堅実な基盤を守りながら、AIを使った新しい構想も。「今のままでいいのかな」と立ち止まる夜に読みたい、手探りだけど前に進む大人のインタビュー

堅実な基盤を守りながら、AIを使った新しい構想も。「今のままでいいのかな」と立ち止まる夜に読みたい、手探りだけど前に進む大人のインタビュー

原 健一氏

原 健一氏

株式会社システック

代表取締役

(はら けんいち)/名城大学卒業後、輸入車販売に4年間従事。外資系医療機器メーカーでの営業を経て、33歳で実父が創業した同社に入社。親の職業を知らずに育ち跡継ぎの意識はなかったが、コロナ禍を機に入社を決意。業界未経験・最年少社員として下積みを経て、2024年6月に2代目社長に就任。現在は「アトツギ甲子園」に出場し、AIを用いたビル管理の新規事業を構想するなど、新たな挑戦を続けている。

愛知県で働く20〜30代の「このままでいいのかな」と悩む読者に向け、働く人たちの体温やリアルな手触りが伝わるインタビューをお届けするツムログ愛知。今回お話を伺ったのは、愛知県内でビルメンテナンス事業を展開する株式会社システックの2代目代表取締役である原社長(以下、原)です。親が社長であることを全く知らずに育ち、大学卒業後はカーディーラーや外資系医療機器メーカーでご自身のキャリアを築いてこられました。そんな原さんが、コロナ禍をきっかけに33歳で実父が創業した同社へ入社し、全くの異業種から「ゼロベース」で再スタートを切ったリアルな葛藤や、働く上で大切にしている素直な姿勢について迫ります。

 

 

親が社長だとは知らされていなかった。サウナの設備管理から始まった堅実な家業

 

——創業社長の息子として生まれながら、ご自身としては全く家業を継ぐ気がなかったと事前のプロフィール等で拝見して大変驚いたのですが、当時はどのような状況だったのでしょうか。

 

原:私自身は全くこの会社を継ぐつもりがなかったというのが正直なところでして、というのも父の職業や役職を家庭内で全く知らされていなくて、自分が社長の息子だという認識がそもそもありませんでした。

 

——それはかなり珍しい環境だと思いますが、ご両親としてはどういった意図や教育方針があって、あえてご自身の会社のことを伏せていらっしゃったのだと思われますか。

 

原:後々になって母親から聞いた話なのですが、自分の子供に対して「父親が社長だ」と言ってしまうと、お金の使い方や周囲への振る舞いなどに悪い影響が出るかもしれないから言わない方がいいという方針があったようです。確かに思い返してみても、私の実家はそこまで裕福な暮らしをしていたわけではなくて、大学も行かせてもらいましたが、かなり堅実で質素な生活をしていました。

 

——会社の成り立ちを少しお伺いしたいのですが、お父様が1980年に創業されてから、どのようにして現在のビルメンテナンス事業や物件の管理を拡大されていったのか、その背景を教えていただけますでしょうか。

 

原:もともと弊社のルーツはサウナ業界大手企業の大元の会社の設備管理を行う部署でして、当時の社長から独立を勧められて、最初はサウナの設備管理からスタートして少しずつオフィスビルや工場へと広げていきました。周りの創業社長の話を聞くと、夜の街でお金を使っていたり派手な方が多いのですが、私の父は本当に堅実なタイプですし、母親も周りの目を気にするタイプで「社長夫人」という態度を全く出していませんでした。だからこそ、兄弟も含めて会社を継ぐという選択肢はないまま普通に就職して、新卒ではカーディーラーで働き、その後は外資系の医療機器メーカーへと転職していきました。

 

 

敷かれたレールはなかった。外の世界で揉まれ、コロナ禍で迎えた33歳の転機

 

——カーディーラーや医療機器メーカーの営業としてご自身のキャリアを築かれてきた中で、33歳の時にシステックへ入社されていますが、具体的にどういった出来事がきっかけになったのでしょうか。

 

原:ちょうどコロナ禍に入ったタイミングで、私が働いていた医療機器メーカーの仕事もテレワークになり、家にはまだ小さい娘がいたので、実家で仕事をするようにしていたんです。その時に父も家に帰ってきたりして、土日も含めて顔を合わせた時にちょろっと話をする機会があり、当時の私は医療機器メーカーの営業として、商品の欠品などで少し苦しい時期を迎えていることを父に話していました。そうやって仕事の話をしている時に、突然父から「継ぐつもりはあるか」と聞かれたのが一番最初のきっかけで、私にとってもそれは寝耳に水というか、急な打診で非常に驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

