになったのは非常に大きな変化でしたね。

 

数字という無機質な目標だけを追う「膨張」の時代を終え、タカギスチールは社員の声を取り入れた「体温のある組織」へと確実に生まれ変わりつつある。その象徴とも言えるのが、社員全員でマンダラチャートを作成し、自分たちのなりたい企業ビジョンを自分たちで創らせたことだ。 これは、業務上の目標だけでなく個人のプライベートに関する目標も赤裸々に共有するというユニークな取り組みである。会社が社員に対して、単なる労働力を提供する存在としてではなく、一人の人間としての人生そのものに正面から向き合おうとしている姿勢がはっきりと伝わってくる。

 

——仕事の目標だけでなく、プライベートの目標もマンダラチャートや個人の年間目標で共有されているというのは、非常にユニークな取り組みだと感じました。

 

高木:そうですね。チームごとに分かれてディスカッションし、仕事のことだけじゃなくプライベートの目標も全員に書いてもらっています。例えば「今年は体重を何キロ落とす」とか、「家族とこういう時間を過ごす」とか、そういう個人の人生に関わる部分も含めて共有し合っているんです。もちろん、どうしても見せたくないプライベートな部分は黒塗りにして提出しても構わないというルールにはしていますが(笑)。でも、会社って単に利益を追求して給料を払うだけの無機質な場所ではなくて、社員の人生そのものに向き合っていく必要があると本気で考えるようになったんです。有給休暇の取得日数もこの2年間でかなり増えましたし、健康経営という部分にも力を入れるようになりました。来年は休日を121日にしようとか、そういった環境整備にも真剣に取り組んでいます。

 

完璧じゃない。次世代の幹部育成という現在進行形の悩み

 

——過去の挫折を乗り越え、社員とともに歩む組織へと変化を遂げてきたタカギスチールですが、最後に、80周年に向けた未来への展望と、現在抱えられている課題について教えてください。

 

高木:80周年に向けては、売上30億円という明確な数字の目標を掲げていて、そこに向けて既存顧客との関係性をより深めていくクロスアップの施策や、新規開拓、さらには東京進出なんかも見据えながら動いています。ただ、会社としての今のリアルな悩みは、次世代の幹部候補をどう育成していくかという一点に尽きますね。私と現在の幹部のすぐ下にあたる層の人材をどうやって育てていくか。ここは本当に現在進行形で悩んでいて、答えがすぐに出るようなものではありません。

 

——組織が次のステージへ進むための、まさに産みの苦しみといったところでしょうか。

 

高木:おっしゃる通りです。昔みたいに気合いと根性だけで乗り切れる時代ではないですし、過去の成功体験が通用しないことは私自身が一番よくわかっていますから。だからこそ、社員一人ひとりの声にしっかりと耳を傾けながら、どうやって会社として次のステップへ進んでいくかを模索し続けるしかありません。まだまだ完璧な会社とは言えないですし、課題も山積みですが、これからも泥臭く挑戦を続けていきたいと思っています。

 

幹部育成という次なる大きな壁を前にして、社長自身が「まだ明確な答えは出ていない」と率直に語る姿が非常に印象的であった。かつてのようにトップダウンで強引に組織を引き上げるのではなく、社員の人生そのものに向き合いながら、一緒に手探りで進んでいく道を選んだタカギスチール。そこには、綺麗に整えられた都合の良いサクセスストーリーなどではなく、悩みや葛藤を抱えながらも泥臭く前に進み続けるリアルな大人の姿があった。

 

 

20代の頃にがむしゃらに働き、自分なりの「仕事の勝ちパターン」を手に入れた。しかし、ある日突然、その武器が全く通用しなくなる。高木社長が赤裸々に語ってくれたコロナ禍での深い挫折エピソードは、一通りの仕事を覚え、「自分のキャリア、このままでいいのかな」と立ち止まりがちな20代後半〜30代の読者にとって、非常に身につまされるリアルな話だったのではないでしょうか。

インタビュー中、高木社長は当時の熱狂を「あれは成長ではなく、単なる売上の膨張だった」と冷静に振り返り、現在進行形の課題である次世代の幹部育成についても「答えはすぐに出ないし、今も悩んでいる」と等身大の言葉で語ってくれました。完璧なビジョンを掲げてトップダウンで引っ張るカリスマ経営者も確かに魅力的ですが、自分の弱さや過去の失敗を素直に認め、社員のプライベートな目標(体重を減らす、など!)まで共有しながら泥臭く進んでいく。そんな不器用だけれど間違いなく「体温のある大人」がトップにいるタカギスチールという会社に、人間らしい温かさと安心感を覚えました。

会社は数字を作るだけの無機質なツールではなく、血の通った人たちが集まり、悩みながら生きていく場所である。働くことのそんな泥臭い面白さを、静かに思い出させてくれる取材でした。

この記事を書いた人

宗宮彰良

宗宮彰良

ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。

営業

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