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稲葉 大 氏
株式会社三和産業
代表取締役社長
(いなば・だい)/1964年設立の自動車・住宅設備関連のプラスチック・ゴム製造などを手がける三和産業の2代目。高校卒業後、大学進学を志すも挫折。フリーターやトラック運転手、他社での研修など様々な職を転々とした後、23歳頃に家業へ入社。製造現場、品質管理、営業と現場の最前線を経験し、50歳頃に社長へ就任。自身の遠回りの経験から「まずはやってみること」「人の貯金(育成)」を何より大切にしている。
愛知県に本社を置き、自動車関連や住宅設備関連のプラスチック・ゴム製造などを幅広く手がける株式会社三和産業。1964年の設立から60年以上の歴史を持つ老舗企業であり、現在は2代目である稲葉氏が代表取締役を務めている。
歴史ある企業の2代目と聞けば、用意されたエリート街道を真っ直ぐに歩んできたのだろうと想像するかもしれない。しかし、稲葉社長の口から語られたのは、私たちの想像とはかけ離れた、あまりにも等身大で苦労も経験している20代のリアルな姿だった。「このままでいいのかな」と焦りを感じている20代・30代にこそ読んでほしい、立派な目標がなくても「なんとかなる」と笑い飛ばす、体温の通った経営者の本音の記録である。
勉強は長続きせず、職も転々。エリートとは無縁だった20代のリアル
ーー創業約60年の歴史を持つ三和産業ですが、稲葉社長は若い頃から「いつか家業を継ぐんだ」という真っ直ぐなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。
稲葉社長(以下、稲葉):
いやいや、全然そんなことはないですよ。もともと高校を卒業する半年くらい前になって、急に「大学に行きたいな」と思い立って勉強を始めたものの、当然そんな短期間で受かるわけもなく、補欠で引っかかったところも結局ダメでして。ただ、親からは「大学に行ったら車を買ってあげる」と言われていたので、それならちょっと行くかと思って、卒業後になんとか大学に行こうと予備校に通い始めたんです。でも、5月頃から大学に行っていない友達と遊び始めるようになり、その結果、車への執着もなくなり予備校も辞めてしまいました。結局親には「もう無理です」と伝えて大学進学自体を諦め、そこからはフラフラと働き始めました。
ーー20代前半はどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
稲葉:
すぐにうちの会社には入らず、最初はアルバイトでエアコンの製造ラインに入ったり、そこを辞めて金型屋さんへ行ったりしていました。その後、親から「ちょっと行ってこい」と言われて、うちが使っている射出成形機のメーカーへ研修に行ったんです。
そこは自宅から通えなかったので、緑区で一人暮らしのようなことをさせてもらいながら1年くらい勉強する予定だったんですが、それも結局途中で辞めてしまいまして。その後にトラックの運転手を1年〜1年半ほどやっていました。本当に落ち着きのない時期を過ごしていましたね。
ーー最終的に三和産業に戻ってこられたのはどのようなタイミングだったのでしょうか。
稲葉:
トラックの運転手を1年半くらいやっていた21歳か22歳くらいの頃に、友達と「さすがにこのままではな……」と話し合っていまして。その時の勢いで「じゃあ、うちの会社で働くか」ということになり、友達2人を誘って一緒に働き始めることになったんです。ただ、親としては「そんな簡単にポンと自社で働くのはダメだ」ということで、まずは2人で同業のお客さんのところへ修行に行かせてもらうことになりました。
そこにも1年くらいいて、結局修行を終えた流れで三和産業に入社しました。親から直接「継いでくれ」なんて一言も言われた記憶はないんですが、取引先に修行へ行く時点では会社を継ぐことは深く考えておらず、「親に言われたからとりあえず行こうかな」というくらいの感覚でした。ただ、修行を終えて自社に正式に入社する頃には、会社を継ぐ意思をすでに持っていましたね。
勢いで飛び込んだ製造現場と、自由にやらせてくれた先代の懐の深さ
ーー入社して最初から経営に近いポジションだったのですか?