 

——お父様としてもずっとタイミングを見計らっていたのかもしれませんね。その時に初めて家業を継ぐという選択肢が原さんの中に生まれたわけですが、なぜ異業種への挑戦を決断できたのでしょうか。

 

原:後から聞くと、当時社長だった父が退任の時期に差し掛かっていて、当時の社長候補(以下、Aさん)の方に株をどうやって引き継ぐかという悩みがあり、その方にお渡しするには多額の資金が必要になるという現実的な問題があったようです。父としては事業承継をすることには少し後ろ向きだったらしいのですが、ただビルメンテナンスを続けてほしいというわけではなく、「何か新しいことをやってくれないか」という要望をもらいました。私自身もビルメンテナンス自体にはそれほど興味はありませんでしたが、体を動かすことや下積みが必要だという部分も理解しつつ、新しい事業を始めることや経営そのものに興味があったので、やってみるかと入社を決めました。

 

 

全員が年上の職場で貫いた、見栄を張らない「ゼロベース」の姿勢

 

——全くの異業種からの転職ということで、現場に出なければいけないことに対する葛藤や、正社員の方々との関係構築など、入社当時はどのような苦労ややりづらさがあったのか教えていただけますでしょうか。

 

原:現場に出ることへの抵抗は全くなかったのですが、当時の会社は正社員が10名ほどいる中で私が一番最年少でしたし、現場で働いているパートの方々も含めて全員が私よりも年上という非常に特殊な環境でした。

 

——20代後半から30代前半にかけて別の業界である程度キャリアを積まれていると、どうしても変なプライドが邪魔をしてしまうこともあるかと思うのですが、その点はいかがでしたか。

 

原:私自身はそこに対して特にやりづらさは感じていませんでしたが、周りの従業員からすると社長の息子が急に入ってきたわけで、すごく気を使わなければいけないという空気感や負担を与えてしまっていたとは思います。ただ、私の場合はビル管理という業界が完全に未経験だったのが逆に良かったですね。もしそこで変に業界経験があったらプライドが邪魔をしてやりづらかったかもしれませんが、全くのゼロベースだったので素直になれました。だからこそ、「右も左も分からないので、どうか全部教えてください」というスタンスで先輩方にお願いすることができましたし、前職での尊敬すべき上司たちから学んだビジネスの基礎があったからこそ乗り越えられました。

 

——入社されてから社長に就任されるまでの5年間で、お父様である会長と、先ほどお話に出たAさんとの間で板挟みになるようなご苦労もあったのではないかと推測しますが、実際はいかがでしたか。

 

原:おっしゃる通りで、入社して3年目に役員についたのですが、当時社長だったAさんと、血の繋がった私の父である会長との間で板挟みのような状態になり、非常にストレスのかかる時期もありましたが、組織内の様々な人間関係のいざこざや葛藤を乗り越えながら、今年の6月にようやく2代目として事業を承継することができました。

 

 

採用難の時代に立ち向かうための試行錯誤と、外部への情報発信の重要性

 

——現在、様々な企業で人手不足が深刻化していますが、御社でも採用活動において媒体を活用されたり、採用専用ページを制作されたりと、かなり力を入れて取り組んでいらっしゃるそうですね。

 

原:そうですね、採用をうまく進めるためにどうしたらいいのか常に考えておりまして、最近ではホームページの採用専用ページを新しく作ったり、スカウト媒体やSNSを活用した発信も積極的に行うようになりました。少し前であれば特定の求人媒体が一強の時代でしたが、AIの台頭によって求職者の調べ方も大きく変わってきており、今後は求人のあり方そのものが間もなく形を変えていくのではないかと個人的には思っています。

 

——AIの台頭によって求職者の調べ方も大きく変わってきているというお話ですが、知名度の高くない中小企業がそうした変化の中で勝ち残っていくためには、どのような工夫が必要だとお考えでしょうか。

 

原:今の若い子たちは検索エンジンを使わずにチャットGPTなどのAIに自分の経歴を入力して「自分に合う会社を教えて」と調べるようになってきているので、AIが読み込んでくれるような情報を外部に発信することが重要です。AIのシステムは自社のホームページの内容よりも外部の客観的な情報を評価する傾向があるという話も聞きますし、だからこそ自社のサイトを強化するだけでなく、第三者の目線が入った情報発信がカギになると考えています。私たちのような知名度のない中小企業が、大企業と同じ土俵で戦っていくためには、そうした最新のテクノロジーの動向をしっかりと把握しながら、費用をかけずにできる工夫を地道に続けていくしかないと実感しています。

