目次
上浜 諒氏
中部エコバイオ合同会社
代表
(かみはま まこと)/ 専門学校を卒業後、20代前半で廃油回収業を始めるも詐欺に遭い挫折を経験。タンクローリー運転手等を経て30歳で独立する。事業を通じて中部エコバイオ創業者の阪本氏と出会い、環境保全への想いに共鳴。2021年、倒産寸前だった同社の代表を「この人を裏切れない」という義理人情で引き継ぐ。独自の買取モデルとSDGsの追い風を受け、現在会社を全国展開へと急成長させている。
愛知県を中心に、飲食店などから排出される使用済みの廃食油を回収し、環境に優しいバイオ燃料などへと生まれ変わらせる事業を展開する中部エコバイオ合同会社。現在でこそ世の中の「SDGs」の追い風を大きく受け、年間数億円の売上を誇る急成長企業として注目を集めていますが、ほんの数年前までは倒産寸前の厳しい状態にありました。2021年、そんな経営難に陥っていた同社の代表を引き継いだのが、今回お話を伺った上浜諒さんです。20代前半での手痛い詐欺被害による大きな挫折、そして「この人を裏切れない」という義理人情だけで泥舟に乗り込んだ決断。人生のどん底から這い上がり、やがて時代をも味方につけて名だたる企業を巻き込んでいくまでの、嘘のような本当の逆転劇を伺いました。
儲け話から始まった20代の挫折と、そこからの這い上がり
——もともとは全く違う業界からキャリアをスタートされたと伺いました。
上浜社長(以下、上浜):専門学校を出て最初はスポーツトレーナーの道を目指していた時期もあったんですが、全く活かせていないですね(笑)。二十歳ぐらいの時に同級生や後輩に声をかけて、飲食店の廃食油を回収するビジネスを始めました。すごい言い方が悪いんですが、お金をかけて捨てているものをタダで引き取って売却すれば儲かるんじゃないかっていう、ものすごく単純な動機だったんですよ。お金になるんだったら面白いぞって、勢いだけで飛び込みました。
——若い頃特有の野心というか、ビジネスの匂いを嗅ぎつける嗅覚があったんですね。
上浜:ただの野望だけですよね。会社としては全く成り立っていないような個人事業主の集まりで、自分たちで回収して、間に入っている油の商社さんに売却するという形をとっていました。でも、そこで間に入っていた人に騙されてしまったんです。自分たちが一生懸命集めて売却したお金がうちに入金されず、そのまま中抜きされて飛んだんです。絶対に見つけ出してやろうと思っていましたね。
——それは20代前半という若い時期に経験するには、あまりにもしんどくて過酷な状況ですよね。
上浜:でも僕が声をかけて手伝ってもらっていた仲間たちには、やっぱりきちんとお金を払わないといけないじゃないですか。だから無理やりお金を作って帰ってきて、彼らには払う、でも自分には一向にお金が入ってこない。そこから少しその業界から離れて、今度は全く関係のない石油販売の会社でタンクローリーの運転手として働き始めました。工事現場の重機って現場に入るとガソリンスタンドに行けないので、そこに直接行って軽油を給油する作業ですね。これが僕にとって初めてのサラリーマン経験になりました。その後、30歳の時に独立して、「MKT」という石油販売の会社を自分一人で立ち上げたんです。
「この人を裏切れない」。泥舟を承知で引き受けた代表の座
——そこから、現在の中部エコバイオの創業者である阪本さん(当時60代)と出会うわけですね。
上浜:僕が石油販売の代表としてやっている時に、油を積みに行く油槽所の管理をしていたのが阪本だったんです。顔なじみになって話すうちに、僕が昔、廃食油の回収をやっていたこともあって、高く買ってくれるお客さんを紹介したりと、いろいろと手助けをしていたんです。阪本は僕よりずっと年上で、生きていれば今は75歳くらい。彼が2018年頃に、「廃食油から生分解性のチェーンソーオイルを作りたいから一緒にやってくれ」と相談してきたのが、本格的に関わるようになったきっかけです。
——なるほど、環境に優しい植物由来のオイルを自分たちの手で作ろうという、新しい構想だったわけですね。
上浜:チェーンソーって木を切る時に、潤滑油を飛ばしながら、周囲に巻き散らしながら切るんですよ。それがほぼ100%石油由来の鉱物油だと、山にどんどん散布されながら木が切られていることになる。これは環境的によろしくないじゃないですか。だから植物由来の廃食油で作れば土に還るし、環境負荷も減らせる。その提案を受けて、めちゃくちゃ面白そうだなと思って手伝い始めたんです。ただ、完成したらすぐに売れるだろうという安易な考えとは裏腹に、全く売れませんでした。
——環境に良いという理念だけでは、なかなか現場に変えてもらうのは難しかったと。
上浜:結局、既存の石油由来のオイルの方が圧倒的に安かったんです。わざわざ高いお金を出して環境に良いものに変える必要がないというのが、当時の世の中のリアルな状況でした。従業員は2名だけで回収量も少なく、売上も月に数百万円あるかないか。経営的にも本当に困難で、赤字を垂れ流しているような状態でした。そんな中で阪本から「代表をやってくれないか」と頼まれたのが、2021年のことです。
——ご自身の会社からの資金援助もしていて事業としても厳しい状況の中で、それでも引き継いだ最大の理由は何だったのでしょうか。
