目次
安本 拡人氏
みやこワークス株式会社
代表取締役社長
(やすもと たつひろ) /1975年生まれ。大学卒業後、大手出版社での営業を経て2000年に父が創業した都工業へ入社。2001年、社長であった父の突然の事故死という悲劇に見舞われ、26歳で専務に就任。母親を社長に立てて経営を支えた後、2009年に3代目代表取締役社長に就任した。トラブルやリーマン・ショックによる売上7割減などの激浪を乗り越え、「仕事は人を輝かせる」を企業理念に掲げる。伴走型の派遣・フィールドエンジニアリング事業を通じ、働く人の復権と成長に挑み続けている。
愛知県豊田市に本社を置き、人材サービス事業とフィールドエンジニアリング事業を展開しているみやこワークス株式会社(2026年10月1日より株式会社都工業から「みやこワークス株式会社」へ社名変更)。代表取締役社長である安本拡人氏は、26歳という若さで父親の急死によって経営の最前線に立つことになりました。周りから「終わりだ」という厳しい声が聞こえる一方で、その窮地の中で温かく手を差し伸べ助けてくれる方々にも支えられながら、トラブルやリーマン・ショックによる売上大幅減といった会社の存続を揺るがす数々の危機を乗り越え、「仕事は人を輝かせる」という確固たる信念にたどり着いたと言います。スマートなキャリア論や転職を煽るような情報が溢れる現代社会において、働くことの本当の意味や職場という場所が持つ熱量について、ご自身の壮絶なご経験を交えながらありのままの言葉で語っていただきました。
26歳で直面した父親の急死と、逆境の中で下した決断
ーー安本社長は大学を卒業された後、大手出版社での営業を経て、お父様が創業された都工業へ入社されたと伺っておりますが、まずは実家の家業に戻られた当時の経緯から詳しく教えていただけますでしょうか。
安本社長(以下、安本):一番最初は大手出版社で営業をやっていて、これから長く社会人をやるにあたって一番最初はがっつり自分を鍛えたかったから、あえて営業の厳しい世界に身を置きたかったんですよね。世の中には休日数や待遇を重視して仕事を探される方もいらっしゃいますが、当時の自分としては、まずはしっかりと厳しい環境で揉まれて力をつけたいと考えていました。 でもある時お正月に帰省した時に、営業の仕事って面白いな、これを家の仕事でやったらもっと面白くなるんじゃないかと思って、1年半くらいで辞めて実家の会社に帰ってきたんです。
当時の会社は大手とは比べものにならないくらい荒っぽくて、親父の周りにはパンチパーマとリーゼントとスキンヘッドの番頭さんと荒くれ者の職人さんたちが50人から60人くらいいるような状態でした。ここに一生いたらマズイなと思いながらも営業を頑張っていたんですが、戻ってわずか1年半後の26歳になったばかりの時に、創業者の親父が突然トラックに跳ねられて交通事故で亡くなってしまったんですよ。親父の通夜や葬式には1000人くらい人が来て、北海道や京都や広島といった遠方からもわざわざ駆けつけてくれたんですけど、その裏では「社長が亡くなったら都工業も終わりだな」とか「あの息子に何ができるんだ」みたいな冷ややかな声が周りから嫌でも聞こえてくるわけです。ですが、そういった厳しい声ばかりではなく、「何か困ったことがあったら何でも頼れよ」「親父さんの残した会社を絶対守れ」と、この窮地の中で温かい声をかけて助けてくださる方もたくさんいらっしゃいました。
ーー入社してわずか1年半というタイミングで会社を背負うことになり、しかも周囲からは心無い言葉をかけられるような非常に過酷な状況の中で、どのようにして会社を立て直していこうと考えられたのでしょうか。
安本:親父の数々の苦労を見てきたから絶対に他人に会社を渡したくなかったんですよ。だからお好み焼き屋をやっていたお袋に頭を下げて「店を閉めて会社に入ってくれ、帳面だけ見てくれたらいいから」ってお願いして、お袋を2代目社長に立てて俺が専務として営業を全部一人で背負って現場を回し始めたんです。
業績拡大の裏で起きたトラブルと、どん底で気づかされた「働く意味」
ーーそこからお一人で営業を背負って業績を急拡大されていったとのことですが、その過程ではどのような困難や葛藤があったのか、当時の会社の状況と合わせて教えていただけますか。
安本:出版社時代に鍛えられた媒体の知識があったから、ターゲットに対してどの媒体に求人やプレスリリースを出せば人が集まるかっていうのが感覚として読めたんですよね。だから営業をゴリゴリやって、親父が残した8億から10億くらいの売り上げを、3年から4年くらいの間で26億まで一気に急拡大させたんです。だけど、会社の理念みたいな根っこがちゃんと張っていないのに、上に向かってばかり枝を伸ばしてしまったから、すぐに大きなガタが来ることになりました。
