「先生の話、何も響かん」顧客の一言で定まった自分の軸。組織崩壊を経て見つけた、働く意味と人間的成長 ——伊藤誠悟税理士事務所

「先生の話、何も響かん」顧客の一言で定まった自分の軸。組織崩壊を経て見つけた、働く意味と人間的成長 ——伊藤誠悟税理士事務所

伊藤 誠悟氏

伊藤 誠悟氏

伊藤誠悟税理士事務所

所長

(いとう せいご)/愛知県出身。26歳で税理士事務所を営んでいた父が急逝し、急遽事務所を継ぐ決意をする。当時は資格を持っておらず、フリーター生活から一転、実務をこなしながら7年間の猛勉強の末、33歳で税理士資格を取得。その後、他の事務所での修行を経て「伊藤誠悟税理士事務所」として独立を果たす。 顧客の「事業発展の支援」に並々ならぬ情熱を持ち、時には耳の痛い意見もはっきりと伝える姿勢が多くの経営者から支持されている。過去には組織化の失敗や社員の離職という苦い経験も味わったが、常に前を向き、失敗を糧に「アメーバ的な組織」という新たな形を模索中。事務所の規模拡大よりも、顧客と社員双方の成長と幸せを第一に考える、熱くて人間味あふれるリーダー。

愛知県に拠点を置き、経営者の「事業発展の支援」に寄り添い続ける伊藤誠悟税理士事務所。今回は、所長の伊藤誠悟氏にお話を伺いました。税理士や士業と聞くと、どこか堅苦しくて隙のないエリートを想像するかもしれません。しかし、伊藤氏の口から語られたのは、26歳で直面した予期せぬ困難、泥臭く這い上がった下積み時代、そして組織崩壊という大きな挫折のリアルな物語でした。失敗を隠すことなく等身大で語るその言葉には、働くことの“体温”が確かに宿っています。

 

 

26歳での突然の転機。フリーター生活から「やるしかない」状況へ

 

——伊藤先生がご自身の税理士事務所を立ち上げられるまでの経緯を伺うと、そこには決して平坦ではない道のりがあったとお聞きしました。

 

伊藤所長(以下、伊藤):実は、父が同じように税理士事務所をやっていたんですが、私が資格を取る前に父が急に亡くなってしまったんです。私が26歳の時でしたね。当時は私自身に資格もなく、父の事務所に入ってまだ半年くらいしか経っていなかったので、実務の経験も全然ない状態でした。亡くなった時は『どうしよう』と途方に暮れましたが、以前からお世話になっていた別の先生が代わりに面倒を見てくださることになり、私はそこで働きながら資格の勉強をすることになったんです。

いずれは自分が後を継ぐという予定は最初からありましたが、全然想像もできていない時期にそのタイミングが早まってしまった感覚でした。正直なところ、ひょっとしたら父が生きていたら、どこかのタイミングで1回仕事を辞めて、早く資格を取るために勉強だけに集中した時期があったかもしれません。実務を覚えながら勉強を両立するというのは、プレッシャーも半端ではなくて本当に大変でしたから。

 

——突然の別れと重圧の中で、働きながらの試験勉強は想像を絶する苦労があったと思います。当時のご自身の心情はどのようなものだったのでしょうか。

 

伊藤:もう腹をくくって『やるしかない』という気持ちだけでしたね。というのも、実はその事務所に入る前は、親に甘えてフリーターをしながらギャンブルなんかをして、少しプラプラと遊んでしまっていた時期があったんです。だからこそ、そのツケというか、これまでの苦労が一気に押し寄せてきたような感覚でした。

当時は、早く帰って勉強するなんてこともなかなかできなくて、仕事から帰った後や休みの日に必死に勉強する日々でした。最終的に資格を取って自分の看板で独立するまでに7年ほどかかったんですが、受かった時は『ようやくホッとできる』という安心感が一番大きかったですね。面倒を見てくれていた師匠のような先生の事務所で半年ほど経験を積ませてもらい、33歳でようやく自分の看板を出してスタートを切ることができました。

 

「先生の話、何も響かん」お客様の厳しい一言で見つけた自分の軸

 

——ご自身の看板を掲げて独立された後、事務所を拡大していく過程で、どのような壁にぶつかり、それをどう乗り越えてきたのでしょうか。

 

伊藤:自分の名前でやり出した時の大きな転換点になった出来事があるんです。独立当初は、父の代からお付き合いのある古いお客さんのところへご挨拶に行って、ある程度はお客さんの考えに合わせながら、同調して会話をしていたんですよ。そうしたらある時、お客さんから『先生の話、何も響かん』ってハッキリと言われてしまって。

それは当然ですよね、私がただ相手に合わせて話しているだけで、自分自身の芯が何もなかったわけですから。その出来事があってから、自分は父と同じになる必要はないんだと気がつきました。自分の思いをしっかり持って、自分はこれだけは負けないと思っている特色を、いくら若くてもしっかり伝えていかなければならない。たとえお客さんに嫌われてご縁が切れてしまったとしても、自分の思いを伝えていこうと決意したんです。

 

——「嫌われてもいい」と覚悟を決めるのは、経営者として非常に勇気のいる決断だったのではないかと推察します。

 

伊藤:そうですね。でも、結果的にそうやって自分の軸を持って本音でぶつかるように意識を変えてからのほうが、ありがたいことにお客さんは増えていったんです。厳しいことを言ってくださる方というのは本当に少なくて、多くの方は何も言わずにただ静かに離れていってしまうものですから、身をもって教えてくれたそのお客さんには今でも本当に感謝しています。