上浜:ずっと資金を入れていて引くに引けない状況だったのもありますが、一番は阪本が非常に人たらしな人間だったということです。色々と悩みましたが、「この人のために裏切れないな」という想いが自分の中にありました。最初は「任せるからお金だけ出すよ」というスタンスだったんですが、こんな状態で共に潰れてしまうのも困るし、とことん入り込んで勝負してやろうと。従業員も増やして、悔いなくやりきって、これでダメだったらもう諦めようと腹を括って引き受けることにしたんです。
ゴミがお金に変わる瞬間。時代が追いつき、風向きが変わった夜
——代表に就任されてから、どのようにしてそのどん底の状況を打開していったのですか。
上浜:経営として成り立っていなかったので、まずはとにかく回収量を増やそうと動きました。当時は他の飲食店は油を捨てるのにお金を払って、廃棄物として処理している時代でした。そこに対して私たちは、名古屋市の保育園の給食から出る油の回収入札に参加したりして、赤字ギリギリの値段をつけてでも買い取るという営業を始めたんです。「油はゴミじゃないですよ、資源ですから買い取らせていただきます」と言って回ると、飲食店さんからはめちゃくちゃ喜んでもらえました。
——お金を払って捨てていたゴミが、逆にお金をもらえる資源に変わるわけですから、喜ばれますよね。
上浜:限られた人数で効率よく回るために、飲食店と繋がりの深い酒屋さんと代理店契約を結んで一気に紹介してもらったりもしましたね。そうやって必死に営業して回収量を増やし始めたタイミングで、ちょうど世の中に「SDGs」や環境問題への意識というワードが強く出てきたんです。首の皮一枚の勢いで突っ込んでいったら、廃食油に対する価値がどんどん上がっていって、結果的にそれが大きな利益に繋がるようになりました。
——諦めずに泥臭く動いていたところに、時代の方が後から追いついてきたのですね。
上浜:本当に一番変わってきたなと実感したのは、環境にとって廃食油が立派な資源に変わるんだと世間から認められ始めた時期ですね。それまでは「何してんの?」と言われるような状況で、設備投資もしなきゃいけないし、資金繰りも常にギリギリのラインを追っかけていましたから。忘れもしないですが、その年の年末に阪本と2人で飲んでいて、「ちょっと風吹いてきたね、いけんじゃねえのこれ」なんて話し合ったのは、すごく記憶に残っています。そこから世間的な注目度も、会社としての立ち位置も一気に変わっていきました。
大企業すらも巻き込んでいく。仕事の面白さは自分たちで創れる
——現在では、当時の状況が嘘のような大きな成長を遂げていると伺いました。
上浜:阪本がやっていた時は月に20トン未満だった回収量が、今では月に約200トン、売上も4億円規模にまで伸びました。従業員も20名を超えて、愛知だけでなく兵庫県の神戸に営業所を出しました。これはうちの従業員が「地元に戻って同じことをやりたい」と言ってくれたのがきっかけで、「じゃあ関西全部ひっくり返してやろう」と本体で営業所を出したんです。関西には大手が多数あったんですが、そこに対しても真っ向から営業をかけて、どんどん増やして牽引・拡大する存在へと急成長を遂げました。
——関西での成功を経て、今後さらに全国へ展開していく予定はあるのでしょうか。
上浜:富山、広島などの代理店さんとも連携してエリアを広げています。さらに10月から関東への進出もスタートします。関東は東海の何倍も規模が大きいですし、強力な競合もひしめいていますが、うちはすでに値段をつけるノウハウがあるのでスピード勝負で一気に仕掛けようと思っています。面白いのが、今では自分たちだけで必死に営業しているわけではないんですよ。バイオディーゼルや廃食油を必要としている超大手企業の方々が、うちの営業マンとして動いてくれているんです。
——名だたる企業が、中部エコバイオさんのために営業をしてくれる状況になっていると。
上浜:名だたる企業が、「うちに油を持ってきてほしい」ということで、大きな工場などの案件をどんどん紹介してくれるんです。「月に4〜50件は紹介できるよ」と言っていただけるくらいに。20代の頃に軽い気持ちで始めて失敗し、どん底から引き継いだ泥舟のような会社が、今では日本を代表するような企業を巻き込んでビジネスを動かしています。大変なことは毎年のようにありますが、これだから仕事は面白いですし、まだまだこれから先の景色を見てみたいですね。

「泥舟からは降りるのが正解」。条件やメリット・デメリットだけで考えれば、間違いなく誰もがそう判断する場面だったはずです。それでも上浜さんが倒産寸前だった会社の代表を引き継いだのは、「この人を裏切れない」という極めて人間くさく、義理と人情に溢れた真っ直ぐな理由からでした。
効率やコストパフォーマンスという言葉がもてはやされ、キャリアの「正解」をいかに賢く最短距離で探し当てるかが重視されがちな今の時代。だからこそ、上浜さんのように、損得勘定を抜きにして人と向き合い、熱量を持って仕事に突っ込んでいく大人の姿は、なんだかとても眩しく、そして力強く映りました。
「このままでいいのかな」と自分の働き方に立ち止まりそうになった夜。条件面や正解探しを少しだけ横に置いて、誰かのために本気で汗をかいてみる。そんな“体温のある働き方”の先にこそ、時代や大企業をも巻き込んでいくような、本当の意味での仕事の醍醐味が隠されているのかもしれません。
この記事を書いた人
宗宮彰良
ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。
営業
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