今田 正樹 氏
株式会社東海アドエージェンシー
代表取締役社長
(いまだ まさき)/愛知県生まれ。愛知県立旭丘高校、立命館大学経済学部を卒業後、同社へ入社。自社ビルを建てたため、平社員として飛び込み営業に奔走。そこで「自分の名前で仕事をもらう喜び」に目覚め営業に没頭。働きながら名古屋大学大学院で学び、2012年に2代目社長に就任。現在は交通広告を強みとした安定基盤を築き、地元に密着した課題解決に取り組む。
今回お話を伺ったのは、名古屋市大須に本社を構え、今年で創業49年目を迎える総合広告会社である株式会社東海アドエージェンシーの代表取締役社長・今田正樹さん。2012年に先代から会社を引き継いだ2代目社長ですが、そのキャリアのスタートは決して準備された華やかなものではありませんでした。一介の社員として駆けずり回った20代の熱狂と、そこから経営者として社員を守るために導き出した確固たる事業戦略など、一人の営業マンとして現場を駆け回る中で、働くことの根源的な面白さを見つけ出していった今田さんの言葉をお届けします。
名前で仕事をもらう喜びを知った20代。個人営業から組織営業へ
ーー今田社長は大学を卒業すると同時に東海アドエージェンシーに入社されていますが、当初からご自身の中で家業を継ぐという強い意思や明確な目標があったのでしょうか。
今田社長(以下、今田):いや、家業を継ぐつもりなんて全くなくて、親の期待を完全に外してパチンコ屋でバイトしたりしながら怠惰な生活を送っていた、ごく普通のしょうもない学生だったんですよ。本当は関西の国立大学に行きたいっていう希望があって、周りは受かっていたので自分も行けるものだと思って結局行けなくて、立命館大学に進んだあとも仮面浪人をして失敗してしまって。当時は大学生活にいい思いがなくて、フラフラしていました。そんな中、父が会社の将来を見据えて自社ビルを建設したことが、私自身も将来を考える大きなきっかけになりました。当時、銀行からの内定もあり大学院への進学も考えていましたが、大きな投資をして道を拓いてくれた父の期待と想いを受け止め、ここで全力を尽くそうと腹をくくったんです。
ーープレッシャーも相当なものだったと思いますが、入社当時の営業活動はどのような様子だったのでしょうか。
今田:とにかく一生懸命やらなきゃいけない、父が私の将来を見据えて大きな投資をしてくれた以上、その期待に応えようと必死になって、役職も持たずに平社員として入って普通に飛び込み営業をゴリゴリやっていきました。最初の頃は、3年頑張ったら大学院に行こうかなんて思っていたのですが、意外とお客さんがついてくれて、やってみたら広告業界が面白いってことがわかったんです。変なプライドなんて社会人になってからは全くなくて、学生時代には知らなかったいろんな企業の裏側が見えるし、経済の流れもリアルに見えるようになってきて。普通に就職活動してたら絶対に出会わないような企業が、実はすごく光るような面白いことをやっていたりするのを知れるのがとにかく楽しくて。それに、全く知らない相手のところに飛び込んでいって「あなた誰?」っていうところから始まって、少しずつ信用してもらえて「今田くん」って名前で指名されるようになって発注してもらえる瞬間って、めちゃめちゃ嬉しいじゃないですか。気持ちいい、あの瞬間は。そのたまらない瞬間のためにやるみたいな、そういう仕事の原点となるような気持ちよさがあったんです。
月400~500万円の粗利を生み出す営業マンへ。仕事に没頭した20代。
ーー「自分の名前で仕事をもらい、誰かに必要とされる喜び」に目覚めてからは、どのような働き方で成果を出していったのでしょうか。今の時代の価値観では考えられないような、壮絶な苦労もあったのではと想像します。
今田:当時、地元のマンションディベロッパーのお客さんとのご縁ができて、僕一人で毎月コンスタントに400~500万円くらいの粗利を出すようになったんです。それを5年くらい続けたんですが、土曜日も日曜日も現場に入って、休みなしでひたすら働いていました。毎週土日にマンションの現場で集客状況を見て、月曜日に打ち合わせをして、火曜日にデザイナーに制作を依頼する。木曜日には折り込みチラシを手配しないといけないから、結局水曜日も休みがないわけです。それで2ヶ月とか3ヶ月経つと、40度くらいの熱を出してバタッと倒れちゃうんですよ。頑張りすぎちゃってね。当時は自分で稼ぐ力をつければいいと思っていたから、もう無我夢中でやってました。成果が出るほど仕事が面白くなり、自分の力でどこまでできるか試したいという気持ちが強くなっていったんです。当時は若さもあって休日も関係なく仕事に没頭していました。ただ、今振り返れば決して持続可能な働き方ではありません。この経験も後に「社員が安心して働ける会社をつくらなければならない」と考えるようになった一つの原点です。