 

 

アトツギとしての葛藤と、AIを使ったビル管理の「新しい景色」

 

——様々なご苦労を経験されながら今年(2026年)6月に2代目社長に就任されて、新しいことにも積極的に挑戦されていると伺いましたが、今はどのような目標や新規事業の構想をお持ちなのでしょうか。

 

原:今年の初めに「アトツギ甲子園」という経営者の後継ぎが新規事業のアイデアを発表するピッチ大会に参加させていただきまして、そこでAIを使った新しい建物管理のシステムについてプレゼンテーションを行いました。ビルやマンションの管理というと、どうしても人が介在する労働集約型のビジネスになりますが、これからの時代は確実に働き手が少なくなっていくので、AIを使って建物の管理ができないかとずっと考えていたんです。入社する前からデジタル化による効率化の構想は少しずつ練っていて、最近になってAIが普及し始めたことでまさに実現できるのではないかと思い、まずはプロの意見を聞いてみようと大会に出てみたという経緯があります。

 

——お父様が築き上げてきた盤石な基盤があるからこそ、そうした新しいテクノロジーを取り入れた挑戦ができるのだと思いますが、ご自身の中で先代に対する思いや今後の展望はどう描いていらっしゃいますか。

 

原:創業者の父は本当に堅実な人で、周りの創業者たちから聞くような派手な遊び方や借金の話も全くなく、コツコツと顧客を増やして企業を安定させてきた実績を非常に尊敬していますし、その基盤には深く感謝しています。だからといってその安定した環境にあぐらをかくのではなく、この業界の中で新しい製品を開発したり、私たちがシステムのメーカーとなってそれを販売するような立ち位置を目指したりと、新しい景色を作っていきたいですね。異業種に手を広げるつもりはありませんが、父が守ってきた事業を土台にしながら、私だからこそできる新しい挑戦を続けていくことが、会社や従業員、そしてこの業界の未来を良くしていくことにつながると信じています。

 

——働き手が減少していくという業界全体の大きな課題に対して、外の世界を経験してきた原社長だからこそ持ち込める新しい視点や、現場の声を大切にする素直な姿勢が、システックのこれからの成長を支えていくのだと感じました。

 

原:私自身、経営者としてはまだまだこれからですし、毎日が手探りの状態ではありますが、先代が残してくれた堅実な基盤をしっかりと守りつつも、失敗を恐れずに泥臭く新しいことへの挑戦を続けていきたいと思っています。

 

 

20代後半から30代へと差し掛かり、今の仕事にある程度慣れて後輩もできるようになると、自分の中に芽生えた小さなプライドが邪魔をして「素直に人に教えを乞う」ことが難しくなる瞬間が誰しもあるのではないでしょうか。

だからこそ、33歳にして全くの未経験業界へ飛び込み、自分より年上の社員たちに向かって「右も左も分からないので、どうか全部教えてください」と真っ直ぐに言える原社長のゼロベースの姿勢には、私たちが働く上でいつの間にか忘れかけていた大切なスタンスをハッとさせられる思いがしました。

親の会社を継ぐという出来事は、端から見ればあらかじめ「敷かれたレール」の上を歩いているように思われがちですが、実際には外の世界でしっかりと揉まれ、悩み抜いた末に自らの意志で選び取った泥臭い「再スタート」だったということが今回のインタビューの言葉の端々から伝わってきます。

先代が長年かけて築き上げた堅実な土台に心からの敬意を払いながらも、決して現状にあぐらをかくことなく、AIを活用したシステム開発など新しい景色を描こうと手探りで奮闘する株式会社システックには、確かにそこで働く人たちのリアルな体温が通っていました。

「今のままでいいのかな」と漠然とした悩みを抱えて立ち止まりそうになる夜に、原社長の見栄を張らない等身大の言葉が、皆さんが自分なりの「働く意味」をもう一度見つめ直すための小さなきっかけになれば嬉しく思います。

この記事を書いた人

宗宮彰良

宗宮彰良

ツムログ副編集長。2012年に新卒でアクセスに入社し中小企業の社長のお悩みを500社以上サポート。採用の枠を超えたお悩み解決をモットーに月間50件の商談をさせていただいています。想いが強ければ採用はうまくいく。一緒に想いをかなえましょう。

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