2005年頃、30歳だった私は経営者としての未熟さゆえに、 重大なコンプライアンス違反を起こしてしまいました。 事態は行政からの厳しい指導を受けるまでに発展し、新聞でも報じられました。 一番辛かったのは会社の矢面に立ってくれていた母の名前が代表として紙面に出てしまったことです。 社会的な信用を失い、昼夜問わず各方面からの厳しい追及や問い合わせの電話が鳴り止まず、 社内は混乱と重苦しい空気に包まれ、まさにどん底の時期でしたね。 絶望的な空気感の中で、自分の浅はかさを心底悔やみました。
ーー売り上げが伸びていたとはいえ、精神的には極限状態だったかと思いますが、その暗黒時代から経営に対する考え方や向き合い方が大きく変わるようなきっかけが何かあったのでしょうか。
安本:当時、インターネット通販の倉庫で、50人から60人くらいの派遣の女性社員を集めて小物のピッキングの現場を立ち上げていたんです。会社がどん底の空気の中、僕も週に何回か現場の巡回に行っていたんですけど、そこにすごく口うるさくて面白い元気な方がいて。その人が僕の顔を見るなり、「私ね、結婚して子供産んでキャリアが途切れて、惣菜屋やスーパーのレジ打ちとか色々やったけど人間関係とかで揉めてどこ行っても1年続かなかったのよ」って話し出したんです。「でもあんたらがこうやって定期的に見に来てアホみたいな話をしてくれるから、私ここへ来て初めて1年以上仕事が続いてるんだよ」ってすっごい笑顔で喜んでくれたんですよ。
それまでの僕は、親父が死んで「都工業は終わった」って言われたのが悔しくて、ただ見返して会社を大きくすることしか考えていなかったんです。でもその派遣の女性社員の一言を聞いた時に、「あぁ、こういう不器用な人や一度躓いてしまった人たちが、社会に戻って輝ける場所を作っていくことこそが僕たちの仕事なんだ」って心の底から腹落ちしたんですよね。
リーマン・ショックの危機と、不器用な人たちに徹底的に伴走する理由
ーーその派遣社員の方の「初めて1年以上仕事が続いてる」という一言が、今の都工業の「仕事は人を輝かせる」という確固たる経営理念に繋がっているのですね。その数年後にはリーマン・ショックというさらなる試練が訪れますが、その時はどのように乗り越えられたのでしょうか。
安本:リーマン・ショックが起き、その最中にお袋から社長を引き継いだ直後くらいに、売上が一気に減少するという過去最大の危機がやってきました。当時は派遣スタッフが750人くらいいたんですけど、そのうち500人近くの仕事が無くなってしまって、年末にかけて500人全員と一人ひとり面談して「申し訳ない、仕事が無くなった」って頭を下げて回りました。ただ本当にありがたかったのは、労働トラブルみたいなことが一件も起きなくて、スタッフさんたちが「お前は絶対に会社を潰すなよ」って逆に励ましてくれたことでしたね。
仕事が完全に無くなってしまって時間だけは山ほどあったので、社員みんなで毎日2キロとか5キロ走ったり山登りしたりしてました。だけど、こんなことだけしてちゃダメだと思い、腹を括って新卒採用を始めることにしたんです。「働く人の笑顔創りをする会社なんだ」っていう想いだけで求人を出したら、世の中がリーマンで冷え切っていたこともあって全国から2000人も応募が殺到して、面接会場のビルに長蛇の列ができてクレームが入るくらいでした。当時の1期生の子たちは数年後に結婚や転勤で辞めてしまったんですけど、会社の30周年の時に集まって、歴代の写真をまとめた手作りのアルバムを持ってきてくれたのは本当に嬉しかったですね。
ーー厳しい時期に入社されたその新卒の方々が、後にアルバムを作って持ってきてくれたという感動的なエピソードですね。現在の都工業が派遣スタッフの方々に徹底的に伴走し続ける理由についてもお聞かせください。
安本:うちの派遣事業やフィールドエンジニアリングの最大の特徴は、単に人を現場に送り込んで終わりではなくて、徹底的にその人に伴走し続けることなんです。近年の転職サイトや人材会社では様々な情報が提供されていますが、同じ派遣やアルバイトの仕事を3年続けた人が正社員になれる確率って、仕事をコロコロ変える人に比べて3.5倍くらい高いんですよ。
スポーツを思い出してほしいんですけど、バスケットでもサッカーでも、始めたばかりの最初の頃ってパスは通らないしシュートも入らないから絶対につまらないじゃないですか。練習してみんなと同じくらいパスが繋がるようになって、たまにリバウンドが取れたりシュートが決まったりして周りから頼られるようになるから、そのスポーツが好きになるわけです。仕事もまったく一緒で、中途で出来上がっている現場に一人で入った最初は、みんなと同じようにできないからつまらないだけなんですよ。「仕事や職場がしっくりこない」と感じる時があっても、それは決して向いていないからではなくて、まだコツをつかむ途中にいるだけだと思うんですよね。
だからうちの社員たちは産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取って、「トイレの場所聞いていいのかな」とか「この検査ってどこを見るのがコツなのかな」みたいな初歩的な不安を一つひとつ解消して、周りから頼られて仕事が面白くなるまでのステップを一緒に歩むようにしているんです。
