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安田 詩望氏
株式会社ゆたかHRテック
代表取締役
(やすだ しほ)/19歳で出産し、パチンコ業界でパートから管理職まで6年間勤務。26歳で未経験から社会保険労務士法人ゆたかパートナーズオフィスに事務員として入社。自らの強みである対話力を活かして営業やコンサルティング領域を開拓し、役員に就任。2025年7月にグループ会社として、株式会社ゆたかHRテックを設立。「名古屋人間力大賞」中日新聞社賞を受賞し、現在は女性活躍推進やESG経営支援に伴走している。
毎日同じレールの上を走り、与えられた役割をこなすだけの仕事に、ふと「このままでいいのかな」と立ち止まってしまう夜はないだろうか。決められた枠組みの中だけで完結する日々に、どこか息苦しさや物足りなさを感じている人も少なくないはずだ。
愛知県名古屋市に拠点を置く株式会社ゆたかHRテックの代表取締役、安田詩望さんのキャリアは、そうした「与えられた枠組み」を自らの手で次々と破壊し、必死に道を切り拓いてきた歴史そのものである。19歳での出産と生後3ヶ月での仕事復帰、男性社会での過酷な下積み時代を経て、26歳で未経験から社会保険労務士法人へ事務員として入社。しかし、彼女はそこで大人しく事務作業をこなすことはなかった。自ら社長に同行して最前線の営業やコンサルティング領域を開拓し、役員にまで上り詰めた後、2025年7月に独立を果たした。
自らの経験を血肉とし、現在は女性活躍推進やESG経営支援に伴走する安田さんに、ご自身の壮絶なキャリアの原点と、仕事における「役割」の創り出し方について、株式会社アクセスの宗宮がお話を伺った。
19歳での早産と仕事復帰。男性社会の中でパートから管理職まで登り詰めた原点
——まずは安田さんのこれまでのキャリアの成り立ちについてお伺いしたいのですが、ゆたかパートナーズオフィスに入社される前は全く別の業界にいらっしゃったとお聞きしました。当時の状況を少し教えていただけますでしょうか。
安田代表(以下、安田):就職したのは20歳の時なんですけれど、実は19歳で妊娠をして、早産だったこともあって娘が生まれた時は本当に予定日よりもだいぶ早かったんですね。生後3ヶ月くらいですぐに働き始めなければならず、最初はパチンコ店で働き始めました。当時の私はシングルマザーで、なかなか正社員で働くことは難しかったので最初はパートからのスタートだったんです。
——生後3ヶ月ですぐに働き始めるというのは、想像を絶するような過酷な状況ですよね。そこから長く業界にいらっしゃったのですか。
安田:そうですね、トータルで6年ほど勤めて辞めました。1年経ったくらいでなんとか正社員にさせてもらって、そこからは女性スタッフの教育や在庫管理、売上管理などを担当し、最終的にはマネージャーという形で管理職までやらせていただきました。完全な男性社会の業界でしたから、毎月の手取りだけで言えば20代前半の女性にしてはお給料は高かったものの、やっている仕事の内容と労働時間を見比べると、本当に見合っているのかと悩むような大変な環境でしたね。
——そこから全く畑の違う社会保険労務士法人の業界へと転職されたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
安田:パチンコ業界も規制がどんどん厳しくなり始めた時期で、このままいけば右肩下がりになっていくだろうと予測して辞める決断をしました。次に何をするか考えた時に、安定していそうだとか、何か手に職をつけたいという気持ちがあって、行政書士事務所など士業系の事務所に片っ端から応募していたんです。でも、子どもが小さいという事情もあって、基本的にはもう書類選考で落ちてばかりの連続でした。
事務仕事は大嫌い。自ら社長に同行し、得意の「喋ること」で居場所を開拓する
——書類選考で落とされる日々が続く中で、ゆたかパートナーズオフィスさんにはどのようなご縁で入社することになったのでしょうか。
安田:本当に運よく拾ってもらったという感覚ですね。私が入る前にいた事務の女性がたまたま産休に入るかどうかのタイミングで、会社としては本当に猫の手も借りたい状況だったんです。だから私の経歴とかはどうでもよくて、とにかく人が欲しいというピンポイントのタイミングに合致して、たまたま拾っていただきました。今の選考基準だったら、絶対に落とされているだろうなと思います。
——最初は事務員としての採用だったとのことですが、そこからどのようにして営業やコンサルティングといった現在の領域へとご自身の役割を広げていかれたのですか。
安田:最初は事務的なポジションで入ったんですけど、そもそも私は事務仕事が大嫌いなんですよ(笑)。ただ士業がいいなと思って始めただけで、仕事というものは何でもよくて、どうやったら今の自分が稼げるんだろうかということを常に考えていました。私は社労士の資格を取ったわけではないので、申請の代行印を押すことはできません。でも、私の得意なことは「喋ること」だったので、セミナーをやったりコンサルティングでお客さんの話を聞いたり、自分の経験をもとにアドバイスすることならできるなと思って、どんどんそちらにシフトしていきました。
