31歳で突然背負った会社の看板。現場と向き合って考えるからこそ、僕たちの仕事には熱量が込められている。

31歳で突然背負った会社の看板。現場と向き合って考えるからこそ、僕たちの仕事には熱量が込められている。

後藤 寛明 氏

後藤 寛明 氏

親和建設株式会社

代表取締役

(ごとう・ひろあき)/専門学校卒業後、建設現場での施工管理に従事。2009年、前社長の急逝に伴い31歳の若さで4代目社長に就任。直後に訪れた建設不況や業界の大混乱など過酷な転換期を乗り越え、自社施工管理体制の強化と教育改革を断行した。現場主義を貫きつつ、業界の固定観念に囚われない福利厚生や人材育成を推進。東海3県の都市インフラ・防災・リニア関連工事を手掛け、地域社会を陰で支える技術者集団を率いている。

愛知県を中心に、水道や下水、電気、鉄道、高速道路、そしてリニア中央新幹線関連の橋梁工事など、私たちの暮らしを足元から支えるインフラ工事を手掛けている親和建設株式会社。創業から75年目を迎える歴史ある技術者集団ですが、その道のりは決して順風満帆なものばかりではありませんでした。2009年、前社長の急逝に伴い、当時31歳という若さで4代目社長に就任した後藤寛明社長。直後に訪れた建設不況や時代の波に揉まれながらも、社員の雇用を守り抜き、10年かけた人材育成や独自の福利厚生など、業界の常識にとらわれない改革を進めてきました。AIやデジタル化が加速する現代において、「AIやデジタル化を併用しながら、現場で自分で考えること」「人と人とのコミュニケーションを重ねること」の意味を問い続ける後藤社長の言葉には、日々に追われ「働く意味」を見失いかけている私たちの心を力強く揺さぶる熱量がありました。

 

15歳から見ていた建設現場の裏側と、突然訪れた31歳での「覚悟」

 

――御社は創業75年目と非常に長い歴史を持たれていますが、もともとは大分県で創業されて愛知県へ進出されたとお伺いしました。後藤社長ご自身は、どのような経緯で会社に入られて、社長に就任されたのでしょうか。

 

後藤代表(以下、後藤) 創業自体は1951年で大分県の佐伯市という場所なんですけど、昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風の時に、復興事業で名古屋に来たのが愛知に定着したきっかけなんです。私は4代目の社長になるんですが、先代である父が今から17年前の2009年に、56歳という若さで急逝しましてね。当時、私は31歳で、専門学校を卒業してからずっと建設現場で施工管理の仕事をやっていた最中だったんですよ。ある日突然、父が体調を崩して1週間くらいで亡くなってしまって、右も左も分からないまま急遽社長を引き継ぐことになったんです。

 

―― 31歳という若さで、現場から急に会社の経営を背負うことになるというのは、相当な混乱やプレッシャーがあったのではないでしょうか。

 

後藤: 正直なところ、父からは「お前にあと10年は社長を渡さん」なんて言われていたので、自分も周囲もまったくの想定外でしたし、社内も大混乱でしたね。ただ、私自身は中学生や高校生の春休みや夏休みを使って、うちの現場でアルバイトをさせてもらっていた時期があったんです。当時はまだ現場で高校生が手伝いをするような大らかな時代で、15歳くらいの頃から社員や職人さんたちの顔を知っていましたから、人間関係という意味ではゼロからのスタートじゃなかったのが救いだったかもしれません。それでも、現場で施工図を書いたり見積もりを作ったりする作業と、社員全員の雇用や会社の未来を背負って決断をしていく経営はまったく別物ですから、当時は先も見えなくて本当に手探りの状態でした。

 

社員が半分に減った過酷な転換期と、「エッセンシャルワーカー」としての再出発

 

――社長に就任された2009年当時は、政権交代による建設不況など、業界全体としても非常に厳しい風が吹いていた時期ですよね。

 

後藤: まさにダブルパンチの時期で、民主党政権になって「コンクリートから人へ」というスローガンが叫ばれ、世間全体で建設業は悪だと言わんばかりの風潮になってしまったんです。親御さんも子供を建設業界に送り出さなくなり、新卒採用も完全に止まってしまいました。就任当時は50名近くいた社員が、将来の見通しが立たない不安から次々と辞めていってしまって、一時的に25名程度まで半減してしまったんですよ。あの時代が、自分の人生の中でも一番辛くて先が見えない時期でしたね。

 

―― 社員が半減するという未曾有の危機を、どのように乗り越えて現在の体制まで戻されてきたのでしょうか。

 

後藤: 時代の転換期の中で、これまでの「元請けから指示され手だけを動かす」という古いやり方から脱却して、現場管理までを一貫して請け負う「提案型」の組織へガラッと変えていったんです。そして2011年の東日本震災が起きた時、被災地の復旧に携わったり各地のインフラ劣化を目の当たりにしたりする中で、私たちが手掛けている土木工事は地域社会を維持するために絶対に必要な「基幹産業」なんだと再認識しました。道路や水道、防災施設といった都市インフラを守る仕事は、決して無くなりはしないし、誰かがプライドを持って守り続けなければいけないエッセンシャルワーカーなんだと社員みんなで腹を括ったんです。そこから愚直に体制を整え直して、今では32名まで仲間が回復してきました。