ーーそこからプレイヤーとしての熱狂を越えて、働きながら名古屋大学の大学院に通われたと伺いましたが、経営者としての視点を持つようになった背景には何があったのでしょうか。
今田:午前中に仕事をして、午後から大学院に行って、夕方また仕事に戻って、家に帰ってから論文を読むっていう生活を送りながら、「どういう戦略を取った時に、どういう組織を作るべきか」といった戦略論や組織論を学び修士論文を書きました。当時、テレビやラジオのCMといった華やかな仕事が売り上げの6割くらいを占めていたのですが、テレビのCMってやめるのも早いんですよ。ドーンと2000万円発注してくれても、来年にはもうやめるみたいなことが普通にあるから、業績が全く読めない。だから、もう少し安定的なベースがないと、会社として社員を守れないなって痛感するようになったんです。そこで目をつけたのが交通広告で、一度決まるとストックとして積み上がっていく安定的なビジネスで、なかなか権利を取るのが難しい世界なんです。そこをいろんな人の縁や繋がりを活かして、なんとか名古屋市の地下鉄や名鉄の指定代理店になることができたんです。これが会社にとっての大きな転機になって、これまで「お宅は何が強いんですか?」と聞かれた時に明確に答えられなかったのが、「うちは交通広告が強いです」と胸を張って言えるようになり、リーマンショックやコロナ禍でも会社を支える強靭な柱になってくれました。
会社は人がすべて。地元に根ざして「働く体温」をつないでいく
ーー最後に、今田社長がこれからの会社づくりや地元に対する思いとして、経営者として大切にしていきたいと考えていることを教えてください。
今田:いろいろな苦労がありましたけど、結局のところ、社員って大事だよねっていうことに尽きるんです。当時から残ってくれている社員は本当に信用できるし、一緒に苦労を乗り越えてきた仲間ですからね。我々の仕事って、人が抜けたらもう終わりなんですよ。資本主義じゃなくて人本主義というか、人を中心として、人から生み出すアイデアや価値がすべてだと思っています。今は創業者の「単なる看板屋ではなく、総合広告会社でありたい」という思いを引き継いで、交通広告を軸にしながらも、人材紹介業や建設業の許可を取って、お客さんの細かい課題に対してもワンストップで応えられるようなサービスを提供できるようにしています。一時期は東京に出たいなと考えたこともありましたが、やっぱり自分を育ててくれた稲沢や名古屋といった地元に密着してやっていきたい。東海3県下でしっかりとポジションを取りに行って、地元に貢献していき、父が築いた会社をそのまま守るのではなく時代に合わせて変化させ、お客様により大きな価値を提供し続ける。そして、社員が安心して働きながら挑戦できる会社にして次の世代へつないでいく。それが二代目である自分の役割だと思っています。

インタビューを終え、今田社長の言葉を反芻しながら、私たちが日常の業務に忙殺される中で見失いがちな「働くことの本来の姿」について深く考えさせられました。
飛び込み営業の末に「自分の名前で呼ばれる喜び」を手に入れた20代の原体験。そして、個人の熱狂やトップセールスとしてのプライドから視点を経営へと移し、共に働く仲間を守るためにしたたかな戦略を描いてストックビジネスを構築していく現在。そこには、決して綺麗事だけでは語れないリアルな葛藤と、血の通った仕事の手触り感がありました。業務の効率化やマニュアル化が叫ばれ、どこか無機質になりがちな現代のビジネス環境において、私たちが求めている「働く体温」や「自分がここにいる意味」は、こうした泥臭い経験の蓄積と、人との真っ直ぐな関わり合いの中からしか生まれないのかもしれません。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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