——事務員として入社しながら、自ら営業に出るというのはなかなかできることではないと思います。社長からの指示があったのでしょうか。
安田:いえ、指示があったわけではなく、かなり自然な流れで勝手にやるようになっていました。最初は社長の営業に同行させてもらって、「私もやってみたいな」と思って勝手に行くようになりました。当時はずっと金髪で、見た目はいわゆるギャルのような感じだったのですが、その外見と「助成金や手続きについてしっかりわかっている」というギャップをむしろ売りにしていました。同じベンチャー企業としてこれから頑張りたいという若い経営者の方々からのウケもよくて、口コミでどんどんお客さんを紹介していただくようになりましたね。
ベンチャーの荒波の中で社長と真っ向から衝突した日々
——ベンチャー企業の創業期となると、労働時間や環境もかなりハードだったのではないかと推測します。子育てとの両立はどのようにされていたのでしょうか。
安田:両立できていたかというと、もう本当に「やるしかなかった」という言葉に尽きますね。毎年毎年いろいろな制度ややり方が変わっていくベンチャー企業でしたし、大企業のような安定した仕事でもありません。ついていけない人が次々と辞めていくのを繰り返すような環境の中で、仕事でも絶対に結果を出したいという意地がありました。ただ、その面で社長とは何度も激しい言い合いをしましたよ。
——仕事に対するスタンスや働き方についての衝突でしょうか。
安田:やると決めたのは自分なので、自分としては全力でやるんです。でも、どうしても限界が来ることはあって。社長に対して、「社長はご自身で子どもの予防接種のスケジュールとか、飲んでいる薬の種類とかちゃんと把握しているんですか? 送り迎えをしているんですか?」と真っ向からぶつかったことは確かにあります。主婦としての役割もやらなければいけないし、仕事の成果も出さなければいけない。お父さんの役割もお母さんの役割も一人でこなさなければならないというのは、時間的にも精神的にも本当にしんどい部分でした。子どもには寂しい思いをさせてしまったなと、今でも思うことはあります。
制度を作るだけでは意味がない。当事者にとっての「幸せ」を根本から問い直す伴走支援へ
——役員として組織を牽引された後、2025年に株式会社ゆたかHRテックとして独立されました。現在は具体的にどのような事業を展開されているのでしょうか。
安田:社労士法人では受けられないシステムの販売やバックオフィス業務の支援、そしてメインとして掲げているのが「女性活躍推進」と「ESG経営」の支援です。企業様に入り込んでコンサルティングを行い、産休や育休などの具体的な手続きが必要になれば社労士法人へ流すという仕組みをとっています。大企業などで女性管理職の比率を上げなければいけないという目標がある中で、どういう仕組みで女性を引き上げていくべきなのかを一緒に話し合い、伴走していくような役割ですね。
——女性活躍推進という言葉は世の中に溢れていますが、実態が伴っていない企業も多いように感じます。安田さんはその点にどうアプローチされているのでしょうか。
安田:おっしゃる通りで、会社側がいくら立派な仕組みを作ったとしても、働く女性自身のマインドが整っていなければあまり意味がありません。女性たちに対して、1年ほどの時間をかけてしっかりとマインドセットの面談を行うようにしています。結局のところ、結婚して子どもを育ててパートのままでいいという方もいらっしゃいますし、「自分にとって何が幸せなのか」を根本から考えていただく時間を作ることが第一歩だと思っています。単にわがままを聞くということではなく、その状況の中で最大限何ができるかを一緒に探していくんです。
——ご自身の必死に壮絶なキャリアがあるからこそ、その伴走支援には圧倒的な説得力がありますね。現在の会社の状況はいかがですか。
安田:現在は基本的に私一人で動いていまして、実務的な部分は社労士法人に外注するような形で回しています。「名古屋人間力大賞」で中日新聞社賞を受賞させていただいたご縁もあり、最近では看護師さんや保育士さんなど、女性が多い職場からのご相談をいただくことがとても増えてきています。これからも、表面的な制度だけではない、本当に意味のある支援を続けていきたいですね。

事務員として採用されたなら、事務の仕事をこなすのが当たり前。そんな常識を、安田さんは「事務仕事が嫌いだから」という理由で軽々と飛び越え、自らの得意領域で圧倒的な成果を出してみせた。
もし今、自分の仕事に「このままでいいのかな」という閉塞感を感じているのだとしたら、それは会社や環境のせいだけではないかもしれない。「役割」とは誰かから与えられるのを待つものではなく、自らの手で広げ、創り出していくものなのだと、彼女の力強い言葉が教えてくれている。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
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