 

「人は10年かけて育てる」型にはめない教育とトレーラーハウス寮に込めた想い

 

―― 若手の離職や短期間での成果が求められる時代において、御社では人材育成に関して非常に長いスパンで考えられているとお聞きしました。

 

後藤: 建設現場の仕事って、工場で決まった製品を作るのとは違って、同じ条件の現場なんて一つとして存在しないんですよ。気候も違えば、周辺の環境も毎回変わるから、ある程度の経験値を積まないと一人で現場を回せるようにはならないんです。だからうちでは、新人が入社したら無理に一人で現場に行かせず、必ず経験豊富な先輩と後輩のペアを組ませて、10年くらいかけてじっくりプロに育てていく方針をとっています。全員が同じような万能選手になる必要はなくて、管理が得意な人もいれば、重機のオペレーターとして技術を極めたい人もいるわけですから、本人の適性や希望を見極めながら社員一人ひとりが一番いきいきと働ける場所を作ってあげることが経営者の役割だと思っています。

 

――毎週水曜日に開催されている独自の研修会や、敷地内にあるおしゃれなトレーラーハウス型の寮も非常にユニークな取り組みですね。

 

後藤: 毎週水曜日の終業後にやっている「キャリアアップ研修会」は、有志の参加制なんですけど、過去の災害事例の原因を研究したり法改正の勉強をしたりしています。事故の怖さやリスクを知らないこと自体が一番の危険ですからね。ただ自発的に学びに来てくれる社員に対して言葉だけ感謝しても気持ちが伝わりづらいので、1回参加するごとに手当を支給して給料に還元する仕組みにしています。

またトレーラーハウスの寮については、若い社員が一人暮らしを始める時の家賃や光熱費の負担を少しでも減らしてあげたいという思いから作りました。単に給料を数万円上げるだけだと1ヶ月でそれが当たり前になってしまいますが、快適でワクワクする生活環境を用意することで、仕事への活力や会社への愛着につながればいいなと。あの寮は移動が可能な構造なので、地域の火災や災害時の緊急避難場所として貸し出せるよう地域自治体と協定も結んでいて、社会貢献の一環としても機能しているんですよ。

 

AI時代だからこそ価値を持つ、現場で「問い直す力」と人間味

 

――昨今はAIやデジタルツールの進化が著しいですが、これからの時代を生きる若いビジネスパーソンに対して、後藤社長はどのような力を身につけてほしいとお考えですか。

 

後藤: ネットやAIを開けば、それっぽい答えやすぐに使える情報がいくらでも手に入る時代になりましたよね。でもだからこそ、提示された答えをそのまま鵜呑みにせず、「なぜこうなるんだろう?」「この情報の背景には何があるんだろう?」と、自分の頭で一度立ち止まって問い直す力をつけてほしいんです。設計図を現場で確認していると、実際には物理的に施工が出来ない図面ということも珍しくはありません。机上の計算やAIでは解けない「現場の違和感」に気づくのは人間の感覚ですし、それを解決するために実直に人と対話して、知恵を出し合ってゼロからカタチにしていくことこそが、私たちが働く上での最大の価値だと思うんですよ。

 

―― 便利なツールに頼るだけでなく、自分の頭で考え、人とコミュニケーションを取ることの大切さが伝わってきます。

 

後藤: うちの会社で一番活躍している社員も、別に有名大学を出ているわけでも通知表が抜群に良かったわけでもありません。大事なのは、分からないことがあった時に素直に人に相談できて、現場の職人さんやお客としっかりコミュニケーションが取れるかどうか、ただそれだけなんです。これからの時代、表面的な作業や決まり切った書類作成はどんどん自動化されていくでしょうけど、人人と向き合って、地域のために汗を流して作ったインフラ工事には、絶対に消えない「体温」が宿ります。若い人たちには、目先の情報や流行に振り回されすぎず、自分の仕事が誰の暮らしをどう支えているのかという本質に向き合いながら、働く誇りを感じてほしいですね。

31歳という若さで突然背負うことになった会社の看板と、直後に訪れた社員数の激減。後藤社長が歩んできた道のりは、スマートで綺麗な成功ストーリーではなく、目の前の現実と必死に向き合い続けてきた厳しい葛藤の連続でした。

効率やスピードばかりが重視され、画面の向こうにある「正解らしきもの」を簡単に手に入れられる今だからこそ、「現場で自分の頭を使って考え、人と対話すること」の重みが心に響きます。私たちが毎日何気なく使っている水道や道路の裏側には、誰かの暮らしを守り続けている大人の「背中」と「体温」がありました。

この記事を書いた人

河本さゆり

河本さゆり

中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!

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