互いのプライベートに踏み込みすぎない。プロの集団としての「職場の体温」
ーー派遣スタッフの方々に伴走する一方で、社員同士の人間関係や働き方については、どのようなカルチャーや価値観を大切にされているのでしょうか。
安本:昔はそれこそ元旦からみんなで集まって新年会を開催したり、毎月入社3年目までの社員全員と居酒屋で飲み会をしたり、社員がプライベートで抱えている問題や課題を共有してみんなでサポートしたりするような、良くも悪くもベタベタした人間関係の会社だったんですけど、ある時期から働き方に対する考え方を変えたんです。例えばシングルで子育てをすることになった社員に対して、子どもの通園時間を考慮して勤務時間やシフトを配慮したり、時には若い社員の個人的な借金の肩代わりをしたこともありました。当時はそれが良い会社で良い社長なんだと勘違いしていましたね。実際は社員の中に、何でもかんでも会社や同僚に甘える者と、様々な背景を自分でクリアにして出社してくる社員との間に、大きな溝を作っていきました。職場には親の介護や離婚の協議中など、誰しもそれぞれプライベートで大変な事情を抱えているものですが、そこは個人でクリアにして集まるのがプロの職場だというふうに割り切るようにしたんです。
個人の事情は理解するけれど、組織として深く介入はしないというスタンスに変えてからの方が、お互いが自立したプロの集団になって職場の空気がすごく良くなりましたね。その一方で、大雪の日なんかにはスタッフさんの通勤が滞りなくできるように、自分も大変なのに1時間早く来て雪かきをしてくれるような先輩たちがたくさんいるんですよ。他人のために汗をかいて自己犠牲を払っている時がその人が一番輝いている瞬間だと思っていて、そういうプロ意識を持った美しい連中が集まっているのが今の都工業の強みだと思っています。
目の前の仕事から逃げるな。ウルトラマンにはいきなりなれない
ーー最後に、愛知で働く20代から30代の若手に向けてメッセージをお願いできますでしょうか。
安本:夜中に一人で「このままでいいのかな」なんて悩んでいる方に一番言いたいのは、「今、目の前にある環境や状況は、今の自分にとってちょうどいいレベルのものなんだ」ということです。今の自分にとってちょうどいい場所から抜け出したい、もっと上に行きたいと思うなら、青い鳥を探してスマホで転職サイトを眺めるのを今すぐやめなさいって言いたいですね。いきなりウルトラマンやスーパーマンになろうとしたってなれるわけがないんだから、まずは誰もができる当たり前のことを、誰よりも愚直に一生懸命やればいいんですよ。
朝誰よりも早く相手より大きな声で「おはようございます」って挨拶をするとか、会社の周りや自分の部屋の掃除をするとか、決められた出社時間に遅れずに毎日通って目の前の作業をやりきるとか、誰もができるけど誰もやらないことを徹底的にやり続けることからしか自分の未来なんて広がっていかないんです。職場っていうのは本当にすごい場所で、仕事を通じて仲間ができて、誰かに感謝されて、お給料をもらって、人として成長させてもらえるかけがえのないところなんです。自分が情熱を傾けて汗をかいた分しか仕事も職場も自分に応えてくれませんから、仕事は人を輝かせてくれるものなんだと信じて、まずは今目の前にある仕事に向き合ってみてほしいですね。

「仕事がダルかったりイヤなんじゃない、それはまだ君がコツをつかむ途中にいるだけ」
安本社長のストレートな言葉に、思わずハッとさせられた人は多いのではないでしょうか。
効率やタイパがもてはやされ、少しでも合わないと感じたらすぐに「転職」の二文字が頭をよぎる今の時代。しかし、安本社長が語る泥臭いまでの「伴走」や、他人のために汗をかく社員たちのエピソードには、条件や待遇だけでは測れない確かな「職場の体温」がありました。
夜中にふと「このままでいいのかな」と焦りを感じた時、私たちはついどこかにいるはずのスーパーヒーローを探してしまいがちです。しかし、自分が本当に輝ける居場所は、明日いつもより少しだけ大きな声で挨拶をしたり、面倒な目の前の作業から逃げずにやり切った、その延長線上にしかないのかもしれません。
幾多の修羅場を乗り越え、2026年10月1日に「みやこワークス株式会社」として新たに生まれ変わります。同社が持つ圧倒的な熱量は、働くことの本来の面白さと、一つの場所で踏ん張る覚悟を私たちに教えてくれました。
この記事を書いた人
河本さゆり
中途入社6年目。前職の保険営業で培った寄り添う姿勢を大切にしています。社長との対話から企業に眠る「まだ知られていない魅力」を丁寧にすくい上げ、求人票には載っていない「リアルな社風」や「トップの熱意」をどんどん引き出します。仕事探しに役立つ記事をお届けし、皆さんの最高の出会いを全力で応援します!
営業
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