ただ単に税務や財務の数字を合わせるだけの付き合いではなく、経営者が事業をより良くしていきたい、大きくしていきたいという思いを持っているなら、そこを一緒に応援できるような事務所でありたい。そういう『事業発展の支援』に特化して伸ばしていきたいという自分なりの特色が、その時に明確になったんだと思います。

 

 

組織化の失敗と崩壊。自分が120%で走った1年間

 

——事業が成長し、採用も進めていく中で、ご自身の理想と事務所の現状との間にギャップを感じるようなことはありましたか。

 

伊藤:そこは本当に苦労した部分ですね。業界の時代自体が変わっていく中で、やり方や手段を新しく変えていかなければならない時期がありました。私自身には『こういう支援をしていきたい』という強い思いがある一方で、昔ながらの事務所の体質も残っていて、新しく入ってくれたメンバーとの間にもギャップが生まれてしまったんです。

事務所を組織化していきたいと思って力を入れて取り組んだ時期があったんですが、少しベテランのメンバーに任せきりにしてしまった部分があって。自分があまり現場の調整に入らずに、しっかりと指示を出して引っ張るべき部分と、現場のスタッフに任せる部分のさじ加減を間違えた結果、うまく回らずに組織が崩壊してしまったことがありました。ポツポツと人が辞めてしまって、あの時は本当に『やばいな』と危機感を感じましたね

 

——組織が崩壊しかけるというピンチを、伊藤先生ご自身はどうやって乗り切ってこられたのでしょうか。

 

伊藤:もう、自分がプレイングマネージャーとしてやるしかないと覚悟を決めました。新しい人が入ってくれても、すぐにすべてができるわけではないので、育つまでにどうしても1年から1年半はかかります。だから『この1年半は自分が死ぬ気でプレイヤーとして動くしかない』と腹をくくって、自分のキャパシティの120%で実務をこなしながら、経営者としても動くという時期を過ごしました。

精神的にも体力的にも本当にしんどい時期でしたが、なんとか乗り切れたのは、落ち込んでも何ともならないから『次をどうするか』と前を向くポジティブな思考を意識していたからかもしれません。今は以前のような無理な型にはめる組織化はやめて、今いるメンバーの特色に合わせてプロジェクトごとに柔軟に動く、アメーバ的な組織でいいんじゃないかと考えるようになりました。

 

 

本当の「事業発展」とは。スキルより人間としての成長を求める理由

 

——紆余曲折を経て現在に至るわけですが、伊藤先生がこれからの事務所や社員の皆様に対して抱いているビジョンを教えてください。

 

伊藤:私は事務所の規模をむやみに大きく拡大しようとは思っていなくて、事業を伸ばしたいという強い意思のあるお客さんに寄り添い、高単価でもしっかりとした支援ができる事務所になっていきたいんです。正直なところ、私たちが手伝わなくても伸びる会社は伸びます。それは経営者の思いや覚悟、行動力によるものだからです。でも、そこができずに伸び悩んでいる方も多いので、そこを全力でサポートしたいと思っています。

そのためには、社員一人ひとりがただの作業者としてではなく、お客さんの事業成長を支える存在として成長してほしいと強く願っています。一つの見方にとらわれることなく、人間的に成長していかないと、本当の意味でのお客さんの支援は絶対にできないと思うんです。だからこそ、社員の人間的な成長を事務所としてもしっかりと支援していきたいと思っています。

 

——社員の成長が、結果的にお客様への貢献に繋がり、それが事務所の成長にも還ってくるということですね。

 

伊藤:本当にその通りです。社員が成長してくれて、自然とお客さんから感謝されるような仕事ができれば、事務所としての価値も上がり、結果として社員にもしっかりとした給与という形で還元できるようになります。忙しさに見合った待遇をきちんと用意するためにも、まずは根っこの部分である『人間性』を大切にしてほしいですね。

面接の時にも、ただ給料や休みが欲しいというだけでなく、お客さんの事業発展に興味を持ち、そこに前向きにコミットしてくれるかどうかを重視しています。そういう思いを共有できるメンバーと一緒に成長し、お客さんから心から感謝されるような好循環を作っていくことが、私がこれから目指している一番の形です。

 

今回お話を伺いながら、伊藤先生の「実は昔、プラプラしていて…」という飾らない言葉に、思わず親近感を抱いてしまいました。税理士事務所の代表という肩書きからは想像できないほど、泥臭くて、たくさん失敗をしていて、それでも逃げずに踏ん張ってきた。その人間臭さこそが、伊藤先生の最大の魅力であり、事務所の「体温」そのものなのだと感じます。毎日仕事をしていると、「今のままでいいのだろうか」「自分はただの歯車なのではないか」と焦る瞬間があります。でも、完璧な経営者なんていないし、最初から立派な志がなくてもいい。失敗して、お客様から厳しい言葉をもらって、そこから自分だけの信念を見つけていけばいいんだと、伊藤先生の等身大の歩みが教えてくれたような気がします。

この記事を書いた人

岡田大貴

岡田大貴

2011年中途入社。求人広告業界歴18年以上。一貫して愛知県の中小企業様の採用をご支援。アルバイト・パート・派遣から正社員まで幅広い雇用形態に対応可能。常にお客様に寄り添う「伴走型」のパートナーとして、採用課題の解決に向けて一緒に取り組んでいる。

営業

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