10人中9人がAを選んでも、自分はBを選べ。20歳で起業したリーダーが語る、自分に誠実な働き方――クレイジーゼロ株式会社
目次
森田 結人氏
クレイジーゼロ株式会社
代表
(もりた ゆうと)/愛知県の半田高校を卒業後、名古屋市立大学へ進学。大学1年次からテントメーカーで長期インターンに飛び込み、社長直下で営業からインドでの海外業務まで経験する。2021年、大学を休学し20歳で起業。動画制作を皮切りにSNSマーケティング事業を展開し、現在は20代を中心とした正社員・インターン合わせて約40名の組織を牽引。幼少期に建築家の祖父の背中を見て育ち、「ゼロからモノをつくる」ことへの憧れが行動力の原点となっている。
若手起業家と聞くと、どこか遠い世界でスマートに成功を収めている「自分とは違う世界の天才」のようなイメージを持たれがちです。しかし、2021年に20歳という若さで起業し、現在は20代を中心とした約40名の組織を牽引する森田結人さんの歩んできた道のりは、私たちが想像する以上に泥臭くて人間味に溢れたものでした。インドの熱量に圧倒されて流した悔し涙、学生気分の延長での無謀な営業活動による失敗、そして初期メンバーとの涙の決別など、決して綺麗事だけではないリアルな経験が今の彼を形作っています。「自分に対して誠実であること」を組織の根底に据え、次世代のために熱狂できる場を作ろうと奔走する森田さんの言葉には、ルーティンワークに埋没しがちな私たちが忘れかけていた「働くことの体温」を呼び覚ます確かな熱量がありました。
地図に残る仕事への憧れと、飛び込んだ「カバン持ち」の日々
——最初に御社の事業内容と、現在働いていらっしゃる従業員数についてお聞きしてもよろしいでしょうか。
森田代表(以下、森田):現在の主な事業内容はSNSマーケティングや動画制作でして、社員数で言うと正社員が12人、大学生のインターンが25人ほどの合計40名弱のメンバーが入り混じって働いています。インターン生でもお客様とのやり取りや打ち合わせに参加するなど、社員のサポートのもと現場の最前線で経験を積んでもらっていて、大学1年生から長期インターンとして入ってそのまま新卒で入社するケースも非常に多いですね。
——中日新聞の記事でも拝見したのですが、起業を志したきっかけには建築家だったお祖父様の影響が大きかったとお聞きしました。何歳くらいから「起業」を目指されていたのでしょうか。
森田:中学校の卒業文集に将来の夢として「起業家」と書いていたくらいなので、その頃からずっと漠然と起業については意識していましたね。実家の隣に建築家だったおじいちゃんの家があり、幼少期から仕事をしている姿を間近で見ていたのが大きくて、ドライブの最中に「これ俺が設計したやつなんだよ」と大型の店舗やスーパー銭湯などを指さして教えてくれるのがすごくかっこよかったんです。地図に残るような、ゼロイチで何かを作り上げる仕事ってすごいなとシンプルに憧れていたんですが、設計のソフトや緻密な計算の本を見た時に自分にはこれは無理だなと思い、より広くいろいろなものを作れる起業家という道に惹かれていきました。
——大学へ進学されてから、かなり早い段階で長期インターンを始められたとお聞きしていますが、それはどのような経緯だったのでしょうか。
森田:自分はもともと名古屋大学を目指していたものの入学が叶わず、名古屋市立大学に進学した経緯があり、経営者になるうえで大事なのは、どの大学に行くかよりも大学で何をするかだと考えていました。そんな中で大学1年生の時に先輩から長期インターンというものがあるからやってみないかと誘われ、テントなどを扱っている中小企業で2年間、60歳くらいの社長に毎日べったりくっついてカバン持ちのようなことから始めさせてもらったんです。面接という面接もなく、何人かでご飯を食べに行った時にやるかと聞かれて「やります」と即答したノリで始まったインターンでしたが、社長が決算書を持って銀行に行く時から経営者の方々との会食まで全部同行させてもらって、本当におじいちゃんと孫のような関係で可愛がってもらいました。
——実際のインターン先では、具体的にどのようなお仕事を経験されていたのでしょうか。
森田:最初はホームページの記事を書いてお客様から問い合わせが来たら対応するというマーケティング系の業務から始まりましたが、次第にお客様からこういうものを作ってほしいと言われたら手書きで図面を書いて業者さんに発注するような業務も任されるようになりました。納品されたテントをメジャーで検品して梱包して発送したり、見積もりを作ってテレアポをしたりと、本当に現場の泥臭い営業としての仕事をゼロから全部教えてもらいました。
インドのハングリー精神に打ちのめされ、帰国後に流した悔し涙