稲葉:
いや、最初は完全に工場の現場からのスタートで、製造のラインに3年くらい入って、その後に品質管理を1〜2年、そこからはずっと営業をやってきました。今までやってきた仕事が特別「自分に合っているな」とか「面白いな」と強く思ったことはないんですけど、機械を操作して出来具合が少し変わったり、不良を直す時に色々と調整して直せたりするのは、面白いなと感じる部分はありましたね。
入社した当時からずっと友達と一緒に働いていたこともあって、職場の人間関係でやりづらさを感じるようなことはなく、現場のおじいちゃん世代の人たちともすんなり馴染んでやってこられたと思います。
ーーそこからお父様から会社を引き継ぎ、社長になられたのはいつ頃だったのでしょうか。
稲葉:
社長になったのは50歳くらいの時なので、わりと最近の話ですね。本当は親の目処としては70歳か75歳くらいで代わるつもりだったらしいんですが、僕自身が若い頃はプライベートでも遊んだりして自由にやりすぎていた面もあって、「まだ任せられん」と、世代交代がズルズルと先に延びてしまったという裏話がありまして(笑)。
ただ、30歳くらいで常務になってからは、会社のお金のことでも何でもほぼ自由にやらせてもらっていたんです。親から仕事のやり方について細かく口を出されるようなことはほとんどなく、僕も一緒に働いていた友達も、10年20年と本当に自由にのびのびとやらせてくれた親には感謝していますね。
痛感した「人の貯金」の大切さ。働く人が「ここでよかった」と思える会社に
ーーいざご自身が社長に就任されてから「会社をこういう風にしていきたい」という明確なビジョンはあったのでしょうか。
稲葉:
特別「10年後、20年後にこういう姿になっていたい」という明確なイメージは未だに持っていないんですが、ただ一つ思うのは、従業員の人たちが「うちで働いてよかったな」と改めて思ってくれる会社にはしたいなと、最近つくづく思うんです。人それぞれ会社に求めるものは違うと思うので、その思いを少しでも汲み取って、働く側から見て「この会社のここがすごくいいな」と思えるような強みを一つでも二つでも作っていきたいと考えています。
同業他社の中で給与が一番でもいいし、休みが一番多いでもいいんですが、まずは社内の風通しを良くして、現場で働く人たちとしっかりコミュニケーションを取っていくことが今の課題ですね。
ーー従業員の方の働きやすさや、そうした社内の体制づくりを強く意識されるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
稲葉:
会社が安定的に伸びてきて規模も大きくなってきた時に、中堅どころを含めて何人かの人が辞めてしまった時期があったんです。その時に痛感したのが「人の貯金」の大切さでして。お金や技術の貯金も当然大事なんですが、結局のところ企業というのは個人の集合体であって、人がいなければいくら自動化を進めても会社にはなりません。管理職が育つにはどうしても何年もかかりますし、ヘッドハンティングを試してみてもそう簡単なものじゃない。現場が忙しいから新しい人を教える時間がなく、教えられないから人が育たずに辞めていくという負のスパイラルに陥ってしまうと、会社の運営はスムーズにいかなくなってしまいます。だからこそ、頭数だけ揃えればいいという考えは改め、世代交代を見据えて「人の貯金」を意識して作っていかなければいけないと反省しましたね。
30歳までは色々やればいい。失敗しても「なんとかなる」と飛び込む勇気
ーー今、仕事探しやキャリアの方向性に悩んでいる20代・30代の人に向けて、ご自身の経験を踏まえて伝えたいメッセージはありますか。
稲葉:
とにかく「まずはやってみてほしい」ということですね。給料や休みといった条件を見るのも当然ですが、実際に入ってみないとわからないことはたくさんありますから。よっぽど極端な条件でなければ、まずは一回飛び込んでみてほしいなと思います。もし僕自身がやり直せるなら東大に行ってみたいなんて冗談で思ったりもしますけど、でも今まで「なんとかなるだろう」という楽観的な考えでやってきて、実際になんとかなってきた部分も大きいんですよね。
ーー転職を繰り返すことに対して、「逃げているのではないか」とネガティブなイメージを持ってしまい、次の一歩を踏み出せない若手も多いように感じます。
稲葉:
いや、30歳前までだったら、色々と転々としてもいいと思いますよ。ただその間に、何も考えずにボンボン辞めるのではなく、色々な経験をする中で自分なりに何かを吸収して、成長に繋げていってほしいなと。うちの会社でも、30歳や40歳くらいで中途で入ってきた人が、今では会社のナンバー3として活躍してくれている例もありますから。
だから、30歳くらいまでには色々と経験して、失敗もたくさんして、その上で「ここだ」と決めるご縁があればそれでいいんじゃないかなと思います。給料が少し少なくても、人間関係が良ければ嫌なことがあっても我慢できるし、楽しく働けると思うんですよね。だからこそ、うちはそういう「いい仲間」がいる風通しのいい会社にしていきたいですし、悩んでいる人には、まずは難しく考えすぎずに飛び込んでみてほしいですね。

「嘘はいけないけど、小手先の失敗ならたくさんしてもいい」と笑う稲葉社長。その表情には、自らも遠回りをし、数々の失敗を経験してきた人間だけが持つ、独特の温かさと懐の深さが滲み出ていた。
完璧なキャリアなんて、最初から用意されているわけではない。20代のうちは、迷い、立ち止まり、職を転々としたって構わないのだ。大切なのは、その過程で出会う人との縁を大切にし、少しずつ自分の中の「人の貯金」を貯めていくことなのかもしれない。「このままでいいのかな」と悩む夜があったなら、まずは気負わずに、目の前の環境に飛び込んでみることから始めてみてはどうだろうか。きっと思いがけないところで、自分なりの居場所は見つかるはずだから。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
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