——インターン期間中に、19歳という若さでインドに行かれた経験があるとお聞きしましたが、現地ではどのようなことをされていたのでしょうか。
森田:その会社が海外事業も有していた関係でインドへ1ヶ月弱ほど行かせてもらうことになり、現地の大学でのリクルーティングと販売先の開拓というミッションを与えられました。現地に行って私たちが「日本のテントの技術を届けたい」とプレゼンすると、現地の学生たちがグイグイ詰め寄ってきて「お前は日本人か、じゃあ俺が考えたこのシステムを日本で売ってくれ」と猛烈にアピールしてくるんです。日本の同年代とは全く違うハングリー精神と熱量を目の当たりにして、ただただ「すげぇな…」と圧倒されて自分の無力さを痛感しました。
——19歳でインドに行くというだけでもすごい経験ですが、そこでの経験がご自身のターニングポイントになった部分もあったのでしょうか。
森田:19歳でインドに行かせてもらうなんてかなり珍しいことだったので、少し調子に乗っていた部分もあったんだと思います。現地の交渉力や人脈づくりも全くできず、与えられたミッションに対して全然成果を出せないまま帰国することになったんですが、帰国後にインターン先の先輩からめちゃくちゃ怒られたんです。「お前が行っている間も案件が止まるわけじゃない。代わりにやってくれている人たちがいるのに、その感謝もなく海外に遊びに行ったような態度をとっているのはどうなんだ」と。
——かなり厳しいお言葉ですが、その時はどのように受け止められたのでしょうか。
森田:自分としてはそんなつもりはなかったんですが、無力さや情けなさ、そして自分の不甲斐なさが一気に込み上げてきて、インターン先で悔しくて大泣きしてしまいました。ただ、ラーメン屋で独立しようと思ったら絶対にどこかで修行をするように、起業するならどこかで厳しい修行が必要だと思っていたので、ここで諦めて辞めようとは思いませんでしたね。むしろ、この悔しさをバネにしてまだまだ自分には学ぶべきことがたくさんあるんだと、現実を見させてもらえる非常に良い機会になったと今では思っています。
学生気分での営業と、大クレームから学んだ「謝罪」の重み
——そこから20歳で独立起業されるわけですが、最初はテレビ局の方からお仕事をいただいたのがきっかけだったとお聞きしました。
森田:大学でビジネスコンテストなどに出場していたものの、学生が考えたビジネスなんて正直どうしようもないものばかりで、プレゼンは評価されても実際に儲かるような現実的な事業にはなかなかならなかったんです。そんな時にテレビ局の元社員で映画プロデューサーをやっている方とお会いする機会があり、私のやる気や熱意だけを買ってくれて、イベントのYouTube配信の仕事を50万円の予算で任せてもらったのが一番最初のスタートでした。
——最初は動画制作や配信のお仕事からスタートされたとのことですが、社会人経験がない中での起業は苦労も多かったのではないでしょうか。
森田:最初の頃は本当にひどいもので、社会の常識というものを全くわかっていなかったんですよね。私たちも最初は、学生気分の抜けない格好で営業に行って、お客様から厳しくお叱りを受けることもありました。大学2年生の若造がやっていることですから、お客様からすれば学生の遊びだと言われても仕方がないレベルの仕事の仕方をしていて。社会の洗礼を受け、厳しい現実に打ちのめされながらも学んでいったという感じです。
——さまざまな失敗があった中で、特に印象に残っているトラブルや大きな挫折などはありましたか。
森田:あるイベントのYouTube配信の仕事で、致命的なミスをしてしまったことが強く印象に残っています。紹介してくださった先輩にも迷惑をかけてしまい、その人が最後の尻拭いをしてくれているような状態になってしまったので、自分の不甲斐なさに本当に打ちひしがれましたね。
——そのような絶体絶命のピンチを、どのようにして乗り越えられたのでしょうか。
森田:実は私の祖母がもともと商社で働き、その後は保険の営業で第一線で活躍していた人でして、幼少期から「謝罪の対応一つでいい方にも悪い方にも転ぶから、敵は絶対に作るな」と教え込まれていたんです。その教えがあったおかげか、事後のリカバリーとして様々な追加提案を必死で行い、アーカイブの映像は配信時のミスをきちんとカバーして仕上げるなど誠心誠意対応したことで、なんとかその後も別のお仕事をいただける関係性を築くことができました。
スキルだけで人は選べない。初期メンバーとの別れと「オープン・フラット」
——現在はおよそ40名ほどの組織に成長されていますが、組織が大きくなる過程で社員の方との衝突や葛藤などはあったのでしょうか。
森田:会社が大きくなっていく過程で、仕事の良し悪しだけで人を採ってはいけないということを痛烈に学ぶ出来事がありました。創業初期に、スキルがとても高く仕事のできるメンバーがいたんですが、仕事の進め方について、他のメンバーとの考え方の違いが次第に大きくなってしまったんです。
——それは経営者として非常に頭を悩ませる問題ですね。最終的にはどのように解決されたのでしょうか。
森田:ある日の飲み会でその社員から「俺を取るか、他のメンバーを取るか、どっちかにしてくれ」と迫られたんです。私は「お前のことは嫌いじゃないけれど、チームメンバーと一緒にやれないのなら俺はお前とは一緒に仕事はできない」と伝えて、涙ながらに彼と別れる決断をしました。本当に辛い経験でしたが、そこからはスキルだけでなく、仲間を尊重できるかどうか、自社のカルチャーに合うかどうかを一番に見極めるようになりました。意見が違うこと自体は大歓迎ですが、違う意見をぶつけ合うための土台として、チームへの敬意は欠かせないと思っています。
——今の会社では「オープン・フラット」という言葉を大切にされているとお聞きしましたが、具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか。
森田:一部の人だけが知っている情報があると不満や揉め事の原因になるので、隠し事をせずに何でもオープンにすることを徹底しています。社内では、役職や年次に関係なく誰でも意見を言えるように、みんなでフラットに接しようという方針です。例えば、自社の業務システムでは一人ひとりの売上実績をチーム全員が見られるようになっていて、お互いの頑張りが自然と目に入ることで、まるで部活のような健全なライバル関係が生まれています。
——現在の若いメンバーたちが生き生きと働いている背景には、そういったフラットで透明性の高い環境づくりがあるのですね。
森田:情報を開示して悪く使われるのが怖いという意見もありますが、そこはもうメンバーを信頼して自分から開示していくしかないと思っています。うちの会社にはいろんな個性を持ったメンバーが集まっていて、Tシャツで現場仕事をしているような子からめちゃくちゃ硬い子まで本当に幅が広いんですが、自分と距離が遠い人や変わった才能を持った人と仕事をする機会が多いからこそ、いろんな角度からの意見が出てきて白熱した議論が生まれるんだと思います。
10人中9人がAを選んでもBを選ぶ。自分に誠実な働き方とは
——今後の御社の展望や、森田さん自身の目指す会社のカタチを教えていただけますか。
森田:うちの会社では「自分に対して誠実であること」を一番大事にしていて、10人中9人がAを選んだとしても自分が違うと思えば1人でもBを選べという方針を伝えています。同調することだけが良いことではなくて、周りがこうだからこうするのではなく、自分の心に対して誠実であることが何よりも重要なんです。私自身、今まで先輩たちにたくさんのチャンスをもらってきたので、次は私が若いメンバーに対して成長できる環境を与えられる立場になりたいですし、これからも地方発で若手が活躍できる熱量のある大きな会社を作っていきたいですね。
——最後にぜひ、働きながら「このままでいいのかな」とモヤモヤしている20代や30代の方に向けて、何かメッセージやアドバイスをお願いします。
森田:まずは「自分で動くか、人から言われてやるか」で全然やる気が違ってくるということを意識してみてほしいですね。宿題とかも大体そうですが、人から言われてやるのと自分が好きだから調べたいと思ってやるのとでは熱量が全く違いますから。外からの反応や評価を気にして仕事をするよりも、そもそも自分が何をしたいのかを見つめ直すことがものすごく重要な気がしています。

「若手起業家」という響きから勝手に想像していたスマートな印象は、インタビューが始まってすぐに心地よく裏切られました。
インドで己の無力さに直面して流した悔し涙や、大クレームに対する必死のリカバリー、そして初期メンバーとの葛藤と別れ。森田さんの口から語られるのは、どれも泥臭く、人間くさく、体温の通ったエピソードばかりでした。
毎日決められたレールの上で「言われた通り」に業務をこなし、「今のままでいいのかな」と夜にふと考えてしまう。そんな働き方に慣れきってしまった私たちにとって、「10人中9人がAを選んでも、自分が違うと思えばBを選べ」という森田さんの言葉は、心の奥底に眠っていた「自分の意志で働くことの熱量」を静かに呼び起こしてくれます。
周りの正解に合わせるのではなく、自分に対して誠実であること。その覚悟を持った大人が真剣に働くこの組織には、部活のような確かな熱気と仲間への思いやりが渦巻いていました。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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